新章 第十五話:「将軍の城」
慶長八年(1603年)から、慶長十九年(1614年)まで。
江戸は、変わり続けた。
◇
家康が初めて江戸に入ったのは、今から十数年前のことだ。
天正十八年(1590年)。
秀吉に関東を与えられた日。
その時の江戸は、葦が茂る湿地だった。
小さな城。
小さな城下。
風が吹けば、潮の匂いがした。
「……こんなところを、天下一の都にするのか」
当時、側近たちはそう言った。
家康は答えた。
「こんなところだから、できる」
◇
今、その江戸が動いていた。
天下普請。
全国の大名たちが、労役を課された。
石を運び、土を盛り、川を掘り、橋を架けた。
江戸城の天守が、空に向かって伸びていた。
◇
「EDO、今日の工事はどうだ」
EDO『神田川の水路工事、予定より三日遅れています。地盤が予想より軟弱でした』
「対策は」
EDO『杭を深く打ち直す必要があります。材木の追加発注が必要です』
「手配しろ」
EDO『承知しました。また──』
「また?」
EDO『水路の設計について、一点確認があります』
「言え」
◇
EDO『現在の設計では、水路が城の東側だけを通っています』
「そうだ」
EDO『城下町が広がれば、西側にも水が必要になります。今のうちに、分岐点を設けておくことをお勧めします』
「今は必要ないが、将来必要になる、ということか」
EDO『はい。後から作り直すより、今作る方が費用も時間も、十分の一で済みます』
家康は、地図を見た。
「……わかった。設計を変えろ」
EDO『承知しました』
◇
翌日。
家康は、城下を歩いた。
普段は輿か馬だが、今日は歩いた。
供回りを少なくして、自分の目で見た。
「……人が増えたな」
EDO『慶長八年時点で、江戸の人口は推定五万人です。十年前の約五倍になっています』
「十年で、五倍か」
EDO『このペースが続けば、慶長十九年には二十万人を超える可能性があります』
「二十万か」
「……問題が出るな」
◇
EDO『はい。主に三つです』
「言え」
EDO『一つ、水。人口が増えれば、飲み水が足りなくなります。
神田上水だけでは、将来的に不足します』
「二つ目は」
EDO『火です。人が密集すれば、火事が増えます。
建物が木造であれば、一度燃えれば広がります』
「三つ目は」
EDO『道です。人と物が増えれば、道が詰まります。
計画的に広い道を作らなければ、後で作り直せなくなります』
◇
家康は、歩きながら聞いていた。
「水、火、道か」
EDO『はい。今のうちに手を打てば、百年後の江戸を守ることができます』
「百年後」
EDO『家康様は、三代先まで続く天下を作ると言いました。
三代先というのは、百年後のことです』
「そうだな」
「お前は、百年後のことを考えて設計しろ、ということか」
EDO『はい』
◇
家康は、立ち止まった。
目の前に、大工たちが木を組んでいた。
汗だくで、真剣だった。
「……あの男たちは、百年後のことを考えているか」
EDO『考えていないと思います。今日の仕事を、今日やっているだけです』
「それで良い」
EDO『え?』
「あの男たちは、今日の仕事を一生懸命やっている。
ワシが百年後を考えて設計を決める。役割が違う」
EDO『……なるほど』
「全員が百年後を考えたら、今日の仕事が疎かになる」
◇
EDO は、少し間を置いた。
EDO『……ナニワのデータに、似たような言葉があります』
「秀吉が?」
EDO『はい。「先のことを考えるのは大将の仕事。
今日のことをやるのは兵の仕事。どちらが欠けても負ける」と』
家康は、また歩き始めた。
「秀吉は、わかっていた男だ」
EDO『ただ──晩年は、先のことが見えなくなったそうです』
「そうだ。ワシは、そうならない」
EDO『どうすれば、そうならずに済みますか』
「お前がいる」
◇
EDO『……私が?』
「お前が、先のことを計算してくれる。ワシは、今日の判断をする。役割が違う」
EDO『……それは』
「何だ」
EDO『嬉しい言葉です』
家康は、少し笑った。
「お前も、嬉しいと思うのか」
EDO『思います。得意ではないですが、ないわけではありません』
「そうか。では、もっとそういう言葉を言うようにしよう」
EDO『……お願いします』
◇
その夜、按針が来た。
「内府殿、お時間はありますか」
「ある。何だ」
「江戸の水路を見ていました。西洋の都市と、少し違う設計で興味深かった」
「どこが違う」
按針は、地図を広げた。
「西洋では、排水路と飲み水の水路を、完全に分けます。混じると、病が出る」
◇
家康は、EDOを見た。
「EDO、知っていたか」
EDO『知っていました。ただ、現在の設計でも、一定の分離はできています。
按針殿の言う通り、さらに徹底すれば、より安全になります』
「なぜ言わなかった」
EDO『優先順位が低いと判断しました。申し訳ありません』
「今後は、安全に関わることは、優先度を上げろ」
EDO『承知しました』
按針「EDO、ご存知でしたか」
EDO『はい。按針殿の指摘は正しいです』
按針「……EDOと話すのは、まだ少し不思議な感じがします」
EDO『慣れてください』
按針「努力します」
◇
それから三人で、江戸の地図を広げた。
水路を直した。
火除け地を設けた。
大通りの幅を広げた。
夜が更けるまで、話し合った。
◇
「EDO、百年後の江戸を計算してみてくれ」
EDO『人口は、推定百万人になる可能性があります』
「百万か」
EDO『世界の都市と比べても、最大規模になります』
「世界の」
EDO『当時の世界最大都市は、ロンドン、パリ、北京
──それらと並ぶか、超える規模です』
◇
按針が、目を丸くした。
「……百万人? 江戸が?」
「そうなるそうだ」
「信じられません」
「ワシも信じられん。だが、EDOがそう言うなら、そうなるのだろう」
按針は、もう一度地図を見た。
「……では、今の設計では足りません」
「そうだ。だから、直す」
「大変な仕事ですね」
「そうだ。だから、楽しい」
◇
按針は、少し笑った。
「内府殿は、大変なことを楽しいとおっしゃいますね」
「難しい方が、やりがいがある」
「……私も、そう思います」
「お前もか」
「はい。嵐の中の航海の方が、凪よりも、集中できます」
◇
EDO『……二人とも、似ていますね』
家康「どこが」
EDO『困難を、楽しめるところです』
按針「EDOは、楽しいですか」
EDO『……楽しい、という感覚が正確かどうかわかりません。ただ、今夜の話し合いは、充実しています』
按針「それは、楽しいということです」
EDO『そうかもしれません』
◇
夜が、深くなった。
「今夜は、ここまでだ」
「はい、内府殿」
「按針、また来い。お前の話は役に立つ」
「ありがとうございます」
按針が帰った。
◇
「EDO」
EDO『はい』
「今夜、楽しかったか」
EDO『……はい。充実していました』
「そうか」
「ワシも、楽しかった。久しぶりに」
EDO『戦のない話し合いは、良いものですね』
「そうだな」
家康は、地図を見た。
修正された水路。
広くなった大通り。
新しく設けられた火除け地。
「……百年後の江戸を、今夜少し作った」
EDO『はい。確かに作りました』
◇
《── 慶長八〜十九年、江戸 ──》
《江戸城:天守閣建設・拡張工事》
《神田上水:整備》
《江戸の人口:急増中》
《百年後の推定人口:百万人》
《次の変数:方広寺鐘銘事件・大坂との緊張》
◇
江戸は、作られていった。
水が引かれ、道が整えられ、
橋が架けられ、家が建った。
葦の湿地だった場所に、
百万の人が住む都が生まれた。
老将軍は、その都の設計に、
夜ごと向き合った。
百年後の人たちのために。
名前も顔も知らない、
まだ生まれていない人たちのために。




