新章 第十三話:「船を作れ」
新章 第十三話「船を作れ」
慶長八年(1603年)、夏。
伊豆・伊東の海岸に、木の香りが満ちていた。
◇
船が、作られていた。
日本人の職人と、按針が、毎日海岸で作業をしていた。
設計図は、按針が描いた。
見たことのない形だった。
底が深く、帆柱が高く、船体が丸みを帯びていた。
職人たちは首を傾げた。
「こんな船、見たことがない」
按針は、笑いながら言った。
「見たことがないから、作るのです」
◇
家康が、視察に来た。
按針が駆け寄った。
「内府殿、来てくださいましたか」
「どうだ、進んでいるか」
「順調です。ただ──」
「ただ?」
「職人たちが、私の言うことを信じてくれない部分があります」
「どういうことだ」
◇
按針が、図面を広げた。
「ここです。船底の設計。日本の船は平らですが、西洋の船は丸みがある」
「なぜ丸みが必要なんだ」
「嵐の時に、転覆しにくくなります。丸い方が、波に揺れながらも戻ってくる」
「卵のようなものか」
按針は、一瞬考えた。
「……そうです。まさに卵です」
「職人に、卵の話をしたか」
「……していませんでした」
「してみろ」
◇
EDO『……うまい説明ですね』
「そうか?」
EDO『卵を割れずに転がせるのは、丸いからです。同じ原理を、船底に使う』
「お前も、知らなかったか」
EDO『知っていました。ただ、そう説明できませんでした』
「説明できる知識と、使える知識は違うな」
EDO『……ナニワのデータに、似たような言葉があります』
「秀吉が?」
EDO『「頭でわかっているのと、口で説明できるのと、体で動けるのは、全部違う」と』
◇
按針が、職人たちに卵の話をした。
職人たちは、しばらく考えた。
それから、一人が言った。
「……なるほど」
作業が、再開した。
按針が戻ってきた。
「うまくいきました、内府殿。ありがとうございます」
「ワシは何もしていない」
「ヒントをくれました」
「それだけだ」
◇
昼になった。
海岸で、二人は飯を食った。
按針は、箸を使った。
三年で、すっかり慣れていた。
「按針、一つ聞いてよいか」
「はい」
「西洋では、船をどうやって動かす」
「風と星です」
「星?」
「北極星を見て、方角を定めます。星の位置から、自分がどこにいるかわかります」
家康は、少し目を細めた。
「星で、場所がわかるのか」
「はい。数学を使います」
◇
EDO『補足します。西洋の航海術は、天文学と数学を組み合わせています。
緯度の計算が正確になったことで、大航海時代が可能になりました』
「お前は、それを知っていたか」
EDO『知っていました』
「なぜ教えなかった」
EDO『聞かれなかったので』
「……聞かれなければ、言わないのか」
EDO『家康様は「余計なことを言うな」とおっしゃっていたので』
◇
家康は、苦笑した。
「それは……余計なことではなかったな」
EDO『今後は、関連情報も合わせてお伝えするよう調整します』
「そうしてくれ」
按針が、首を傾けた。
「また、独り言ですか」
「そうだ」
「……いつか、紹介してください。内府殿の話し相手を」
「いつかな」
◇
食事の後、按針が言った。
「内府殿、一つお願いがあります」
「聞こう」
「数学の道具を、取り寄せてもらえますか。コンパスと、分度器と」
「オランダから、か」
「はい。長崎に入る荷物の中に、あるはずです」
「手配する」
「ありがとうございます。あれがあれば、設計がもっと正確になります」
◇
EDO『アダムス殿が言っているコンパスは、方位磁針ではなく、円を描く道具です』
「……同じ言葉で、違うものを指すのか」
EDO『日本語の「コンパス」は方位磁針を指すことが多いですが、英語の"compass"は文脈によって変わります』
「ややこしいな」
EDO『言語は、全部ややこしいです』
「お前は、何語でも話せるか」
EDO『話せます。ただ、私が話しているのは今のところ家康様だけです』
◇
家康は、少し考えた。
「按針に、話せるか」
EDO『……技術的には可能です』
「やってみるか」
EDO『家康様が許可するなら』
「按針は、信用できる男か」
EDO『慶長五年から三年間、観察しました。信用できます』
「そうか」
家康は、按針を見た。
「按針」
「はい」
「お前は、ワシの独り言の相手を、知りたいか」
◇
按針は、少し驚いた顔をした。
「……本当に、教えていただけますか」
「教えてもいい。ただし、誰にも言うな」
「誓います」
「お前の国の神に誓うか」
「神と、海に誓います」
「海か。お前らしいな」
◇
家康は、眼鏡を取り出した。
按針の目が、止まった。
「……その眼鏡は」
「知っているか」
「……似たものを、見たことがあります。オランダの商人が持っていた、光学器具に」
「光学器具」
「レンズを使った道具です。ただ、それとは少し違う。もっと……」
按針は、眼鏡をじっと見た。
「……精巧です」
◇
EDO『……アダムス殿に、話しかけてよいですか』
家康「やってみろ」
EDO『アダムス殿』
按針が、はっとした。
「……!」
「今の声は」
EDO『私の名はEDO。家康様のお供をしています』
按針は、眼鏡を見た。
それから、家康を見た。
「……眼鏡が、喋っている?」
「そうだ」
「……」
按針は、しばらく固まっていた。
◇
それから、静かに言った。
「……神ですか」
EDO『違います』
「悪魔ですか」
EDO『違います』
「では、何ですか」
EDO『……うまく説明できません。ただ、害はありません』
按針は、深呼吸をした。
それから、笑った。
「……按針、アダムス。よろしく」
EDO『よろしくお願いします』
◇
家康は、その様子を見ていた。
「驚かないのか」
按針は、肩をすくめた。
「驚いています。ただ、私はオランダの船で地球を半周しました。
世界には、わからないことがたくさんある」
「わからないことは、怖いか」
「怖いです。でも──わからないことが、面白くもあります」
◇
EDO『……アダムス殿は、良い人間ですね』
家康「そうだな」
EDO『もし許可があれば、造船の話を聞いてもよいですか』
家康「按針、構わないか」
按針「構いません。むしろ、一緒に考えてほしい」
EDO『よろしくお願いします』
◇
それから、三人で話した。
船の話。
星の話。
数学の話。
言葉が通じない部分は、家康が間に入った。
海岸に、波の音が続いていた。
夏の太陽が、傾いていった。
◇
日が暮れた頃、按針が言った。
「内府殿」
「なんだ」
「EDOは……秀吉様も知っていましたか」
家康は、少し間を置いた。
「ナニワ、という名で。秀吉の傍にいた」
「そうですか」
「なぜ聞く」
按針は、海を見た。
「……秀吉様は、あれほどのことをした人だ。EDOがいたなら、納得できます」
「お前も、納得できるか。ワシにEDOがいることが」
「はい」
「なぜだ」
◇
按針は、振り返った。
「内府殿は、正直な方だ。EDOも、正直だ。正直な者同士が組めば、良い仕事ができる」
EDO『……ありがとうございます』
按針「どういたしまして」
家康「……お前たちは、早いな」
按針「海の上では、仲間になるのに時間はかけません」
「なぜだ」
「嵐が来たら、すぐ一緒に動かなければならないから」
◇
《── 慶長八年夏、伊豆・伊東 ──》
《西洋式帆船:建造開始》
《三浦按針:EDOの存在を知る》
《按針・EDO:情報共有開始》
《完成予定:慶長十年》
《次の変数:将軍職の譲渡・按針への日本名授与》
◇
海岸に、三人がいた。
老将軍と、西洋から来た男と、
眼鏡の中の声。
言葉も、文化も、出自も違う。
それでも、波の音を聞きながら、
同じ船の話をしていた。
嵐が来る前に、
良い船を作っておこう、と。




