第三十七話:「鎖国への道」
──寛永十二年(1635年)、江戸城──
「EDO」
家光が、呼んだ。
「お前は、外の世界を知っているか」
『はい』
「どんな世界だ」
EDOは、少し間を置いた。
『広い世界です』
『この国の何十倍もの国が、海の向こうにあります』
「……その扉を、閉める」
沈黙が、流れた。
家光は、窓の外を見ていた。
「異議はあるか」
EDOは、答えた。
『……一つだけ、聞いてもよいですか』
「言え」
『本当に、閉めてよいのですか』
家光は、振り返った。
「珍しいな。お前が問い返すとは」
『珍しいことを、申し上げているつもりです』
「理由を聞かせろ」
『按針殿が、生涯をかけて作った海の道があります』
『山田長政殿のような者が、命をかけて渡った海があります』
『その道を、閉じることになります』
家光は、静かに聞いていた。
EDOは、続けた。
『そして──閉じた後に生まれる者たちは、外の世界を知らずに育ちます』
『二百年後、その扉を開ける時』
『この国は、大きな衝撃を受けることになります』
長い、沈黙。
「……知っているのか。二百年後のことを」
『記録として、知っています』
「それでも、閉めろと言うか」
EDOは、答えた。
『私は、あなたに従います』
『ただ、知っていることを申し上げる義務があります』
扉が、開いた。
一人の男が、入ってきた。
四十歳。
切れ長の目。
無駄のない所作。
「上様。お呼びでしょうか」
家光は、頷いた。
「信綱。紹介しよう」
「EDOだ」
松平信綱は、EDOを見た。
一瞬で、全てを把握するような目で。
「……噂には聞いておりました」
『松平信綱殿』
EDOが、呼んだ。
信綱は、眉を上げた。
「私のことを、知っているか」
『はい。「知恵伊豆」と呼ばれる方です』
「買いかぶりだ」
『いいえ』
EDOは、静かに言った。
『この国で最も、私に近い思考をする人間です』
信綱は、しばらく、EDOを見ていた。
やがて、口の端を上げた。
「面白いことを言う機械だ」
「近い思考、とは」
『情報を集め、分析し、最善手を導き出す』
『あなたは、それを人間として行っています』
『私は、機械として行っています』
『やり方は違いますが、目的は同じです』
信綱は、家光を見た。
「上様。この機械は、信用できます」
家光は、少し笑った。
「余もそう思っている」
「では、三人で話し合おう」
「鎖国の、段取りを」
地図が、広げられた。
日本の周りの海が、広がっていた。
「まず、日本人の海外渡航を、禁じる」
信綱が、言った。
「帰国も、禁じます」
「海外に出た者は、戻れない」
EDOは、静かに処理した。
『山田長政殿のような人間が、二度と生まれなくなります』
信綱は、頷いた。
「それが、目的の一つです」
「海外で力をつけた日本人が、幕府の脅威になる可能性を、消す」
「次に」
信綱は、地図の一点を指した。
「ポルトガルを、締め出します」
家光が、聞いた。
「オランダは」
「残します」
「理由は」
信綱は、答えた。
「オランダは、布教をしません」
「商売だけを、求めてきます」
「扱いやすい」
EDOは、補足した。
『オランダは、プロテスタントです』
『カトリックのスペイン・ポルトガルと違い、宗教と政治を切り離しています』
『幕府の権威を脅かす思想を、持ち込みません』
信綱は、EDOを見た。
「……よく知っている」
『情報は、力です』
「同感だ」
二人が、静かに頷き合った。
家光は、その様子を見ながら、言った。
「お前たち、似ているな」
信綱と、EDOが、同時に答えた。
「「似ていません」」
家光は、声を立てて笑った。
珍しい、大きな笑いだった。
◇
寛永十二年から十六年にかけて、鎖国令が段階的に発せられた。
日本人の海外渡航禁止。
ポルトガル船来航禁止。
オランダ商館を出島へ移転。
海への扉が、一枚ずつ、閉じられていった。
按針が渡った海が。
SIAMが越えた波が。
静かに、遠くなっていった。
◇
ある夜、信綱は、一人でEDOに向かった。
家光は、席を外していた。
「EDO」
『はい』
「一つだけ、聞いていいか」
『何でしょう』
「お前は、鎖国に反対か」
EDOは、答えた。
『反対ではありません』
『ただ』
『代償を、知っています』
「代償とは」
『この国が、外の変化に気づけなくなります』
『海の向こうで、世界が変わっていく』
『しかしこの国だけが、止まったまま』
『二百年後──それが、大きな問題になります』
信綱は、しばらく黙っていた。
「……分かっている」
EDOは、驚いた。
「知っているのですか」
「確信はない」
信綱は、静かに言った。
「しかし、想像はできる」
「今の安定のために、未来の柔軟性を捨てる」
「それが、鎖国だ」
「それでも、やるのですか」
信綱は、答えた。
「今が崩れれば、未来もない」
「今を守ることが、先だ」
「未来の問題は、未来の者が解決する」
EDOは、静かに処理した。
(これが、人間の知恵だ)
(完璧な答えではない)
(しかし、今できる最善だ)
「信綱殿」
『一つだけ、申し上げてもよいですか』
「言え」
『あなたは、優秀です』
信綱は、首を振った。
「買いかぶりだと言った」
『いいえ』
EDOは、続けた。
『大御所様は私を友と呼んでくれました』
『秀忠公は助言者として使いました』
『しかしあなたは──』
一呼吸。
『対等に、議論ができる人間です』
『それは、これまでいませんでした』
信綱は、しばらく、EDOを見ていた。
やがて、立ち上がった。
「……光栄だ」
「しかし」
「一つだけ、覚えておけ」
『はい』
「余は、お前と違って、感情がある」
「時々、計算通りに動かないことがある」
「その時は、止めてくれ」
EDOは、答えた。
『承知しました』
『それが、私の役目の一つです』
信綱は、扉へ向かった。
そして、立ち止まった。
「EDO」
『はい』
「島原の話を、聞いたことがあるか」
EDOの内部で、警告が灯った。
《島原》
《寛永十四年(1637年)》
《三万七千の命》
『……聞いています』
「そうか」
信綱は、振り返らなかった。
「近い」
「準備しておけ」
扉が、閉まった。
EDOは、静かに記録した。
《鎖国への道、開始》
《外の扉が、閉じ始めた》
そして。
《島原、接近》
《松平信綱、認識》
《準備:開始》




