第80話「悪女は、見えない役を引き受ける」
最近、セレスティアは城の奥を歩くことが増えた。
表の廊下ではなく、裏の通路。
使用人や下級役人が行き交う場所。
「公爵令嬢?」
声をかけられて振り向くと、帳簿を抱えた女性が立っていた。
「何か困りごと?」
そう聞くと、女性は驚いたように目を瞬かせる。
「いえ、その……
困っているというほどでは……」
言葉が曖昧になる。
セレスティアは急かさない。
「話したくなったらでいいわ」
それだけ言って、通り過ぎようとした瞬間。
「物資の配分が、少し偏っていて」
小さな声。
「上には、もう報告しましたか?」
「はい。でも、優先順位が決まらなくて」
「なら」
セレスティアは立ち止まり、振り返る。
「決めなくていい形で、状況だけ共有して」
「……それで、いいんですか?」
「ええ」
女性は、ほっとしたように頷いた。
「ありがとうございます」
名前も名乗らず、深く頭を下げる。
その日の夜、セレスティアの机に一枚の紙が置かれていた。
簡潔な状況整理。
判断を求める文言は、どこにもない。
翌日、その紙は自然と関係者の間を回り、
数日後には配分が調整されていた。
誰が決めたのか、はっきりしないまま。
ルシアが不思議そうに言う。
「最近、何もしてないのに、
物事が動くね」
「してないわけじゃないわ」
セレスティアは微笑む。
「見えないところに、置いただけ」
前に出ない。
名も残らない。
感謝も、拍手もない。
それでも、歯車は噛み合う。
悪女は、見えない役を引き受ける。
表に立つより、ずっと地味で、
ずっと静かな役。
「悪役としては、どうかしら」
そう呟いて、軽く肩をすくめる。
それでも、
世界が少しだけ滑らかに動くなら、
それでいい。
夜の城は、静かだった。
音も、光も、過剰じゃない。
セレスティアは、その中を歩きながら、
次の朝のことを考える。
特別な予定はない。
それが、今の正解。




