第105話「悪女は、旅支度が嫌い」
地方視察の出発は、二日後に決まった。
セレスティアはその知らせを聞いた瞬間から、ずっと不機嫌だった。
「納得いかない」
衣装部屋で腕を組みながら、三度目の抗議を口にする。
ルシアは慣れた様子で荷造りを続けていた。
「まだ言ってるんですか」
「だっておかしいでしょう」
セレスティアは次々と並べられていく旅行用ドレスを睨む。
「なんで私が地方視察なんか」
「引き受けたからでは?」
「言い方ってものがあるでしょう」
ルシアは小さくため息をついた。
「そもそも、最初から興味あったじゃないですか」
「なかったわよ」
「王太子殿下が“地方の現状を見たい”と言った瞬間、目つき変わってましたけど」
セレスティアは黙る。
図星だった。
気になったのだ。
今の地方がどうなっているのか。
中央ですら、あれだけ混乱している。
なら、王都から遠い土地ではもっと歪みが出ていてもおかしくない。
そして同時に。
そこでも、人々は自分たちで立とうとしているのかもしれない。
「……別に、視察そのものに興味があるわけじゃないもの」
「はいはい」
流された。
最近ルシアの扱いが雑である。
セレスティアは窓際へ歩き、外を見る。
庭では使用人たちが慌ただしく動いていた。
馬車の準備。
荷物の確認。
旅立ち前独特の空気だ。
その光景を見ていると、不意に胸の奥が少しざわついた。
「どうかしました?」
ルシアが気づく。
「……久しぶりなのよ」
「何がです?」
「“目的が決まってない外出”」
以前の彼女の移動には、必ず理由があった。
問題解決。
政治交渉。
対立処理。
常に、“何かを背負って行く”。
でも今回は違う。
見るための旅。
知るための視察。
それが妙に落ち着かない。
「案外、楽しみなんじゃないですか?」
「それはない」
「即答ですね」
セレスティアは椅子に腰を下ろす。
すると、再び扉が叩かれた。
「……今日は来客多くない?」
「人気者ですから」
「本当にその評価嫌い」
使用人が入ってくる。
「お客様です」
「帰ってもらって」
「例の転入生の方が」
セレスティアは一瞬固まった。
「あの子?」
「はい」
少し意外だった。
通されてきた少女は、以前よりずっと顔色が良くなっていた。
病弱だった頃の面影が薄い。
「急にすみません!」
元気よく頭を下げる。
セレスティアは微妙な顔をした。
「……何しに来たの」
「聞きました! 地方視察に行かれるって!」
誰情報だ。
王都の情報伝達速度がおかしい。
「お土産です!」
差し出されたのは、小さなお守りだった。
手編みの紐に、小さな石がついている。
「……何これ」
「旅のお守りです!」
「なんで」
「心配なので!」
セレスティアは頭を抱えたくなった。
なぜ自分が心配される側なのか。
本来なら恐れられる側では?
「別に危険な旅じゃないわよ」
「でもセレスティア様、すぐ面倒ごとに巻き込まれるじゃないですか!」
否定できなかった。
ルシアが横で吹き出している。
「ほら、世間の認識ですよ」
「納得いかない……」
少女は少しだけ真剣な顔になる。
「でも」
セレスティアが視線を向ける。
「最近のセレスティア様、前よりちょっとだけ楽しそうです」
その言葉に、部屋が静かになった。
「……は?」
思わず聞き返す。
少女は慌てて手を振った。
「え、あ、違ったらすみません!」
だが、セレスティアはすぐには返事をしなかった。
楽しい。
そんな感覚、しばらく考えたこともなかった。
悪役令嬢として破滅を回避する。
国の歪みをどうにかする。
誰かの暴走を止める。
ずっと、“やらなければならないこと”ばかりだった。
けれど最近は。
少しだけ、“自分で選んで動いている”感覚がある。
セレスティアは小さく目を伏せる。
「……気のせいよ」
ぽつりと返す。
だが声音は、いつもより少しだけ柔らかかった。
少女は嬉しそうに笑った。
「なら、気のせいってことにしておきます!」
妙に賢い返しだった。
セレスティアはお守りを見つめる。
小さくて、不格好で。
でも、丁寧に作られている。
「……ありがと」
その声は、ずいぶん小さかった。
少女が帰ったあと。
ルシアがにやにやしながら言う。
「ちゃんと受け取るんですね」
「うるさい」
「昔なら突き返してましたよ」
「昔の話でしょ」
セレスティアはお守りを机に置く。
窓の外では、夕陽が沈み始めていた。
旅立ちは明後日。
きっとまた面倒ごとが起きる。
静かな旅になど、絶対ならない。
なのに。
ほんの少しだけ。
胸の奥に、奇妙な高揚感があった。




