至近距離
「ハルー!ちょっと、こっち来て!」
研究室からティアが呼ぶ声がする。
あれからなぜか、ハルではなくてティアが数日間自分で作った薬を飲んでいるようだった。
もちろん、何かあったときにすぐ対応できるよう、ハルは畑仕事にも行かず毎日家で過ごしている。
「なんなんだ?」
研究室に顔を出すと、ティアが顕微鏡を覗きながら手招きしている。
「面白いものが見れたの。あなたも見てみて」
ティアが椅子から退いて、ハルに座るよう促す。
これ、顕微鏡とやら。覗くのはかなり久しぶりだな……。
見たのはもう一年前くらいだった気がする。
言われるがまま、顕微鏡に目を当てる。
「相変わらず、気持ち悪い絵だな…」
「まぁ、そうよね。赤血球って覚えてる?」
「確か、この赤くて丸いやつだよな。……ん?何かくっ付いてるな」
「そう、それそれ。よく見てて」
隣には前回も見た、毒と思われる成分がいる。
しばらく観察していると、毒が赤血球を攻撃し始めた。
「なんだこれ?隣の刺々してる奴が、赤血球を壊してるぞ」
ティアはハルの肩をポンと叩く。
「私に毒草が効かなかったのはね、そういうことなのよ。魔王の毒がおそらく、毒草の効果を消していたの」
ハルは顔を上げて、しばらく思案した。
「……あのよ、この赤血球とやらが攻撃されてるのは大丈夫なのか?」
ぎくっ。
ティアは背中を向けて、誤魔化すように何やら本をめくる。
「……えっと、最近ちょっと貧血気味かもとは思っていたけど…。でも、何が効いて効かないかは毒草飲まないと分からないし……」
「おい…。飲むのもう止めろ」
「ダメよ!赤血球が全部破壊されるのなら問題だけど、毎日観察してたら少しだけだもの」
ハルはため息をついた。
「体壊したら元も子もないだろうが。俺の血液でどうにかならないのかよ」
「ダメったらダメ!私が飲んだほうが観察も捗るのよ!」
「うるせえな!あんたを治すために俺がいるんだろ!」
「そうだけど!そういう問題じゃないの!」
研究室に怒声が響き渡る。
二人ははぁはぁと息を切らした。
ティアは腕を組んで椅子にどかっと座る。
「……分かったわ。なるべくハルの血液で観察できないか試してみる。でも!新薬ができたときは、一度私も飲んで試してみるから!」
「…俺の見てないところで、勝手に飲むんじゃねぇぞ」
「はいはい…。全く、ほんとに心配性ねぇ」
ハルは無言で研究室を後にした。
なんか、むしゃくしゃする。
給金貰ってる身だけど、俺が過剰に心配しすぎなのか?
仲間を心配するのは普通のことじゃないのかよ。
いつものように庭に出て、木の棒を適当に拾って木に打ち付ける。
構えを意識していたが、力任せだったからなのか棒が音を立てて折れた。
「……なんか、だせぇな俺…」
俯いていると、土を踏む音が聞こえて振り返った。
ティアが、後ろで手を組みながらモジモジと歩いてくる。
「ハル…。怒ってる?」
「いや、別に……」
怒ってるわけじゃない。
でもこの感情を、どうやって言葉にしたらいいのか分からない。
「私、心配されるの本当に慣れてなくて…。分かってるのに、その場ではすぐ聞き入れられないのよ。みんなにも、今まで何回も言われたわ」
「……なんてだ?」
「君は、自分を犠牲にしすぎてるって。そんなつもり、ないんだけど…。でもハルから見ても、きっとそうなのよね」
ティアは俯きながら、なんとも言えない悲しそうな顔だった。
ハルは彼女に向き直った。
「俺はティア様と過ごしてまだ一年くらいだが……あんたがそういう人だってもう分かった。…明日からも、何度でも言うからな」
ティアはぱっと顔を上げる。
「許してくれるの?」
「だから、怒ってねぇって。でも、もう少し自分のことも考えろよ」
ハルは照れ臭そうに、顔を背けて頭を掻いている。
反対の手を、ティアは掴んでぐいぐい引っ張った。
「どこ行くんだよ」
「今日はもう、研究はお休みするわ!ドーナツでも買いにパン屋に行きましょ」
ティアはそのまま、ハルの腕に自分の腕を組む。
彼は咄嗟に腕を引こうとした。
「おい、腕…」
「だから、私貧血気味なの。倒れないように、ちゃんと支えなさい」
ハルはため息をついた。
相変わらず強引だな。
まぁ、いいか。
数日後には、次は痺れ草を使った薬が完成した。
「一度私が先に飲んでみるわ。と言いたいところだけど……。残念ながら壊された赤血球はすぐに回復しないの。だから、ハルが一度飲んでみてちょうだい」
隣にはまた、解毒薬も一緒に置かれている。
そして、研究室から持ってきた顕微鏡などもテーブルに用意されていた。
「分かった。これは体全体が痺れるって認識であってるよな?」
ハルの言葉にティアは頷く。
「よし……」
気合いを入れて一口で飲み切る。
前回ほど不味くはない。
「多分、元々の効能ですぐには症状が出ないの。今のうちにソファでリラックスしてて」
ティアがグラスに水を入れて、解毒薬と一緒にソファ前のローテーブルに移動させた。
ハルは言われた通りに移動して、体をソファに預けた。
その隣にティアも座る。
体全体が痺れるってどんな感じなんだ?
痛くて体が動かしづらいとか、その程度じゃないのか?
じわじわと、手足の末端に違和感が出てくる。
指を開いたら閉じたりするのは、もう難しそうだ。
ハルの違和感に気付いて、ティアは顔を覗く。
「効いてきた?ごめん、採血だけさせて」
まだ腕は硬直してなさそうだ。
彼の腕を取って、針を刺していく。
血液が入った注射器を丁寧に袋に入れて、ティアは解毒薬をハルの口元に近付けた。
「麻痺が進行したら、飲み込むのも難しくなるわ。今のうちに飲めるわね?」
「ん。早く、してくれ」
指の動きを見ると、グラスを自分で持つのはもう難しそうね。
でも、ハルの座高が高すぎて、隣に座った状態では飲ませるのも難しいわ。
どうしようか悩んでいると、玄関からノック音がする。
「村の人かしら?悪いけど、今それどころじゃないのよ。ハルちょっとごめんね。よいしょっと」
ハルと向かい合うように膝の上に跨いで、腰を下ろす。
「んー!んー!」
「こら、じっとしなさい。顔を少し上げて」
グラスをハルの口に当てて、ゆっくりと解毒薬を傾ける。
全部飲みきったところで、リビングの扉が開いた。
「ティア、いないのか?………お前たち、何してるんだー!」
アーロットが見た二人の姿は、ティアがハルの上に跨り顔を近付けあっていた。
リアムはきゃー!と声をあげて手のひらで顔を覆っている。
ダリルは無言で短剣を引き抜いた。
「あら?みんなだったのね。なにって、ハルに薬飲ませてたのよ」
ハルは僅かに首を振りながら、三人に目で訴えた。
「だからって、そんな体勢で飲ますやつがあるか!」
「ちょっと、アーロットなに怒ってるの?」
ティアはハルの膝から退いた。
代わりにダリルがハルの隣に座って、短剣をちらつかせている。
ハルは出来る限り必死に首を振った。
「ダリルもなにしてるのよ?まぁ丁度いいわね、今痺れ草の解毒薬を飲ませたところだから、様子を見てあげて」
「痺れ草?なんでそんな物を……」
ティアはさっさと顕微鏡を目の前にして座った。
注射器を取り出して、レンズを覗きながらアーロットに答える。
「魔王の首飾り、魔力で破壊できたでしょ?それを参考にして、毒草を試しているのよ」
「なるほど〜、毒草ね。ハル、そりゃ大変じゃん」
リアムがティアの隣に座る。
彼女からの返事はもうない。
集中している証拠だと皆が分かった。
アーロットがへなへなと、ティアの向かい側に座り、ダリルも短剣を静かに収めた。
しばらくして、ようやくハルが口を開いた。
「お前なぁ…!急に短剣突きつけるとか、おかしいだろ!」
「やむなしだ。あんな光景を見させられた俺の気持ちも考えろ」
「俺は被害者側だっての…。それで、久しぶりにどうしたんだ?」
ハルはようやく体の自由が利いて、コーヒーを淹れる準備を始める。
「魔物増加の件が片付いて、あれから平和だったんだが……。違う問題が出てきたから、報告しに来たんだよ」
アーロットが答える。
ハルは全員の目の前に淹れたてのコーヒーを置いた。
アーロットとリアムが、「ありがとう」と呟いて一口啜る。
「それで、どうしたんだよ」
「以前は魔物から身を守るために、商人が護衛を雇っていたのを辞めたのさ。それをいいことに、盗賊団が狙っている」
ティアの近過ぎ問題、ハルは振り回されっぱなしです笑
よく見る、キャラクター同士の関係を矢印で表した相関図も、本当は公開できたらいいのですが。




