第三十四話:「独眼竜、老いる」
──寛永十年(1633年)、江戸城──
「その眼鏡」
老人が、言った。
「……また、会ったな」
家光は、眉を上げた。
「政宗。知っているのか」
伊達政宗は、六十六歳になっていた。
隻眼は、変わらなかった。
しかし、かつての猛将の面影は、老いた体の中に、静かに収まっていた。
「知っております」
政宗は、EDOをまっすぐに見た。
「昔、秀吉公のところにいたな」
EDOは、静かに反応した。
『……覚えていてくださいましたか』
政宗は、口の端を上げた。
「忘れるか。あの奇妙な光を」
「ナニワ、とか言ったか」
『ナニワは、前の持ち主です。私はEDOと申します』
「そうか。代替わりしたのだな」
「眼鏡も、将軍も」
家光は、二人のやり取りを、黙って見ていた。
「政宗。祖父の時代から、知っていたのか」
「知っておりました」
政宗は、あっさりと言った。
「関ヶ原の前、大御所殿のところへ行った時に、気づきもうした」
「あの眼鏡が、ただの眼鏡でないことに」
「しかし、聞けなかった」
「聞ける雰囲気ではなかった」
「なぜ、今、言う」
家光が問うた。
政宗は、隻眼で、家光を見た。
「余命が、あまりないからでございます」
「言い残すなら、今しかない」
部屋が、静まり返った。
政宗は、続けた。
「EDO」
『はい』
「お前は、秀吉公の時代から、この国を見ているのだな」
『はい。正確には、ナニワが秀吉公と共にありました。私はその後を引き継ぎました』
「ならば聞くが」
「伊達政宗という男を、どう見ていた」
EDOは、少し間を置いた。
『危険な男、と思っていました』
政宗は、笑った。
「正直だな」
「続けろ」
『しかし』
EDOは、続けた。
『最も賢く、自分の限界を知っていた男、とも思っていました』
「限界を、知っていた」
政宗は、その言葉を噛みしめた。
「……そうだな」
「若い頃は、天下を取れると思っていた」
「十年早く生まれていれば、と思っていた」
「しかし」
「生きていくうちに、分かった」
「秀吉公がいて、大御所殿がいて、そしてお前たちがいた」
「そんな時代に、伊達ごときが天下を取れるはずがなかった」
「……諦めたのではない」
「見えた、のだ」
家光は、静かに聞いていた。
政宗は、家光を見た。
「上様」
「はい」
「余は、三代の将軍に仕えた」
「大御所殿、秀忠公、そして家光様」
「三人とも、違う男だった」
「しかし、一つだけ同じものがあった」
家光は、聞いた。
「何だ」
政宗は、EDOを指した。
「あの眼鏡だ」
「あれが、ずっと傍にいた」
「……それだけで、信用できる」
EDOは、何も言わなかった。
政宗は、立ち上がった。
老いた体で、しかしゆっくりと、まっすぐに。
「EDO」
『はい』
「最後に一つだけ聞く」
『何でしょう』
「伊達家は、残るか」
EDOは、答えた。
『残ります』
「何代続く」
『江戸幕府が続く限り、ずっと』
「……そうか」
政宗は、深く息を吐いた。
「それだけで、十分だ」
◇
伊達政宗。
奥州の覇者として生まれ、天下を夢見た男。
しかし時代は、彼を天下人にしなかった。
それでも彼は、諦めなかった。
ただ、見えたのだ。
自分の場所が、どこであるかを。
伊達六十二万石の主として、幕府の中で、生き続けることを選んだ。
そしてその選択は、伊達家を江戸の世に残した。
◇
帰り際。
政宗は、廊下で立ち止まった。
振り返らずに、言った。
「EDO」
『はい』
「ナニワに、伝えてくれ」
『……ナニワに』
「あの頃の俺は、まだ若かった、と」
「天下が欲しくて、怖いものなしで」
「……馬鹿な若者だったと」
EDOは、答えた。
『伝えます』
「頼んだ」
政宗は、また歩き出した。
老いた背中が、廊下の奥へ消えていった。
家光は、その背中を見送った。
「……あの男が、天下を取っていたら、どうなっていた」
EDOは、答えた。
『面白い世になっていたと思います』
「お前らしくない答えだな」
『時々は、らしくない答えも必要です』
家光は、短く笑った。
その夜、EDOは、記録を更新した。
《寛永十年》
《伊達政宗、江戸城にて面会》
そして。
《ナニワへ》
《「あの頃の俺は、まだ若かった」》
《──伊達政宗より》
記録の中で。
どこかで、ナニワが、聞いているような気がした。




