第57話「悪女の噂、逆流する」
評議会の翌日から、王都の空気はわずかに変わった。
露骨な視線は減り、代わりに慎重な距離感が生まれる。
近づかないけれど、無視もしない。
まるで、触れたら熱いと知っている火を見る目だった。
「……昨日より、静か」
ルシアが歩きながら小さく言う。
「静かなのは、いい兆候よ」
セレスティアは肩をすくめた。
「悪女って、騒がれるより恐れられるほうが扱いやすいの」
とは言え、胸の奥は落ち着かない。
評議会で前に出たことで、盤面は確実に動いた。
問題は、その動きが味方を呼ぶのか、敵を引き寄せるのか。
王城の中庭に差しかかると、思わぬ人物が待っていた。
「公爵令嬢」
控えめに頭を下げたのは、先日の孤児院支援で質問を投げた年配の男だった。
「少し、お時間を」
ルシアが一歩前に出かけたが、セレスティアは手で制する。
「いいわ。聞きましょう」
人目の少ない回廊に移ると、男は慎重に口を開いた。
「噂が、動いています。
あなたを悪女だと断じる声がある一方で……」
「一方で?」
「利用しようとする者が、減った」
意外な言葉だった。
「どういう意味?」
男は低く声を落とす。
「裏で糸を引ける存在だと思われていたときは、
近づこうとする者が多かった。
ですが今は、あなたが全部を被ると知れ渡った」
セレスティアは黙って聞く。
「操れる相手ではない、と判断されたのでしょう」
それは、望んだ結果でもあった。
「忠告として、伝えたかった」
男は深く頭を下げる。
「あなたは今、敵にとっても味方にとっても、
扱いづらい位置にいる。
だからこそ……直接、来ます」
「回りくどいのは終わり、ってことね」
「はい」
男はそれだけ言い、去っていった。
ルシアが不安そうに見上げる。
「セレ……」
「平気」
セレスティアは微笑んだ。
「むしろ、分かりやすくなってきた」
その夜、リュシアンが部屋を訪ねてきた。
窓際で書類を整理していたセレスティアは、顔を上げる。
「珍しいわね」
「報告」
彼は短く言った。
「井戸の周辺で、不審な動きがある。
遠回しじゃない。調査じゃなく、接触の準備だ」
セレスティアの目が細くなる。
「ついに、表に出てくる?」
「たぶん」
少しの沈黙。
「……怖い?」
不意に、彼女が尋ねた。
リュシアンは正直に答える。
「怖い。でも、君が一人で行くほうが、もっと怖い」
セレスティアは小さく笑った。
「相変わらずね」
椅子から立ち上がり、窓の外を見る。
王都の灯りが、静かに揺れている。
「ねえ、リュシアン」
「なに?」
「もし次が、本当に危ない局面だったら」
彼女は振り返る。
「私は、悪女の仮面を外すかもしれない」
彼は目を見開いた。
「それは……」
「皆を守るために、もっと嫌われるか。
それとも、信じる人を選ぶか」
リュシアンは一歩近づく。
「君が選ぶなら、どっちでもいい」
即答だった。
「ただし、独りで決めないで」
その言葉に、胸の奥が静かに熱くなる。
「……努力するわ」
小さな約束。
翌朝から、王都では新しい噂が流れ始めた。
公爵令嬢は、悪女である。
だが、裏切らない悪女だと。
その評価が、吉と出るか凶と出るか。
答えは、もうすぐ明らかになる。
影は、確実に近づいていた。




