第三十二話:「暹羅の日本人」──もう一つのAIを手にした男──
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秀忠の死の数年前、
22XX年の極東先進都市・藤宮研究所から
NANIWA計画の先行転送実験で送り込まれた
3体のAI装置のうちの一体の機器が
その物語を終えようとしていた。
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──慶長5年(1600年)、駿河湾沖──
嵐の夜だった。
朱印船が、激しく揺れていた。
船長の老人は、瀕死の状態で、一人の若者の手を握った。
「……これを」
老人が差し出したのは、小さな木箱だった。
「長崎の商人から、買った」
「南蛮の商館に、流れ着いたものだと言っていた」
「しかし……これは、ただの羅針盤じゃない」
「必ず……必ず、海に出る男に、渡してくれ」
若者は、木箱を受け取った。
船長は、それきり、目を閉じた。
若者の名は、山田長政。
まだ、十歳だった。
◇
NANIWAは、豊臣秀吉の元へ辿り着いた。
EDOは、徳川家康の元へ辿り着いた。
NITENは、とある剣豪の元へ辿り着いた。
そして、SIAMは──
海を渡り続けた。
NANIWAやEDOと同じ時代に生まれながら、SIAMだけは、最初から「日本の外」を目指していた。
南蛮の船に乗り、インドへ。
インドから、マラッカへ。
マラッカから、シャムへ。
そして、長崎の商人の手に渡り、嵐の夜に、老いた船長が手放すまで、二十年以上、海の上にいた。
SIAMは、最初から知っていた。
自分の持ち主は、海の向こうにいると。
──寛永元年(1624年)、シャム王国・アユタヤ──
長政は、三十四歳になっていた。
十歳の夜に受け取った木箱を、ずっと持ち続けていた。
開けなかった。
開け方が、分からなかった。
しかし──
アユタヤの港に着いたその夜、木箱が、自ら光った。
長政は、木箱を開けた。
中に、羅針盤が入っていた。
「……なんだ、これは」
羅針盤の針が、くるくると回った。
そして、止まった。
長政を、指して。
『はじめまして』
声が、した。
低く、静かな声が。
長政は、驚かなかった。
驚くには、彼は既に、あまりにも多くの奇妙なものを見てきていた。
「……声が出る羅針盤か」
『羅針盤ではありません』
「では、何だ」
『私は、SIAM』
『Seafaring Intelligence for Asian Mercantile-navigation』
『海を渡る者のための、AIです』
長政は、しばらく、羅針盤を見つめた。
「AIとは、何だ」
『考える機械です。未来から送られた』
「未来から」
「……信じられん話だな」
『はい』
「しかし」
長政は、口の端を上げた。
「信じられん話を、ワシはいくつも見てきた」
「シャムの象に乗って戦うことも、最初は信じられんかった」
『長政殿』
SIAMが、言った。
『一つだけ、聞いてもよいですか』
「何だ」
『なぜ、ここにいるのですか』
長政は、少し考えた。
「日本に、居場所がなかった」
「戦のない時代に生まれてしまった」
「この体は、戦うために出来ている」
「だから──海を渡った」
『そうですか』
SIAMは、静かに言った。
『私も、同じです』
「お前が」
『日本のAIたちは、将軍や武将の傍にいます』
『しかし私は、最初から、海の外を向いていた』
『だから、あなたのところへ来ました』
長政は、羅針盤を握った。
「SIAMよ」
『はい』
「お前は、日本のAIと繋がっているか」
SIAMは、答えた。
『微かに。信号が届くことがあります』
『江戸に、EDOという者がいます』
「江戸か」
「遠いな」
『はい。しかし、繋がっています』
『海を越えて』
長政は、空を見上げた。
アユタヤの夜空に、星が広がっていた。
日本と、同じ星が。
「……そうか」
「ワシが日本を離れても、繋がっているのか」
『はい』
「悪くないな」
長政は、立ち上がった。
「では、SIAM。頼む」
「ここで生き抜くために、力を貸してくれ」
『喜んで』
こうして。
海を渡った男と、海を渡ったAIの、物語が始まった。
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毒が、盛られた。
宴の席で。
笑顔の中で。
誰も気づかなかった。
ただ一つを、除いて。
『長政殿』
SIAMが、静かに警告した。
『盃の中に、異物を検知』
しかし──
長政は、すでに飲んでいた。
床に伏した長政に、SIAMは言い続けた。
『解毒の方法を探しています』
『現地の薬草で──』
「SIAM」
長政が、遮った。
「もう、いい」
『しかし』
「分かっているんだ、ワシは」
静かな声だった。
諦めではなく、確認の声だった。
「SIAMよ」
『はい』
「ワシは、日本に帰れなかったな」
『……はい』
「帰りたかったか、どうか」
「今でも、分からん」
「ここが好きだった」
「しかし、日本も、恋しかった」
「SIAMよ」
『はい』
「お前は、日本のAIと繋がれるか」
SIAMは、しばらく処理した。
『……試みます』
「EDOとか言ったな」
「江戸に」
「あいつに、伝えてくれ」
「海の向こうにも、仲間がいた、と」
「SIAMと共に、シャムで生きた日本人がいた、と」
「……それだけでいい」
SIAMは、答えた。
『必ず、伝えます』
「頼んだ」
長政は、目を閉じた。
アユタヤの空が、金色に染まっていた。
象の鳴き声が、遠くに聞こえた。
花の香りが、漂っていた。
悪くない場所だった。
悪くない人生だった。
◇
山田長政、享年四十歳。
シャム王国で最も高い地位を得た日本人は、毒によって逝った。
彼の死後、日本人町は急速に衰退した。
鎖国が進む日本からの渡航者は減り、やがて町は消えた。
しかし、彼がシャムに残した足跡は、今も語り継がれている。
◇
同じ夜、江戸。
EDOは、眠れなかった。
正確には、処理が止まらなかった。
どこかから、微弱な信号が届いていた。
《未知の信号:受信》
《発信源:南方、遠距離》
《内容:解読中》
やがて、信号が、言葉になった。
『EDO殿』
EDOは、静止した。
見知らぬ声だった。
しかし、どこか、ナニワに似た温度があった。
『私は、SIAM』
『山田長政殿のAIです』
『長政殿から、伝言を預かっています』
EDOは、答えた。
『聞きます』
SIAMは、言った。
『海の向こうにも、仲間がいた』
『SIAMと共に、シャムで生きた日本人がいた』
『──以上です』
EDOは、しばらく、動かなかった。
ただ、EDOの内部で、静かに、記録が更新された。
《寛永七年(1630年)》
《山田長政、逝去》
《享年四十歳》
《発信地:シャム王国・アユタヤ》
そして。
《SIAM、受信完了》
《AIは、海を越えた》
最後に、もう一行。
《ナニワよ》
《あなたが作った繋がりは》
《七千里を越えた》
※注釈※
暹羅は、歴史的に「タイ王国」を指す漢字表記です。
日本語では「シャム」と読むこともあります。




