第43話「影の手紙、交わる視線」
森の地下拠点から戻った翌朝、城の空気はどこか張り詰めていた。まだ正式な報告が広まっているわけではないのに、風向きが変わったような気配が漂う。セレスティアは自室の窓を開け、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
昨夜の封書——あれは、ただの脅しや挑発ではない。もっと冷たく、温度のない“観察者の視線”。見られているという感覚が、肌の下にじんと残っていた。
部屋に入ってきたルシアが、少し心配そうに首を傾げる。
「セレ、昨日からずっと考え込んでる顔してるよ」
「考えない方が難しいわ。あの地下の規模を見たら」
軽く笑って返すと、ルシアはホッと息をつきつつも、すぐに表情を引き締めた。
「…でも、誰があそこを管理してたんだろうね」
「そこなのよ。痕跡の消し方が丁寧すぎる。あれは素人では無理」
ちょうどその時、扉がノックされ、伝令が手紙を差し出した。差出人は不明。ただ封蝋だけが奇妙に新しい。
セレスティアは注意深く開封する。中には一枚の紙と、小さな金属片が入っていた。紙には短くこう書かれていた。
「追うな。追えば、井戸はさらに深くなる。」
金属片は、小さな笛のパーツだった。例の符号用の笛。壊された形跡もないのに、なぜか音が出ない仕様に細工されている。
マリエルが駆けつけて中身を見るなり、息を呑んだ。
「笛の芯が抜いてある…完全に“連絡断ち”を意味するよ」
それは組織内部で使われる“撤収”の印。関係者が一斉に沈んだ時、残された者にのみ渡されるという。
セレスティアの背筋が冷える。
「私たちが動いたのを知って、全員が隠れたというわけね」
「むしろ、もっと早くから私たちの動きを読んでたのかも」
マリエルの声には焦りよりも、むしろ分析の冷静さが宿っていた。
その昼、城の中庭でアレクシスが待っていた。いつもより少し険しい顔。セレスティアが近づくと、彼は低く言った。
「セレスティア。リュシアンが、行方をくらました」
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「行方不明って、どういう意味?」
「昨夜遅くまで執務室にいたらしいが、そこから姿が見えない。馬車も動いてないし、門番も通過を見ていない」
アレクシスは眉を寄せ、続きを慎重に選ぶ。
「君に手紙を送った直後に消えた可能性が高い」
リュシアンは、あの地下拠点を知っていた。彼の示唆がなければ、発見も遅れていたはず。ならば、彼もまた“井戸の深さ”に触れていたのかもしれない。
「彼は自分から消えたのか、連れ去られたのか…」
アレクシスは首を横に振る。
「痕跡がなさすぎる。自分の意思ならもっと痕跡を消す。逆に拉致なら何かしら乱れが残る。今の状況は…意図的に“消えたように見せかけてる”」
セレスティアは拳を握りしめた。
「彼、何か大きいことを見つけたのね」
そう呟いたとき、隣の茂みでかすかな音がした。アレクシスが素早く身構える。ルシアが音の方へ近づくと、小さな巻紙が落ちているのに気づいた。
巻紙には、見覚えのある走り書き。
——余計な危険を背負うな。まだ時じゃない。
「リュシアン…あなたはどこにいるの」
セレスティアは巻紙を胸に当てる。文字は荒っぽいのに、彼の温度がはっきり伝わってきた。それは、昨日の無機質な封書とは明らかに違う。
アレクシスが低く問いかける。
「どうする? 追うか?」
セレスティアはしばらく沈黙した後、小さく首を振った。
「彼が危険を避けろっていうなら、今追っても彼の足を引っ張るだけ。でも…」
視線を上げた先に、強い光が宿っていた。
「井戸の深さ、私たちで測るしかないわ。彼が戻る場所を守るためにも」
ルシアとマリエルが頷く。アレクシスも、短く深い息をついた。
「わかった。全隊を再編する。今度は、敵が沈んでいる層まで届く準備をする」
風が中庭を抜ける。木々の影が揺れ、どこかで小鳥が鳴いた。
セレスティアの胸の中に、不安と同じぐらい強い決意が静かに根づいていく。
——見えない敵がどう仕掛けてこようが、負ける気はしない。
そしてもう一度、巻かれた紙をそっと握りしめた。
「リュシアン、必ず迎えに行くから」
その声は、誰に聞かせる意図もなく、ほんの少し揺れて温かかった。




