新章 第十二話:「東から来た男」
慶長八年(1603年)、春。
江戸城の普請が、始まっていた。
◇
家康は、城の縄張りを歩いていた。
側近たちが図面を広げ、あれこれと説明している。
その輪の少し外に、一人だけ、異質な男がいた。
背が高かった。
目が、青かった。
「……按針」
家康が呼ぶと、男は振り返った。
「はい、内府殿」
日本語が、流暢だった。
三年前とは、別人のようだった。
◇
三浦按針。
ウィリアム・アダムス。
慶長五年(1600年)の春、豊後の浜に流れ着いた男だ。
EDO『三年前のことを、覚えていますか』
「覚えている」
EDO『あの時、アダムス殿は痩せていて、目が落ち窪んでいました』
「今は、丸くなった」
EDO『日本食が合っているようです』
「そうか。それは良かった」
◇
按針が近づいてきた。
「江戸城、大きくなりますね」
「大きくする予定だ」
「お手伝いできることはありますか」
「今日は、見ていてくれ。お前に頼みたいことは、別にある」
「船、ですか」
「そうだ」
按針は、少し目を輝かせた。
◇
EDO『アダムス殿は、造船の話になると表情が変わります』
「そうだな。海の男は、船が好きなのだろう」
EDO『家康様は、海が好きですか』
「……好きではない。船に弱い」
EDO『意外です』
「何が意外だ」
EDO『天下人が、船に弱いとは思いませんでした』
「天下人も、揺れれば酔う」
◇
按針が、笑った。
「内府殿、また独り言ですか」
「癖だ、気にするな」
「三年、気にしています」
「三年も気にしていたか」
「はい。いつか教えていただけますか、誰と話しているか」
家康は、少し考えた。
「……そのうち、な」
按針は、肩をすくめた。
西洋の仕草だった。
◇
その夜、家康は按針と二人で話した。
「按針、故郷の家族は」
「妻と子が、イングランドに。元気でいれば良いのですが」
「連絡は取れるか」
「難しいですね。手紙を送っても、届くまで二年かかります」
「……二年か」
「はい。返事が来るとしたら、四年後です」
家康は、しばらく黙った。
「……それは、寂しいな」
◇
按針は、少し笑った。
「慣れました。それより──」
「なんだ」
「内府殿は、私をここへ置いてくれています。
三年間、仕事をくれています。それは……感謝しています」
「仕事のできる人間を、手放す必要はない」
「それだけですか」
「それだけだ」
按針は、また肩をすくめた。
「内府殿は、正直なお方だ」
「よく言われる」
◇
EDO『アダムス殿は、家康様のことを信頼しています』
「そうか」
EDO『ポルトガル人が処刑を求めた時、守ったことを、今でも覚えています』
「当然のことをしただけだ」
EDO『当然、と思える人間が少ないから、覚えているのだと思います』
◇
家康は、按針を見た。
「按針、一つ聞く」
「はい」
「お前は、ここが好きか」
按針は、少し考えた。
「……好きです」
「なぜだ」
「人が、正直です」
「日本人が?」
「建前はあります。でも、内府殿は正直だ。それで、信じられる」
◇
EDO『……ナニワのデータにも、似た言葉があります』
「なんだ」
EDO『秀吉様が家康様のことを「あの男は正直すぎて怖い」と言っていたそうです』
家康は、思わず吹き出した。
「正直すぎて、怖い?」
EDO『はい。「腹の中が読めないのではなく、本当に腹の中がそのままだから読めない」と』
◇
按針が、首を傾けた。
「内府殿、笑っておられる。珍しい」
「独り言で面白い話を聞いた」
「……またですか」
「まただ」
按針は、やれやれという顔をした。
それから、真顔に戻った。
「内府殿」
「なんだ」
「船の話を、してもよいですか」
「ちょうど聞こうとしていた。話せ」
◇
按針の目が、変わった。
海の男の目になった。
「西洋式の帆船を、作りたい。日本にはない設計です。嵐に強く、遠洋に出られる」
「どのくらいの大きさだ」
「百二十トンほど。それくらいあれば、太平洋も渡れます」
「太平洋を」
「はい。メキシコまで行けます」
◇
EDO『補足します。メキシコは当時スペイン領です。南蛮貿易の新ルートが開ける可能性があります』
「スペインを通さずに、か」
EDO『はい。現在はポルトガル・スペインが貿易を独占しています。新たな船があれば、独自ルートが作れます』
家康は、按針を見た。
「作れ」
「はい」
「何が必要だ」
「材木、職人、場所、そして──時間です」
「どのくらい時間がかかる」
「二年から三年」
「そうか」
家康は、少し考えた。
「伊豆に良い木がある。職人は集める。場所は伊東を使え」
按針の目が、また輝いた。
「……ありがとうございます、内府殿」
「礼はいらん。良い船を作れ」
◇
《── 慶長八年春、江戸 ──》
《三浦按針:来日より三年、家康の信任厚い》
《西洋式帆船建造計画:開始》
《建造地:伊豆・伊東》
《完成予定:慶長十年前後》
《次の変数:将軍職の秀忠への譲渡》
◇
地球の裏側から来た男が、
江戸の空を見上げていた。
故郷とは違う空だった。
それでも、その空の下で、
男は船を作ることを考えていた。
海の男に、海を忘れさせることはできない。
家康はそれを知っていた。
だから、船を作らせた。




