第83話「悪女は、後から名前を知る」
その知らせは、夕方になってから届いた。
正式な書状でも、急報でもない。
ただの雑談の延長のような形。
「今日、北門の倉庫街が落ち着いたらしいよ」
ルシアが何気なく言う。
「そう」
セレスティアは、ペンを止める。
「何か問題があったの?」
「物流が詰まりかけてたみたい。
でも、現場の人たちで回したって」
「へえ」
それ以上の説明はなかった。
誰が指示したのかも、
どこが起点だったのかも。
翌日、庭で偶然、年配の職人とすれ違う。
「公爵令嬢」
深く礼をされる。
「北門の件、助かりました」
「私、何もしていないわ」
「ええ」
彼は穏やかに笑う。
「でも、前に話してくれましたよね。
判断を遅らせても、共有は止めるなって」
セレスティアは、少し考える。
確かに、そんなことを言った気がする。
ずっと前に。
特定の案件でもなく。
「それを、皆で思い出しただけです」
そう言って、職人は去っていった。
名前も聞いていない。
役職も知らない。
「今の人、誰?」
ルシアが小声で尋ねる。
「知らないわ」
セレスティアは、正直に答える。
「でも、動いてくれた人」
書斎に戻り、記録を確認すると、
北門の調整は三つの部署をまたいで進んでいた。
責任者欄は、空白。
意図的に、空けた形。
「なるほどね」
誰か一人の手柄にしない。
そういう選択が、もう自然になっている。
悪女は、後から名前を知る。
あるいは、最後まで知らない。
それでも構わない。
物語の表に出る名前が減るほど、
裏で動く人数は増えている。
夕暮れ、街の灯がともる。
セレスティアは窓辺に立ち、
静かにその光を眺めた。
自分がいなくても、
世界は進む。
それを確認できる立場にいるなら、
それはそれで、これも悪くない役回りなのかもしれない。




