第102話「悪女は、誰かに任せるのが下手」
翌朝。
セレスティアは珍しく寝坊した。
「……ありえない」
ベッドの上で時計を見た瞬間、真顔になる。
いつもならとっくに起きている時間だった。
原因は分かっている。
疲労だ。
ここ数日、ずっと気を張り続けていた。
王城から距離を置いたはずなのに、なぜか以前より人と関わっている気さえする。
「本末転倒では?」
自分で言って、自分で嫌になった。
そのとき、部屋の扉が軽く叩かれる。
「起きてますか?」
ルシアだった。
「起きてるわ」
「珍しいですね」
「言わないで」
扉が開く。
ルシアはすでに支度を終えていた。
いつも通り隙のない姿だ。
「熱は?」
「ない」
「顔色は?」
「普通」
「疲労は?」
「……少し」
ルシアがじっと見る。
「休んでください」
「嫌よ」
「即答しないでください」
セレスティアはベッドから降りる。
「私、じっとしてる方が疲れるの」
「難儀な性格ですね」
「知ってる」
窓を開けると、朝の空気が流れ込んできた。
王都は今日も動いている。
遠くで鐘が鳴る音がした。
少し前まで、その音を聞くだけで胃が痛かった。
今は……まあ、少し痛いくらいだ。
「今日は予定を減らします」
「予定なんて入れてないでしょう」
「あなたの場合、“予定外”が来るんです」
否定できないのが腹立たしい。
そのとき。
控えめなノックが響いた。
セレスティアとルシアが同時に顔を向ける。
「……来たわね」
「来ましたね」
もう嫌な予感しかしない。
使用人が恐る恐る扉を開けた。
「お客様が……」
「帰ってもらって」
「王城からです」
セレスティアは天井を仰いだ。
「……誰」
「財務局の方が」
「帰ってもらって」
「かなり切羽詰まった様子で……」
ルシアが小さくため息をつく。
「通してください」
「ルシア!?」
「どうせ追い返してもまた来ます」
それはそう。
悲しいほどそう。
数分後。
通されたのは、三十代半ばほどの男性官僚だった。
目の下に隈がある。
いかにも“最近まともに寝ていません”という顔だ。
「朝早くから申し訳ありません!」
入室するなり頭を下げる。
セレスティアは椅子に座ったまま言った。
「本当にそう思うなら帰りなさい」
「無理です!」
即答だった。
切実すぎる。
「……何」
官僚はごくりと唾を飲み込む。
「地方予算の配分で、各部署が互いに譲らず……調整会議が三日止まっています」
またか。
セレスティアは頭痛を覚えた。
「王太子は?」
「最終判断を避けています」
「避けてる?」
「“現場主導で決めるべきだ”と」
セレスティアは数秒黙る。
……なるほど。
あの王太子なりに、変えようとしているのだ。
“誰か一人が決める形”を。
だが。
「急に全部投げるから混乱するのよ……」
思わず本音が漏れた。
官僚が縋るような目を向けてくる。
「どうか、お知恵を……!」
セレスティアは露骨に嫌そうな顔をした。
「ねえ」
「は、はい!」
「なんで皆、そんなに“誰かに答えを貰う前提”なの?」
官僚が固まる。
「いや、その……」
「自分たちで決めなさいよ」
「決めた結果、失敗したら……」
その言葉で、セレスティアは口を閉じた。
ああ、と理解する。
皆、怖いのだ。
今まで“正解を出せる人”がいた。
だから、自分で失敗する経験が薄い。
失敗の責任を負うことに、慣れていない。
セレスティアは小さく息を吐く。
「配分案、持ってきてる?」
「は、はい!」
机に大量の書類が広げられる。
教育。
物流。
防衛。
復旧支援。
限られた予算を、どこへ回すか。
セレスティアは書類をめくりながら眉をひそめた。
「……下手」
官僚がびくっと肩を揺らす。
「全部通そうとしてる」
「え?」
「だから破綻してるの」
彼女は紙の一枚を叩く。
「優先順位を決めなさい」
「ですが、どれも必要で……」
「当たり前でしょう」
ぴしゃりと言う。
「必要じゃない案件なんて、普通は最初に落ちてるの」
静かな声だった。
だが妙に刺さる。
「重要なのは、“全部救うこと”じゃない」
セレスティアは視線を上げる。
「“どれを先に生かすか”を決めることよ」
部屋が静まる。
官僚は呆然としていた。
その横で、ルシアが小さく笑う。
「今日は特に厳しいですね」
「寝起きだから機嫌悪いの」
セレスティアは書類を数枚抜き取る。
「物流と復旧支援を先行。教育は縮小維持」
「えっ」
「防衛予算は分割執行」
迷いがない。
「今必要なのは、“未来の理想”じゃなく“現在の停止回避”でしょう」
官僚は必死にメモを取り始めた。
セレスティアはその姿を見て、少しだけ複雑そうな顔をする。
本当は。
全部、自分で決めてしまった方が早い。
でも、それをやり続けた結果が今なのだ。
だから彼女は、わざと途中でペンを置いた。
「……あとは自分たちで詰めなさい」
官僚が顔を上げる。
「ですが」
「方向は出したでしょう」
セレスティアは背もたれに寄りかかった。
「細部まで他人にやらせる癖、そろそろ直しなさい」
官僚はしばらく固まっていたが、やがて深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その声は、来た時より少しだけ強かった。
部屋を出ていく背中を見送りながら、ルシアがぽつりと言う。
「随分、変わりましたね」
「何が」
「“答え”じゃなく、“考え方”を渡すようになった」
セレスティアは少し黙った。
窓の外では、王都の朝が動き始めている。
「……そうしないと」
小さく呟く。
「また皆、私を見上げるでしょう」




