第104話「悪女は、暇になると落ち着かない」
魔導搬送車の暴走騒ぎから、三日。
王都は妙に平和だった。
もちろん細かな問題は起きている。
役所の調整ミス。
流通の遅延。
現場判断の衝突。
だが以前のように、“誰か一人が全部止めるまで混乱が広がる”ことは減っていた。
不格好でも、皆が自分で動き始めている。
それ自体は良いことだ。
良いことなのだが――。
「……暇ね」
セレスティアはソファに転がったまま呟いた。
ルシアが紅茶を置く。
「平和で何よりじゃないですか」
「落ち着かない」
「難儀ですね」
本当にそう思う。
以前は毎日何かしら起きていた。
会議。
対立。
嫌味。
責任の押し付け合い。
それを片っ端から引っ掻き回していたのが自分だ。
なのに今は、ぽっかり時間が空いている。
「人間、急に暇になると駄目ね……」
「仕事中毒みたいなこと言ってますよ」
「やめて。否定できない」
セレスティアはクッションを抱えたまま天井を見る。
静かだった。
屋敷も。
王都も。
……いや、正確には。
“自分のところまで問題が来ていない”だけだ。
それが、妙にむず痒い。
「ねえルシア」
「はい」
「私、今すごく嫌なこと言うわよ」
「どうぞ」
セレスティアは真顔で言った。
「ちょっとくらい問題起きないかしら」
ルシアが無言になった。
「最低ですね」
「分かってる」
でも本音だった。
すると。
こんこん、と扉が鳴る。
セレスティアとルシアが同時に視線を向ける。
数秒の沈黙。
「……来たわね」
「来ましたね」
もはや様式美である。
使用人が入室し、少し困った顔で告げた。
「お客様です」
「帰ってもらって」
「王太子殿下です」
セレスティアはゆっくり顔を覆った。
「なんで来るのよあの人……」
「問題が起きたのでは?」
「嬉しくない予想が当たりそう」
ほどなくして、王太子が通された。
以前より少しだけ疲れた顔をしている。
だが、どこか吹っ切れたような空気もあった。
「急に押しかけて悪い」
「本当にそう思うなら帰って」
「断る」
即答だった。
セレスティアは盛大にため息をつく。
「で? 今度は何」
王太子は少しだけ言いづらそうに視線を逸らした。
「……相談だ」
珍しい言葉だった。
セレスティアが片眉を上げる。
「命令じゃなくて?」
「今のお前に命令しても無駄だろう」
「理解が早くて助かるわ」
王太子は苦笑した。
それから、真面目な顔になる。
「地方視察へ行く」
セレスティアは数秒黙る。
「それで?」
「同行してほしい」
「嫌よ」
食い気味だった。
王太子が眉をひそめる。
「まだ最後まで言っていない」
「聞く前から嫌な予感しかしないもの」
ルシアが横で小さく頷いている。
裏切り者である。
「今回は、“答えを出すため”じゃない」
王太子は静かに言った。
「今の地方が、どう動いているのかを見たい」
セレスティアは口を閉じる。
「中央だけじゃない。地方でも、“誰かに依存していた仕組み”が崩れ始めている」
王太子の目は真剣だった。
「だから、自分の目で見ておきたい」
以前の彼なら。
もっと強引だった。
もっと、“正解を知っている側”の顔をしていた。
でも今は違う。
分からないから見に行く。
その姿勢が、少しだけ変わっていた。
セレスティアはじっと彼を見る。
「……で、なんで私」
「お前も見るべきだと思った」
「嫌な予感しかしない答えね」
王太子は少し笑った。
「それに」
一拍置いて続ける。
「お前、暇だろう」
沈黙。
ルシアが吹き出した。
「図星ですね」
「ルシア?」
セレスティアは睨む。
だが否定できない。
暇だった。
ものすごく。
王太子は肩をすくめる。
「視察は数日だ」
「数日でも嫌」
「現地の問題に口を出さなくてもいい」
「絶対そうならない」
即答。
王太子が珍しく笑った。
「信用されているな」
「不名誉すぎるわ」
セレスティアはソファに沈み込みながら考える。
本当は、断るべきだ。
王城から距離を取ると決めた。
“皆が自分で動く形”を作ると決めた。
なのに。
少しだけ。
本当に少しだけ。
興味があった。
今、この国がどう変わり始めているのか。
自分の知らない場所で、人々がどう迷っているのか。
セレスティアは長く息を吐く。
「……一つだけ条件」
「何だ」
「私は“補佐”もしないし、“解決”もしない」
王太子は頷く。
「分かっている」
「本当に?」
「ああ」
その返答は妙に素直だった。
セレスティアはじとっと睨む。
怪しい。
ものすごく怪しい。
だが結局。
「……準備しなさい、ルシア」
「承知しました」
ルシアの返事が早い。
絶対こうなると思っていた顔だ。
セレスティアは天井を見上げる。
平穏は長く続かなかった。
けれど不思議と、少しだけ胸が軽かった。




