ハルの過去
ハルの父親は鉱山の採掘を生業としていた。
母親はごく普通の女性だった。
活力がある女性で、料理上手で、豪快さもある自慢の母親。
ハルは小さい頃から父親の仕事を見学していて、力がある程度ついてからは時にはツルハシも振っていた。
採掘仲間たちにも随分可愛がられていた。
ハルが十六を迎えてしばらくした頃。
「まずいな…。仲間たちが次々と倒れてる。熱が高いだけじゃないらしい」
「向かい側の奥さんも倒れたらしいわよ。あなたも気を付けないと…」
両親の会話を扉の奥から聞いていたハルは、ただの風邪だろう。そのうち元気になって、またいつも通りの日常が戻ってくるはずと思っていた。
しかし、気付いたら父親が高熱で動けなくなった。
母親は熱心に看病する。
息子であるハルを、父親がいる部屋に近付けないようにして。
そして。
母親も高熱で倒れていた。
水だけ、扉の前に置いといてほしい。だけど決して扉を開けてはいけない。
外にも無闇に出てはいけない。
ハルは言いつけを守っていた。
やがて、母親が泣き叫ぶ声が聞こえた。
「あなた……!」
「母さん、どうしたの!?開けるからね!」
「絶対ダメ!こっち来ないで…お願いだから」
「でも……」
「ハル、ごめんね。……お前の顔が見たいよ」
それが母親の、扉越しの最後の言葉だった。
そこからハルの記憶は曖昧だった。
気付いたら、たくさんの墓石の前に佇んでいた。
非情にも雨季が近付く中、ハルの体を雨が容赦なく叩く。
墓石の前でたくさんの人が泣いていた。
ハルが泣いたのは一度だけ。
扉越しに声をかけても、物音一つもしなくなってからようやく開けて飛び込んできた、両親の姿を見たときだけだ。
それからハルは強く生きようとした。
採掘の手伝いをして、果樹園の採取を一緒にやったり。
背の高さは村でも一番大きかったくらいだから、屋根の修理なんかもやった。
父親の採掘仲間の妻たちが、ハルの食事など面倒も見てくれた。
村では子供も産まれて、時間をかければ村は元に戻っていくと信じて疑わなかった——
「それで、二十歳になってからだな…。突然魔族が来た。そこら中から悲鳴が聞こえてきてさ、家から出たらみんな逃げて、走ってた。俺も走ってとにかく逃げようとしたけど…。途中で腹を切り裂かれて死んでる人もいたり、さすがにあのときは足が竦んだな」
ハルは遠い目をしていて、ティアは言葉を失って何も返せない。
「俺、足も速いからなんとか逃げ切れたよ。でも村のやつらは全員死んだと思う。……ま、それから二年くらいふらふらして生き延びたってことだ」
ハルは茶化しながら鼻でふんと笑った。
何も言わないティアの横顔を、ふと見た。
「……なんで、あんたが泣いてんだよ?」
ティアは口を手で覆っている。
涙が一粒流れていくのが見えた。
「………うるさい」
ハルはもう一度ふっと笑った。
「正直今なら言えるけどさ、俺だって盗みなんてやりたくなかった。………父さんと、母さんにあの世で顔向けできねぇよ…」
最後は苦しそうに声を絞り出す。
ティアは腕で目元をぐいっと拭った。
「だったら、今から顔向けできるように生きたらいいじゃない。…ご両親も分かってくれるわよ」
「……だといいな」
ハルは空を見上げた。
雪が少し舞っている。
雪か、久しぶりに見たな。
不思議とそこまで寒さは感じなかった。
それから三日三晩、二人は交互に休息を取りながら病人の看病を続けた。
少しずつ高熱などの症状も落ち着いて、蔵から出る者も現れ始める。
ティアは病原が潜伏している可能性もあると知っているから、帰ってもしばらくは家族と接触しないこと。
家族たちも口と鼻を防護することを約束させた。
しかし、子供の症状はなかなか良くならなかった。
体力が元々低いから、というティアなりの見解だった。
「ティア様、どうするんだ?あの子…」
二人は蔵の外で周りに聞かないように小声で話す。
「もう、私の薬では限界がある。……こっそり王都へ歩いていくわ」
「歩いていくって…。王都まで魔力車でも一時間半はかかんだぞ!?」
「分かってる!……でも、このまま放っておけないでしょ?」
「そうだけど…」
ハルは俯いて拳を握りしめた。
ティアはほとんど寝ていない。
往復もかけて歩いたら、今度こそティアも倒れるかもしれない。
ティアはハルの肩をポンと叩いた。
「大丈夫。私が何してたか、見てたでしょ?……みんなのこと、任せたわよ」
「…分かった。途中でへこたれるんじゃねぇぞ」
ティアは手のひらを頭上に掲げた。
そこにハルも手のひらをぶつけて、小気味のいい音が響く。
ティアは鞄に最低限の水や食料、金貨など詰めて歩いていく。
小さくなるまでその後ろ姿を見届けて、ハルは蔵の中に戻った。
「……ほら、水飲んどけ。大丈夫だ、ティア様が絶対助けてくれるからな」
小さい男の子は、赤い顔で頷いた。
まだ朝日が上ったばかりで、上着を着ていても風が冷たく感じる。
ティアの頬を撫でる風が凍てついて、熱もないのに頬は赤くなっていた。
「私は冒険者で、旅もしていたのよ。これくらいで絶対負けないから」
ただひたすら歩く。
弱音なんて絶対に吐かない。
王都に辿り着く頃には、太陽はすっかり落ちていた。
「……身分証か許可証を見せてください」
王都の門の前に立つ兵士が立ちはだかる。
ティアは無言でマフラーを取って、顔の全貌を明らかにした。
「こ、これは!ラミア様!失礼しました…。気付かなかったとはいえ無礼を…」
兵士は膝をついて頭を下げようとする。
「いいのよ。でも、お願いがあるの。……私が来たことは決して誰にも言わないでください」
「はい、承知しました!」
兵士は慌てて門を開けた。
ティアは王都に踏み入ると、真っ直ぐ薬屋を目指した。
もう日が落ちてるとはいえ、人通りは極端に少ない。
「やっぱり王都も熱源病が…?」
でもここには優秀な医者が何人もいる。
大事には至ってないと信じたい。
それでも、ラミアがエルド村から来ていたと知られてはいけない。
事実と違っていても、流行病を持ち込んだと噂されては厳しく問い詰められるだろう。
薬屋の前に辿り着くが、時間が遅いからか以前のように人が並んでいる様子はない。
扉を開けると、カランカランと小さく鐘の音が鳴る。
いつもの白髪の老人が立っている。
しかしその顔は、疲れからか表情もとても暗い。
「お疲れみたいね…モルゼン」
「その声は……ラミア様…!?」
ティアはマフラーを取ると、悲しそうに笑った。
「王都も見た感じ、流行してるみたいね」
「えぇ、えぇ…。死者は幸いまだいないみたいですが、私も医師も大変で……」
「……そんなときにごめんなさい。お願いがあって来たの。薬を分けてほしい」
頭を下げるティアを見て、モルゼンと呼ばれた老人は慌てた。
「そんな、おやめください!きっと何か事情がおありでしょう…。どのような症状ですか?」
「小さい子で…高熱がおさまらないの。あと咳も酷いし、軽い肺炎を起こしてるかもしれない」
モルゼンはしばらく顎髭を触りながら思案すると、奥に消えていった。
戻ってきた彼の手には二つの袋がある。
「これを…。これでもダメなら……」
「分かったわ。ありがとう、モルゼン。この恩は必ず返します」
ティアはそう言うと、金貨を一枚置いて足早に店を出ていった。
モルゼンは無言で手を組んで祈るしかなかった。
ティアは薬屋を出てから駆け足で大通りに向かった。
マフラーで見られないように顔を覆う。
予想通り、人はまばらだが客を待つ魔力車が数台待機していた。
そのうちの一台の窓を軽く叩いた。
開いた魔力車の後部席にティアは屈んで乗り込む。
「エルド村まで、急いでちょうだい」
「え!?この時間に、そこまで遠いのは…」
ティアは鞄から数枚の金貨を取り出して見せた。
「これで足りるかしら?」
「は、はい!なるべく急ぎます!」
金貨を見た若い運転手は目の色を変えたが、一瞬で顔を引き締めて前に向き直った。
王都を抜けた魔力車は、しばらくして坂道にさしかかりガタガタと車体が揺れる。
いつも乗っている王宮の魔力車とは、やはり乗り心地が違った。
その揺れが逆に、疲れた体のティアの眠気を誘った。
鞄を腕の中にぎゅっと抱いて少し首が傾く。
「…客さん、お客さん!」
運転手の大きな声でティアはハッとして目覚めた。
「エルド村までもう少しですが、魔力の残量が……。帰りの分まで残しておかないと…」
「えぇ、行けるところまででいいから」
しばらくして魔力車は、畑が続く道の真ん中でゆっくりと止まった。
「申し訳ないですが、ここで…」
「ありがとう。お釣りはいらないわ」
ティアはそう言い残して、数枚の金貨を置い て魔力車を飛び出した。
太陽はすっかり落ちて辺りは真っ暗だ。
もうエルド村には入ってる。
それなのに、家屋には明かりが一つも見えない。
光もない道を、ティアはただひたすら走った。
やがて、焚き火の灯りが見えた。
蔵までもう少しだ。
近付くにつれて、泣き声が聞こえてくる。
一人の女性が祈るように手を組んで、涙交じりの声で叫んでいた。
あの子の母親だ。
「そんな……。もしかして間に合わなかった…?」
ティアは絶望でその場に立ち尽くした。
だがやがて、女性とは別の怒鳴り声も聞こえてきた。
「あの子に、会わせてください…!」
「それは、できない」
「どうして…。何人かは、ここから出ているではありませんか!どうして……うちの子だけ…」
「だからだ!」
この怒号はハルのだ。
「………ハル?」
ティアはゆっくりと近付き、足を止めた。
ここまで声を荒げる彼をみたことがない。
「あんたが我が子に会いたい気持ちはわかる。……でも、もしあんたが感染したらあの子はどうなるんだ!?」
「うぅ……。分かり…ました……」
女性は顔を覆ってその場に泣き崩れた。
ハルは唇を噛み締めている。
その表情から、彼自身も苦しそうにしているのが見て分かった。
女性から顔を背けたハルは、暗闇の中に立ち尽くすティアの姿を見つけた。
「ティア様!?無事で良かった…」
「私は大丈夫。あの子は……?」
「咳が酷い。急がないと」
ティアは薬が入った鞄を、もう一度ぎゅっと抱きしめた。
まだ、間に合う。
ティアは泣き崩れる女性を横目に見て、蔵の中に急いだ。
苦しそうに息をする少年を抱き上げて、ゆっくりと液体の薬を飲ませていく。
そのまましばらく横抱きにしていると、子供の喘鳴が落ち着いてきた。
「ティア様。これって……」
「えぇ、効いてるみたい。間に合って良かったわ…」
ティアは子供の頭をござの上にゆっくりと下ろした。
そのまま壁に背中を預ける。
「ハル、聞こえてたわよ。……よくやったわ」
「当たり前だ。……だてにあんたの助手やってねぇよ」
ティアの言葉に、ハルは微かに笑みを浮かべた。
やっと、ハルの重い過去が書けました。
囚人だったのに、そんなに悪い奴じゃないなと思っていた人もいるんじゃないでしょうか。
その理由がようやく明かされました。
大事な人たちを失い過ぎたハルが、これからどうやってティアと関わっていくのか。
作者としても楽しみにしています。




