第103話「悪女は、正解になりたくない」
財務局の官僚が帰ったあと。
部屋には、ようやく静けさが戻っていた。
――はずだった。
「……疲れた」
ソファに深く沈み込みながら、セレスティアはぼやく。
机の上には広げられたままの書類。
飲みかけの紅茶。
そして、“もう関わらないつもりだった仕事”の残骸。
ルシアは呆れたように肩をすくめた。
「結局、朝から仕事してるじゃないですか」
「してないわよ」
「してました」
「助言しただけ」
「世間ではそれを仕事と言います」
納得いかない。
セレスティアはクッションを抱え込みながら、不機嫌そうに唸った。
「なんでこうなるのかしら……」
「人望では?」
「いらないわよそんなもの」
即答だった。
ルシアが少し笑う。
「昔なら、喜んで利用していたでしょうに」
「昔の私はもっと性格悪かったの」
「今も十分悪いですよ」
「褒めてる?」
「まさか」
軽口を交わしながらも、空気はどこか穏やかだった。
そのとき。
窓の外から、子どもたちの声が聞こえた。
笑い声。
駆け回る足音。
セレスティアは何となく視線を向ける。
屋敷の前の通りで、近所の子どもたちが遊んでいた。
最近は治安も少し落ち着いている。
王都全体の空気が不安定なわりに、街そのものは以前より人同士で動こうとする場面が増えていた。
……少しだけ。
本当に少しだけだが。
「変わってきてるのかしらね」
ぽつりと漏れる。
「何がです?」
「人」
セレスティアは窓の外を見たまま言う。
「前より、“自分で決めよう”としてる気がする」
もちろん失敗も多い。
揉め事も増えた。
非効率だ。
でも。
誰か一人が全部決めるよりは、ずっと健全なのかもしれない。
そんなことを考えてしまった自分に、セレスティアは少し嫌そうな顔をした。
「……なんか教師みたい」
「似合いませんね」
「でしょう?」
即座に同意されるのも微妙に腹が立つ。
そのときだった。
どん、と。
遠くで鈍い音が響く。
セレスティアとルシアが同時に顔を上げた。
「……今の」
「広場の方ですね」
嫌な予感しかしない。
二人は窓際へ寄る。
王都中央の方角。
うっすらと煙が見えた。
「火事?」
「いえ……」
ルシアが目を細める。
「魔力反応があります」
セレスティアの顔から表情が消えた。
「また?」
最近、多い。
魔導関連の事故。
制度の混乱だけではない。
王都全体の“調整”が、少しずつ歪み始めている。
使用人が慌てて駆け込んできた。
「セレスティア様!」
「何」
「中央広場で、魔導搬送車が暴走を!」
やっぱりか。
セレスティアは立ち上がる。
だが次の瞬間、ぴたりと止まった。
ルシアが気づく。
「……どうしました?」
セレスティアは黙ったまま、窓の外を見る。
以前の自分なら、もう走っていた。
現場へ向かい、全部片付けていた。
でも。
「……王城は?」
「すでに騎士団が向かっています」
「現場責任者は」
「第三管理局の主任官僚です」
セレスティアは数秒だけ考える。
第三管理局。
確か、以前自分が散々叩き込んだ部署だ。
現場判断能力を。
「……なら、まずは待つ」
ルシアが少し目を見開いた。
セレスティア自身も、少し驚いていた。
待つ。
人に任せる。
以前の彼女なら、一番苦手だったことだ。
「本当に?」
「ええ」
セレスティアは静かに息を吐く。
「全部に私が出ていったら、意味ないでしょう」
窓の外では、煙がまだ上がっている。
胸の奥がざわつく。
気になる。
失敗する可能性だってある。
でも。
ここで飛び出したら、また皆がセレスティアを待つ国に戻ってしまう。
だから。
彼女は椅子に座り直した。
「報告だけ集めて」
「承知しました」
ルシアが静かに頭を下げる。
それから、一時間後。
追加報告が届いた。
「暴走した搬送車は停止」
「負傷者軽傷二名」
「第三管理局が現場判断で封鎖・誘導を実施」
セレスティアは報告書を受け取り、ゆっくり目を通す。
「……できるじゃない」
思わず、小さく呟いた。
完璧ではない。
対応の粗もある。
判断速度も、彼女ほどではない。
でも。
自分たちで決めて、自分たちで動いた。
それだけで、以前とは違った。
ルシアが微笑む。
「少し嬉しそうですね」
「気のせいよ」
セレスティアはそっぽを向く。
だが。
その横顔は、ほんの少しだけ柔らかかった。
「……正直、怖かったけど」
ぽつりと漏れる。
「失敗したらどうしようって」
ルシアは静かに聞いている。
「でも、多分」
セレスティアは窓の外を見る。
「皆、そうやって覚えるのよね」
失敗して。
迷って。
責任を取って。
そうやって、“自分で決める側”になる。
悪女は、ようやく少しだけ理解し始めていた。
正解を出し続けることだけが、国を支える方法ではないのだと。




