毒血
アーロット達が来るのはもう明日。
ハルはお茶を何度も淹れなおしたり、料理の試作でこの一週間忙しい。
ティアも試食するが文句もないのに、ハル本人は納得いかないのか「まだ完璧じゃない」とか言ってる。
相変わらずの真面目っぷりだ。
いよいよ来るのは明日。
という日の朝。
「ハル、薬を飲んだら今日はもう採血するわ」
「…なんでだ?」
「本当なら明日が採血の日だけど、明日はアーロットが来るでしょ?今日でも明日でも血液に大差ないと思うし、今日みてみる」
まぁ、そういう事なら…と言われたとおり腕を差し出した。
自分の血液が目の前の注射器に入っていくのを見ると、なんか不思議な感覚になる。
「採れたわね。はい、これで止血して」
ティア様はこういうときはテキパキしてるんだよなぁ。
普段とのギャップもこの頃は強く感じて、これもなんか不思議な感覚になる。
「今日はあなたの血で何してるか、見てみる?」
「研究室、入っていいのか?」
「勝手にはダメだけど、毎回何してるか実際目で見て知る権利はあるからね。特別にね」
大人しくついていくと、ティアは首から紐で下げていた鍵を取り出した。
いつも何か首にかかっているのは、ここの鍵だったのか……。
秘密厳守というか、よっぽど大事にしている研究なんだろう。
「勝手に色々触ってはダメよ。危険なものもあるから」
いくつかの棚にはたくさんの書類や本が並び、床にも本が開きっぱなしで置いてある。
そして冷蔵庫もあった。
凄いな……。
乱雑に置かれた物なのに、全てが意味ありげに見えてくる。
ティアは丸椅子に座ると、針で自分の指先を刺して透明な板に血液を垂らした。
「よし、まずはこれを見てみて。これは顕微鏡というのだけど、血液の中の細胞成分が見えるの」
顕微鏡?
細胞成分…?
明らかに分かってないハルを見て、ティアは「細かいことはいいから」とハルを無理やり丸椅子に座らせた。
「ここに片目を合わせて、反対の目は閉じてみて」
「……なんだこれ。赤いものがたくさん見える」
「そう、それは血液の細胞成分。それは人間誰しも持ってるものだから、それじゃなくて…。他に何か見えない?」
ハルはもう一度覗き直した。
これのことか?
赤い丸い物体の他に、明らかに棘のようなものがびっしり生えた虫みたいな物体が、微かに動いている。
「なんか…気持ちわりぃな」
「棘が生えたもの見えた?それがおそらく毒なのよ」
ティアはハルの隣から顕微鏡を覗き込む。
「正体は正直分からない。でも魔王の毒はもう魔法ではないのよ。こうやって、私の血液の中を毒が荒らしてる」
顕微鏡から目を離したティアは自分の血液の上に、さっき採ったばかりのハルの血液を一滴垂らしてみた。
「…もう一度、見てみて」
ハルは言われた通り顕微鏡を再び覗き込んだ。
ティアの血液の中に、また形が違う物体が現れた。
歪な形をした球体、とも言うべきか。
やがてその球体に毒と思われる物体が近づく。
「…飲み込んだ?いや、吸収した?」
「見せて。……そうね、今見た通り。あなたの血液に混ざっていた薬の成分が、毒と思われるものに負けた瞬間ね」
「ということは…今回の薬もダメだったということか…?」
ティアは無言で頷いた。
別に悲観している表情でもない。
それがやけにハルに気まずさを誘った。
「この毒は、私が考えるに魔力で抑え込むと動きが鈍くなる。でも魔法を使えば、どんどん増えていくと考えてる」
「…悪いが、俺には少し難しいみたいだ」
ハルは椅子から立ち上がった。
ティアはいつもと変わらずクスッと笑った。
「だよね。こんなもの、本来なら一般人は見ることないもの。でもなんとなく、何が起きてるかは理解できたかしら?」
「あぁ。これからどうするんだ?」
ティアは椅子にかけて、違う透明の板にハルの血液を垂らした。
そして再び顕微鏡を覗き込む。
「そうね…。例えばあなたの血液に何かの薬品を足したら薬の成分が活発化するかとか、かな」
ティアの横顔はもう真剣そのものだ。
白衣も着てるし、こうやって改めて見ると本物の研究者なんだなって実感できる。
「なぁ、レモン水持ってくるか?」
「うん、お願い」
ティアは顕微鏡から目を離さない。
こうなったらまた前回みたいにしばらく研究室から出ないだろう。
ハルは静かに部屋を後にする。
「変な女なのにな…。やっぱり本当は凄い人なんだよな」
本人に言うと、今更?当たり前でしょ!とか茶化しそうだから言わないけど。
自分は言われた薬を飲むことしかできないからなぁ……。
「うし!明日のために、俺も料理の仕込み頑張るしかねぇな」
みんなに食べてもらって、ハルの料理すごく美味しいでしょ?
自慢なんだーって言ってるティアが目に浮かぶ。
ハルはキッチンに立ちながら料理本を読み返していた。
まだ買ってもらってから二週間しか経ってない本は、毎日めくりすぎて早くも折れ目ができている。
次王都行ったときには本屋にでも行くかな…。
肉料理は一つでもいいか?
肉だから朝仕込むか。
野菜は今のうちに切れるものは切っておいて、スープは煮込むのに時間がかかるから今日のうちにやっておくか。
全部で四人分でいいんだよな…。
みんなどれだけ食うか分からねぇけど、足りないよりはマシか。
パントリーを見渡して食材の最終確認をしておく。
アーロットさん以外は初めて会うな…。
どんな人達なんだろう。
少し緊張する。
もう季節は暑い日が続く。
レモン水もいつもより多めに作っておこう。
とりあえず、今日の夕飯は軽めのスープに村人から貰った干し魚焼いてみよう。
「よし、やってやる」
ハルはエプロンの紐をきつく巻き直した。
やがてティアは、予想通り夕方の日も落ちかける頃に出てきた。
「ハル〜。疲れたー、お腹空いたよ〜」
「はいはい、もう少しでできるって」
グラスに冷えたレモン水を注いでティアの前に置く。
それを彼女は一気に飲み干す。
「……はぁ〜。やっぱりこれだよねぇ」
……酒飲んでるオッサンと同じじゃねぇか。
「いつもの匂いと違う。なに焼いてるの?」
「見れば分かる。……ほら」
身からホカホカと湯気が出てる。
「うわ、魚じゃん!これどうしたの?」
「村の人からお裾分けって干し魚貰った。スープもあるからな」
「いだたきまーす」
ティアはハルが話してる途中で勝手に食べ出す。
「…熱い。美味しい。まだこれあるの?」
ティアがハフハフと口から蒸気を出して喋ってるのが面白い。
ハルは呆れ顔でティアの正面に座った。
「ニつしか貰ってないからもうない。…でもこれ、俺の半分やる」
「え、なんで?ハルの分は?」
「今日はいいんだよ、そんなに腹減ってない。疲れてるあんたにやる」
ティアはハルの顔をじっと見つめた。
「どうしたの?体調悪い?」
「違うから。いいから早く食えって」
まさか明日の仕込み分で腹膨れたなんて恥ずかしくて言えねぇよ。
ティアが嬉しそうに頬張る姿を見て、ハルの緊張は少しほぐれた。
顕微鏡はいつからあるのだろうと調べました。
1590年頃オランダで発明されたと言われているそうです。
子供の頃は当たり前のように授業で見ていたけど、とても歴史が深いものなんですね。




