第47話「影の奥で交わる声」
地下へ降りる階段は湿った空気で満ちていて、足音がやけに響いた。
セレスティアは胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。
そこに立っていた影が、ゆっくりと光のほうへ歩み寄ってくる。
リュシアン。
つい先ほど耳にした声は、夢でも幻でもなかった。
薄闇の中に浮かぶ彼の姿は、以前とどこか違っていた。
目元に静かな影が宿り、まとっている魔力の癖が少し濁って見える。
それでも間違えようがない。
何度も、何度だって思い出した背中だった。
セレスティアは思わず一歩踏み出した。
「リュシアン…本当に、あなた…?」
リュシアンは視線を伏せるようにわずかに横を向く。
照れた仕草に似ているのに、そこには迷いが混ざっていた。
「セレ…来ないでほしかったんだ。君は、上で安全に暮らしていればよかったのに」
アレクシスが前へ出ようとしたが、セレスティアが手で制した。
今は、他の誰も間に入るべきじゃないと感じた。
「来るよ。あなたが残した笛の芯が、ここへ導いてくれたから。ずっと待ってた。ずっと探してた」
リュシアンの眉が揺れた。
「笛は…あれは、もう僕と関係のないもののはずだった。でも君は、手放さなかったんだね」
「手放すわけないよ。あなたの気配が残ってた。あれがなかったら、きっと私はここへ辿り着けなかった」
ルシアがそっとマリエルの袖をつまみ、小声でささやく。
「ねえ…これって再会…だよね? 私、泣きそうなんだけど」
「静かに。今は二人の領域よ」
マリエルが囁く横で、アレクシスはただ無言で見守っていた。
彼のまなざしは鋭いが、どこか安堵の色も混じっている。
セレスティアは一歩近づいた。
距離はまだあるはずなのに、心臓が痛いほど跳ねてしまう。
「聞かせて。あなたはなぜ、ここにいるの? 三つめの井戸と、あなたはどう関わってるの?」
質問はぶつけるようなものではなく、震えを抑えるように静かに紡がれた。
リュシアンはしばらく黙り込んだ。
暗がりの奥で、なにか思い出を探るような目をしていた。
そして、ゆっくり口を開いた。
「僕は…井戸の“番人”だったんだ、セレ。知らないままでいてくれてよかったのに」
「番人…?」
「井戸の力は、人が扱っていいものじゃない。封じるために、誰かが代償を払わなきゃならなかった。その役目が…僕の家系だった」
セレスティアの手から力が抜けかける。
「じゃあ…あなたは、ずっと一人で…?」
「うん。でも、君と出会ってから全部が揺らいだ。
番人でいるべき僕が、君と生きたいと思ってしまった」
その告白に、胸の奥で何かが強くはじけた。
泣きそうになるのを必死にこらえ、セレスティアは口元を震わせる。
「だったら…一緒に選べばよかったのに。一人で抱えないでよ…」
リュシアンは苦い笑みで首を振った。
「君を巻き込みたくなかった。番人は、世界から忘れられる存在なんだ。
僕は、君の記憶から消えるはずだった。でも…」
「でも?」
「セレ。君は僕の名前を、最後まで忘れなかった。
それが、封印の一部を歪ませたんだ。
だから今、こうして再会できてしまってる」
セレスティアの胸が痛くなる。
忘れるわけない。忘れられるはずがない。
アレクシスが静かに問いかける。
「リュシアン。三つめの井戸はこの奥に?」
リュシアンはゆっくりと後ろを指す。
「もっと深いところにある。でも…たぶん、“目覚めかけてる”。
君たちが来たことで刺激されたんだ」
マリエルが緊張した顔でつぶやく。
「そんな…封印が弱まってるってこと?」
「僕がここに戻ったせいでもある。もう止められる時間は少ない」
リュシアンはセレスティアの方へ向き直った。
「セレ。君が来たのはうれしい。でも…どうかこれ以上は一緒に行かないでほしい。
井戸に近づくほど、君の魔力は呑まれてしまう」
セレスティアは迷わなかった。
「行くよ。あなた一人を危険に向かわせる気なんてない」
リュシアンの目が大きく揺れた。
彼女はそっと笑った。
「一緒に、終わりまで行こうよ。あなたが番人の運命を抱えたなら、私はあなたの隣を選ぶよ」
リュシアンは目を伏せ、しばらく震える肩を押さえていた。
やがて、弱く、けれどどこか救われたような声で言う。
「セレ…変わらないね。
君に会うと、僕はいつも…自分が人でいられる気がする」
暗闇の奥から、低くうねるような音が響いた。
井戸が呼吸するように、空気が揺れる。
リュシアンは顔を上げ、仲間たちの方を向く。
「行こう。井戸の目覚めを止められるのは、今しかない」
セレスティアは彼の後ろに続いた。
失われたはずの手が、もう届く距離にある。
まだ触れられないけれど、その背中は確かに前を歩いていた。
こうして、五人は三つめの井戸の最深部へ向かう通路へ足を踏み入れるのだった。




