第100話「悪女は、舞台の外へ降りられない」
夕暮れの王都は、茜色に染まっていた。
石畳の道。
露店の灯り。
行き交う人々の声。
どこにでもある平和な景色――のはずなのに、セレスティアは妙に疲れていた。
「……もう帰りたい」
「帰ってますよ、今」
隣を歩くルシアの返答は冷静だった。
市場から屋敷までの道のり。
その間にも、何度も声を掛けられている。
『セレスティア様!』
『先日はありがとうございました!』
『娘の熱が下がりまして!』
『うちの店、例の助言のおかげで――』
違う。
本当に違う。
セレスティアは心の底から思う。
自分はそんなつもりで動いていない。
助ける気なんて、最初からない。
ただ、放っておくと余計に面倒になるから片付けているだけだ。
なのに。
どうして皆、そんな嬉しそうな顔をするのか。
「……納得いかない」
ぼそりと呟く。
「何がです?」
「悪女としての評価」
「まだ言ってるんですか、それ」
ルシアは半ば呆れていた。
「だっておかしいでしょう。普通、悪役令嬢って嫌われるものじゃない」
「あなたの場合、“嫌味を言いながら人助けする変人”なんですよ」
「最悪じゃない」
「ええ。かなり」
セレスティアは不満げに唇を尖らせる。
そのときだった。
前方の広場が、妙に騒がしい。
人だかり。
怒鳴り声。
ざわめき。
セレスティアは嫌そうに顔をしかめた。
「……嫌な予感」
「最近そればっかりですね」
近づくと、中央で数人の男たちが言い争っていた。
どうやら商会同士の揉め事らしい。
「だから契約は明日だと言っただろう!」
「口約束だったじゃないか!」
「先に確定しなかったそっちが悪い!」
「責任逃れする気か!?」
周囲も困った顔をしている。
止める者がいない。
止められないのだ。
最近の王都では、こういう光景が本当に増えた。
“最後に決める人間”が不足している。
セレスティアはその場を見つめ、そして心底嫌そうに目を逸らした。
「行きましょう」
「珍しいですね」
「今日は本当に疲れたの」
関わりたくない。
もう十分だ。
だが。
「セレスティア様……?」
誰かが気づいた。
終わった。
人混みがざわつく。
「え、あの方?」
「本物?」
「セレスティア様だ……!」
商人たちまでこちらを振り向く。
その視線を見た瞬間、セレスティアは理解した。
――ああ、駄目だこれ。
完全に“期待される側”の目だ。
「……帰りたい」
「さっきからずっと言ってますね」
ルシアは妙に楽しそうだった。
絶対性格が悪い。
商人の一人が恐る恐る口を開く。
「その……セレスティア様なら、どう判断されますか」
胃が痛い。
本気で痛い。
セレスティアは数秒黙り込み、それから低く言った。
「まず確認だけど」
「は、はい」
「双方、契約書は?」
沈黙。
「……まだです」
「馬鹿なの?」
即答だった。
周囲の空気が固まる。
「口約束だけで揉めてるの?」
「い、いや、その場の流れで……」
「流れで商売するんじゃないわよ」
容赦がない。
だが、その叱責に妙な説得力があった。
セレスティアは額を押さえる。
「ルールが曖昧なまま進めるから、後で責任問題になるの」
「……」
「決めるのが怖いからって、曖昧に逃げると、もっと面倒になるでしょうが」
商人たちはぐうの音も出ない。
そしてセレスティアは、大きくため息を吐いた。
「今回は半額ずつ負担」
「え」
「その代わり、次回以降は契約書を作る。第三者立会いも入れなさい」
一瞬の静寂。
それから、商人たちは顔を見合わせた。
「……それで、いくか?」
「ああ……その方が早いな」
まとまった。
また一瞬だった。
周囲から感嘆の声が漏れる。
「すご……」
「やっぱりセレスティア様だ……」
「頼もしすぎる……」
セレスティアは本気で頭を抱えたくなった。
「なんで毎回こうなるのよ……」
すると。
広場の端から、小さな拍手が聞こえた。
ぱち、ぱち、と。
場違いなくらい穏やかな音。
セレスティアが顔を上げる。
そこにいたのは、王太子だった。
人混みの向こう。
壁にもたれながら、こちらを見ている。
「……何してるの、あなた」
王太子は少し笑う。
「視察だ」
「嘘ね」
「半分は本当だ」
周囲がざわつく。
だが彼は気にした様子もない。
「随分、楽しそうじゃないか」
「見てたなら分かるでしょう。最悪よ」
セレスティアは即答した。
王太子は肩を揺らして笑う。
最近では珍しく、少し力の抜けた笑い方だった。
「だが、お前がいると回る」
その言葉に、セレスティアの眉が寄る。
「だから困ってるの」
彼女は静かに言った。
「私は“回す側”じゃなくなりたいのよ」
王太子は答えなかった。
ただ、しばらく黙ってから。
「……難しいな」
ぽつりと、それだけ言った。
夕陽が沈みかけている。
王都の空は赤く、長い影が石畳に伸びていた。
その中心に立つ少女は、相変わらず不本意そうな顔をしている。
なのに誰の目にも。
彼女はもう、舞台の外へ降りた人間には見えなかった。




