第99話「悪女は、人混みが嫌い」
地下通路を出た瞬間、歓声が上がった。
「いたぞー!!」
「セレスティア様だ!!」
「だから違うって言ってるでしょうが!!」
反射的に叫び返してから、セレスティアは頭を抱えたくなった。
もう遅い。
完全に見つかっている。
通路の出口は市場裏の小広場に繋がっていた。
昼下がりの人通りが多い時間帯だ。
当然、一人が叫べば十人が振り向く。
十人が振り向けば百人が集まる。
地獄だった。
「なんで増えてるのよ!?」
「人気者だからでは?」
ルシアが涼しい顔で言う。
「嫌味?」
「事実です」
嬉しくない。
まったく嬉しくない。
セレスティアは帽子を深く被り直す。
だが無意味だった。
むしろ“隠そうとしている怪しい美人”として注目度が上がっている。
「ほ、本物だ……」
「聖女様……!」
「拝んどこう」
「やめなさい!!」
なぜ拝まれる。
本当に意味が分からない。
セレスティアが顔を引きつらせていると、人混みの前列から小さな女の子が出てきた。
七、八歳くらいだろうか。
花を抱えている。
「セレスティアさま!」
嫌な予感がした。
「これ、あげる!」
差し出されたのは、小さな白い花束だった。
セレスティアは固まる。
受け取れない。
悪女として。
いや、人としてもなんか気まずい。
「……なんで?」
思わず口から出た。
少女はきょとんとしたあと、笑った。
「まえ、ママをたすけてくれたから!」
記憶を探る。
……覚えがない。
だがルシアが小さく耳打ちしてきた。
「以前、炊き出し騒動の時にいた親子ですね」
「ああ……」
あった。
そんなことも。
本人的には“混乱に乗じて嫌味を言いに行っただけ”だったのだが、なぜか感謝されていた案件だ。
セレスティアはしばらく花束を見つめ、それから深く息を吐いた。
「……ありがと」
受け取る。
瞬間、周囲がざわついた。
「受け取った……!」
「優しい……!」
「聖女様……!」
「うるさいわね!!」
もう本当に嫌だった。
そのとき。
人混みの後方で怒鳴り声が上がる。
「だから俺は反対だったんだ!」
「今さら言ってどうする!」
空気が変わる。
セレスティアは反射的にそちらを見る。
市場の一角。
二人の商人が激しく揉めていた。
周囲も困ったように距離を取っている。
「またですか」
ルシアが呆れたように呟く。
最近、本当に多い。
誰も決められず、小さな衝突が長引く。
「港への搬入順は先着順だろ!」
「だが今は共同調整期間だ!」
「だからって毎回会議してたら日が暮れる!」
周囲の商人たちも口を挟むが、誰も決定打を出せない。
セレスティアは眉をひそめた。
「……面倒ね」
「帰りますか?」
「帰りたい」
即答だった。
だが。
視線が集まっている。
期待するような目。
“この人なら何とかしてくれる”という目。
セレスティアはそれを見て、心底嫌そうな顔をした。
「なんで私を見るのよ……」
誰も答えない。
だが答えは分かっている。
今、この王都には“決める人”が足りていない。
そして最悪なことに。
この女は、それができてしまう。
「セレスティア様……」
ルシアが横を見る。
セレスティアは数秒黙り込んだあと、盛大にため息を吐いた。
「……二人とも」
商人たちが振り向く。
「港の第三搬入口、今朝から空いてるわよ」
場が静まった。
「は?」
「え?」
「大型船の遅延で一枠死んでる。そっち使えば両方入れられるでしょう」
沈黙。
商人たちが顔を見合わせる。
「……あ」
「本当だ……」
どうやら本当に空いていたらしい。
一瞬で解決した。
周囲から感嘆の空気が漏れる。
「すげぇ……」
「一瞬で……」
「やっぱり聖女様……」
「だから違うって言ってるでしょうが!!」
半泣きだった。
セレスティアは花束を抱えたまま頭を押さえる。
「なんなのこの国……」
すると、さっきの少年雑務係がぽつりと言った。
「でも、助かってますよ」
セレスティアは睨む。
「それが問題なの」
「え?」
「私がいると、“考える前に私を見る人間”が増えるでしょうが」
少年は困った顔をする。
「でも、全部一人で抱え込んでるわけじゃないですよね」
「……何が言いたいの」
少年は市場を見回した。
商人たちはもう自分たちで動き始めている。
搬入口の調整。
荷車の移動。
確認作業。
「最初の一歩だけ、なんじゃないですか」
その言葉に、セレスティアは少しだけ黙った。
風が吹く。
市場の喧騒が揺れる。
「……知ったようなこと言うじゃない」
「最近ずっと見てたので」
「怖いわね」
だが、不思議と悪い気はしなかった。
セレスティアは小さく息を吐き、それから踵を返す。
「帰るわよ、ルシア」
「はい」
人混みが自然と道を開ける。
その中を歩きながら、セレスティアはぼんやり思った。
自分は、本当に“不要”になれるのだろうかと。
悪女は本来、物語の途中で退場する役だ。
断罪されるなり、追放されるなりして。
なのに。
なぜか誰も、舞台から降ろしてくれない。
夕陽が王都を赤く染めていた。
その光の中を歩く彼女の背中を、街の人々は静かに見送っていた。




