新章 第十九話:「冬の陣」
「真田が、来ている」
EDOが言った。
家康は地図から目を上げなかった。
「……どこに」
『大坂城の南。独自に砦を築いています。設計が──』
少し、間があった。
「設計が、どうした」
『厄介です』
◇
慶長十九年(1614年)、十一月。
徳川の二十万が、大坂を囲んだ。
冬の空は、低く重かった。
篝火が、城を取り囲むように灯っていた。
「EDO、真田丸の構造を詳しく言え」
『城の南側に突き出した独立砦です。三方向から同時に射撃できる設計になっています。正面から攻めれば、確実に損害が出ます』
「どのくらいの損害だ」
『……正面突破を試みれば、死者千を超えると推定します』
◇
家康は、地図を見た。
大坂城。
秀吉が作った、天下一の城。
外堀、内堀、本丸。
そして今、南に一つ、新しい砦が加わった。
(真田信繁か)
あの時から、ずっと頭にあった名前だ。
「……来るとは思っていた。だが」
『だが?』
「あの男が砦を作るとは、思っていなかった」
『想定外でしたか』
「……半分は」
◇
翌日、前線から報告が来た。
前田利常の部隊が、真田丸を攻めた。
一刻も経たないうちに、壊滅した。
井伊直孝の部隊も、損害を受けた。
「……やはりか」
『死者、合計千二百余。負傷者は、その三倍以上です』
家康は、何も言わなかった。
「真田の損害は」
『……軽微です』
「そうか」
◇
その夜、秀忠が来た。
顔が、青かった。
「父上、真田丸をどうするつもりですか」
「正面からは攻めない」
「では」
「包囲する。兵糧を断つ。時間をかける」
秀忠は、少し眉を寄せた。
「……時間がかかりますが」
「かかっていい」
「しかし、冬の野営は兵に堪えます。士気が──」
「ワシにも、時間がない」
家康は、静かに言った。
「だから、別の手を使う」
◇
「EDO、大砲を城に撃ち込めば、どうなる」
『物理的な損害は、限定的です。ただ──』
「ただ?」
『城の中の人間の、精神的な損害は、計り知れません』
「淀殿は、城の中にいるか」
『はい。秀頼殿も』
家康は、少し間を置いた。
「撃て」
『……城の奥深くまで、届く大砲が必要です』
「ある。西洋の大砲を、使う」
EDOが、珍しく一瞬黙った。
『……按針殿の、ですか』
「そうだ」
◇
按針が呼ばれた。
「按針、大砲を使いたい」
「どこへ」
「大坂城の奥だ」
按針は、少し考えた。
「……届きます。ただ」
「ただ?」
「正確には狙えません。どこに落ちるか、私にも保証できない」
「構わない」
「……本当に?」
「城の中を揺さぶれれば、それでいい」
◇
按針は、しばらく家康を見た。
それから、静かに言った。
「……内府殿は、苦しいですね」
「何故そう思う」
「正確に狙えないと言った時、安心したように見えた」
家康は、何も言わなかった。
「狙えないなら、どこに落ちても、自分のせいではない。そう思いましたか」
「……」
「違いますか」
「……大砲を、用意しろ」
◇
翌日。
大坂城の天守近くに、砲弾が落ちた。
城の中が、騒然とした。
報告によれば、淀殿の侍女が二人、死んだという。
「……EDO」
『はい』
「淀殿の様子は」
『和睦の使者を、送ってきています』
家康は、目を閉じた。
「……そうか」
『交渉に、応じますか』
「応じる。ただし、条件がある」
◇
EDOが、静かに言った。
『外堀の埋め立てですか』
「そうだ」
『家康様』
「なんだ」
『外堀を埋めれば、大坂城は普通の城になります』
「わかっている」
『淀殿は、わかっていますか』
「……わかっていないと思う」
『なぜ、説明しないのですか』
「説明したら、断られる」
EDOは、何も言わなかった。
「説明しなければ、飲む。それが、交渉というものだ」
『……はい』
◇
和睦が、成立した。
外堀を埋める、という条件で。
雪が降り始めた大坂に、静けさが戻った。
◇
「EDO、真田信繁は」
『大坂城内に、残っています』
「和睦に、反対したか」
『はい。最後まで、戦い続けるべきだと主張したそうです』
家康は、雪の降る空を見た。
白く、静かだった。
「……あの男は、まだ終わっていない」
『はい』
「外堀が埋まれば──』
『……次は、内堀です』
家康は、そこで口を閉じた。
按針が、静かに聞いていた。
「内府殿」
「なんだ」
「和睦は、本当の和睦ではないのですか」
◇
家康は、按針を見た。
しばらく、答えなかった。
それから、静かに言った。
「……船に乗っていてくれ、按針」
「え?」
「次の嵐が来た時に、舵を頼む」
按針は、その言葉の意味を考えた。
考えながら、何かを察した。
「……わかりました」
それ以上は、聞かなかった。
◇
《── 慶長十九年十二月、大坂 ──》
《大坂冬の陣:和睦成立》
《真田丸の戦い:徳川軍に甚大な損害》
《外堀:埋め立て合意》
《真田信繁:大坂城内に残留》
《内堀の処遇:交渉中》
◇
冬の陣が、終わった。
外堀が埋められた。
雪の中、大坂城は静かだった。
しかし、城の中の真田信繁は、
剣を磨いていた。
和睦を、信じていなかった。
老将軍もまた、
雪を見ながら、
春を待っていた。




