第101話「悪女は、静かな場所を知らない」
王太子と別れたあと。
セレスティアは本気で疲れていた。
「……限界だわ」
「本日三回目ですね、その台詞」
ルシアが淡々と言う。
「だって限界なんだもの」
「ですが、さっきは随分しっかり場を収めていましたよ」
「不本意よ」
即答だった。
屋敷へ向かう馬車の中。
揺れるランタンの光が、車内をぼんやり照らしている。
窓の外では、夜の王都が静かに流れていた。
昼間の喧騒が嘘みたいだ。
「……ねえ」
ふいにセレスティアが口を開く。
「はい?」
「私、本当に何もしない方が良かったのかしら」
珍しく、独り言みたいな声だった。
ルシアは少しだけ考える。
「難しい質問ですね」
「そう?」
「あなた、放っておけないでしょう」
セレスティアは顔をしかめた。
「まるでお人好しみたいな言い方」
「違うんですか?」
「違うわよ」
だが、否定の勢いは弱い。
「面倒なのが嫌なだけ」
「結果、人助けになってますけどね」
「納得いかない……」
馬車が石畳を鳴らす。
そのときだった。
外から、慌ただしい足音が聞こえた。
「止まってください!」
御者が慌てて手綱を引く。
馬車が揺れ、セレスティアは軽く眉をひそめた。
「今度は何」
「確認してきます」
ルシアが扉を開ける。
夜気が流れ込んできた。
少しして。
珍しく、ルシアが微妙な顔で戻ってくる。
「……面倒です」
「知ってる」
「まだ何も言ってません」
「でも面倒なんでしょう?」
ルシアはため息をついた。
「中央広場で、炊き出しの列整理が揉めています」
「……なんで?」
「責任者同士が勝手に順番を決めたくないらしく」
セレスティアは無言になった。
ここ最近、本当にそればかりだ。
決めない。
責任を持たない。
誰かの判断を待つ。
それ自体は理解できる。
以前の王城が、そういう空気を広げてしまっていたのだから。
だが。
「炊き出しで止まるのは駄目でしょう……」
それは、もう制度ではなく生活の問題だ。
セレスティアは数秒だけ目を閉じる。
「行くわよ」
「でしょうね」
諦めた声だった。
馬車を降りると、夜の広場は騒然としていた。
「だから列を二つに分ければ――」
「誰がその責任を取るんだ!」
「勝手に決めて後で問題になったら――」
炊き出しの鍋はある。
食料もある。
人手も足りている。
なのに配給が止まっていた。
理由は単純。
誰も最終判断をしたくない。
セレスティアはその光景を見て、深々とため息をついた。
「本当に面倒な国になったわね……」
周囲がざわつく。
また気づかれた。
「セレスティア様だ!」
「聖女様……!」
「だから違――」
途中でやめた。
もう訂正が追いつかない。
セレスティアは責任者たちの前まで歩く。
「状況は?」
反射的に全員が道を開けた。
「そ、その……列整理をどうするかで……」
「配給対象が増えすぎて、順番決めが……」
セレスティアは鍋を見る。
列を見る。
広場の構造を見る。
数秒。
「炊き出し口を三つに分けなさい」
即答だった。
「子ども連れ、高齢者、その他で分類。移動導線は時計回り」
その場の全員が固まる。
「え、と……」
「担当責任は分割。全体責任者は置かない」
さらに続ける。
「問題発生時だけ共同判断。それ以外は現場裁量」
沈黙。
だが、その沈黙は長く続かなかった。
「……できるか?」
「いや、いけるな」
「導線空くぞ」
止まっていた人々が、一気に動き始める。
鍋が運ばれる。
列が分かれる。
怒鳴り声が消える。
ほんの数分前まで混乱していた広場が、嘘みたいに整っていく。
セレスティアはそれを見届けると、踵を返した。
「帰るわ」
「ええ」
だが。
「待ってください!」
後ろから声。
振り向くと、若い責任者の男が頭を下げていた。
「助かりました!」
真っ直ぐな声だった。
セレスティアは少しだけ目を細める。
「勘違いしないで」
「え?」
「今回は、“仕組み”を作っただけよ」
男がきょとんとする。
「次からは、自分たちで回しなさい」
それだけ言って歩き出す。
夜風がドレスの裾を揺らした。
ルシアが隣で小さく笑う。
「随分、教え方が変わりましたね」
「何が」
「前なら全部自分で片付けていたでしょう」
セレスティアは少しだけ黙る。
以前の自分なら。
確かにそうしていた。
誰より早く、誰より正確に。
全部、自分で。
でも。
「……疲れるのよ、それ」
ぽつりと漏れた本音に、ルシアが目を丸くした。
セレスティアは空を見上げる。
王都の夜空は、意外と星が見えた。
誰か一人が支える国は、きっと脆い。
だから今、自分がやるべきなのは。
自分がいなくても動く形を残すことなのかもしれない。
そんなことを考えてしまった自分に、セレスティアは少しだけ顔をしかめた。
「……やっぱり悪女向いてないのかしら」
夜風だけが、その呟きを聞いていた。




