第60話「悪女の名前で、火を灯す」
旧都市連盟の声明が出た翌朝、王都は妙に騒がしかった。
市場では噂話が飛び交い、酒場では声が大きくなり、
一方で王城の中は、不自然なほど静かだった。
「完全に、火種が表に出たね」
マリエルが窓から外を見下ろす。
「ええ」
セレスティアは机に肘をつき、顎に手を当てていた。
「中途半端に静か。これはもう、揺れる前兆」
アレクシスが地図を広げる。
「旧都市連盟は、商会と情報網が強い。
声明を出したということは、次の段階に入る」
ルシアが小さく息を吸った。
「次って……」
「扇動」
短く、はっきり。
「王都の不満を集める。
公爵令嬢を、分かりやすい悪役にする」
セレスティアは、くすっと笑った。
「やっぱり、悪役令嬢って便利ね」
「笑ってる場合じゃない」
アレクシスが言う。
「下手をすると、暴動が起きる」
「だからこそ」
セレスティアは立ち上がった。
「私が、先に火を灯す」
全員が一斉に見る。
「ちょっと待って」
ルシアが慌てる。
「火を灯すって、どういう意味?」
「誤解される前に、誤解を固定するの」
セレスティアは迷いなく言った。
「中途半端な噂が一番危険。
だったら、私が語る」
その日の昼、王都中央広場。
人だかりは自然にできていた。
誰かが呼んだわけでもないのに、
公爵令嬢が来ると聞けば、集まらない理由がない。
簡易の演台に立ったセレスティアは、ざわめきを静かに見渡す。
怖い視線も、期待も、不信もある。
全部、正面から受け止める。
「ごきげんよう」
声は、意外なほど柔らかかった。
「最近、わたくしの名前が、あちこちで使われているそうですね」
ざわり。
「操っている、脅かしている、危険な存在。
どれも、半分は正解で、半分は想像です」
人々が息をひそめる。
「危険かどうかで言えば、ええ。
わたくしは、面倒な女です」
一瞬の静寂のあと、笑いが漏れた。
「ですが」
セレスティアは表情を引き締める。
「皆さんの暮らしを賭け金にする気は、ありません」
その言葉は、まっすぐだった。
「わたくしが動いたことで、困った方がいるなら、
それはわたくしの責任です。
逃げませんし、隠れません」
誰かが叫ぶ。
「じゃあ、旧都市連盟はどうなんだ!」
セレスティアは、視線をそちらへ向けた。
「距離を置くと、声明が出ましたね」
一拍置いて。
「それは、わたくしが取引を断ったからです」
どよめきが大きくなる。
「力を使え、と言われました。
便利に、効率よく、裏で」
セレスティアは、はっきり言った。
「嫌でした」
広場が静まり返る。
「力は、選ばせるためにある。
押し付けるためじゃない」
その瞬間、空気が変わった。
完全な信頼じゃない。
けれど、敵意だけでもない。
「信じなくていい」
セレスティアは続ける。
「でも、見ていてください。
わたくしが、何を壊して、何を守るのか」
演台を降りるとき、拍手は起きなかった。
ただ、人々は道を開けた。
それで十分だった。
王城に戻る途中、リュシアンが小さく言う。
「怖くなかった?」
「怖かった」
正直に答える。
「でも、隠れるよりはね」
彼はうなずいた。
「火、灯いたね」
「ええ」
セレスティアは微笑んだ。
「もう、誰も勝手に名前を使えない」
悪女の名は、今日から彼女自身のものになった。
嵐は近い。
けれど今は、ただの混乱じゃない。
人の目が、考え始めている。
それだけで、戦う価値はあった。




