第48話「井戸の底で、選び直す」
通路は思っていたよりも狭く、天井が低かった。
石壁に刻まれた古い紋様が、淡く脈打つように光っている。
歩くたびに、その光が呼応するみたいに強くなっていく。
「……近づいてるね」
マリエルの声が小さく震えた。
魔力の流れが、はっきりと一方向へ引っ張られている。
リュシアンは足を止め、振り返らずに言った。
「ここから先は、井戸の影響が強くなる。無理だと思ったら、すぐ引き返して」
「それ、今さら言う?」
セレスティアが苦笑すると、リュシアンの肩がわずかに揺れた。
笑ったのか、それとも息をついただけなのかはわからない。
やがて通路は途切れ、ぽっかりとした空間へ出た。
円形の広間の中央に、黒く澄んだ水面が広がっている。
三つめの井戸。
水は鏡のように静かで、底が見えない。
それなのに、確かに何かがこちらを見返してくる気配があった。
ルシアが息をのむ。
「……音がしないのに、うるさい」
「わかるわ」
セレスティアも同じ感覚を抱いていた。
耳ではなく、頭の奥に直接響くような圧迫感。
リュシアンが井戸の縁に立ち、ゆっくりと手を伸ばす。
「本来なら、僕が触れるだけでいい。番人として、目覚めを鎮める役目だから」
アレクシスが一歩前に出る。
「代償は?」
短い問いに、リュシアンは少しだけ間を置いた。
「存在の固定。外に戻れなくなる可能性が高い」
空気が凍りついた。
ルシアが思わず叫ぶ。
「それって、ここに閉じ込められるってことじゃ…!」
「可能性の話だよ」
そう言いながら、リュシアンの声は優しかった。
まるで、もう覚悟が済んでいるみたいに。
セレスティアは井戸を見つめ、静かに口を開いた。
「それ、番人の役目だから?」
「そうだね」
「……それ、本当にあなたが選んだこと?」
リュシアンの手が止まった。
セレスティアは続ける。
「生まれたときに決められてた道を、選択って呼ぶのはずるいと思う」
ゆっくりと、彼が振り返る。
「セレ…」
「あなたが守ってきたものは否定しない。でも、あなた自身の行き先まで、井戸に決めさせる必要はない」
マリエルが息をのむ。
「セレスティア、まさか…」
セレスティアは一歩、井戸に近づいた。
黒い水面に、自分の顔が映る。
「番人が一人じゃなきゃいけない理由、どこにもないよね」
アレクシスがすぐに察した。
「共同干渉か。魔力の流れを分散させる」
「できると思う」
セレスティアはうなずく。
「私、こう見えて無駄に祝福されがちだから」
ルシアが一瞬ぽかんとして、それから笑いそうになるのを必死でこらえた。
リュシアンは首を振った。
「危険すぎる。君を巻き込むくらいなら、僕一人で…」
「もう巻き込まれてるよ」
セレスティアは、はっきりと言った。
「あなたがいなくなる未来なんて、私の選択肢には入ってない」
その言葉に、リュシアンの目が揺れた。
長い間押し込めていた感情が、表に浮かびかける。
「……ずるいな」
「知ってる」
セレスティアは少し笑った。
アレクシスが剣を収め、静かに言う。
「決めるなら早くしろ。井戸が反応し始めている」
実際、水面には小さな波紋が広がっていた。
呼吸するみたいに、ゆっくりと。
リュシアンは深く息を吸い、そして吐いた。
「……わかった」
彼はセレスティアの方を向き、まっすぐに見つめる。
「一緒にやろう。ただし、無理だと感じた瞬間、君は引く。それが条件だ」
「約束する」
二人は並んで井戸の縁に立った。
マリエルとルシアが後方で魔術の補助に入る。
アレクシスは周囲を警戒しながら、全体の流れを見ていた。
セレスティアがそっと手を伸ばす。
黒い水面に、光が落ちた。
井戸が大きくうねり、低い音が広間を満たす。
圧倒的な力が押し寄せ、意識が引きずられそうになる。
それでも、隣にいる温度が、確かにあった。
「……離れないで」
リュシアンの声が、すぐそばで聞こえる。
「離れないよ」
その瞬間、井戸の奥で何かが切り替わった気がした。
暴走しかけていた魔力が、二人の間を流れるように分かれていく。
重さが、少しだけ軽くなる。
井戸は、静かに沈黙へ向かい始めていた。
けれど、それが完全な終わりなのか、
それとも新しい始まりなのかは、まだわからない。
セレスティアは息を整えながら、思った。
運命は、押しつけられるものじゃない。
何度でも、選び直していい。
井戸の水面が、ゆっくりと澄み始めていた。




