新章 第十話:「隻眼の計算」
慶長五年(1600年)、十月。
三成が逝って、十日が過ぎた。
◇
伊達政宗が、来た。
供回りは少なかった。
正式な訪問ではない、という意思表示だろう。
家康は、それを承知で通した。
「……久しいな、政宗」
「関ヶ原以来ですな、内府殿」
政宗は、涼しい顔で座った。
三十二歳。
左の一つ目が、鋭く光っていた。
◇
茶が運ばれた。
二人は、しばらく無言で飲んだ。
先に口を開いたのは、政宗だった。
「……勝ちましたな」
「そうだな」
「見事でした」
「お世辞はいらん」
政宗は、少し笑った。
「お世辞ではありません。あれほど鮮やかに勝てる戦を、誰が予想したか」
「お前は、予想していたか」
「……していました」
◇
家康は、茶碗を置いた。
「聞こうか」
「何をですか」
「お前が東軍についた理由を」
政宗は、少し目を細めた。
「……話すと思っていましたか」
「話しに来たのだろう。それ以外に、お前がここへ来る理由はない」
政宗は、しばらく黙った。
それから、口を開いた。
「大坂の広間で、見ました」
「何を」
「内府殿の懐から、少し見えた。黒い、小さな器具を」
◇
家康は、表情を変えなかった。
「……それが」
「あの眼鏡です」
「見間違いではないか」
「私の目は一つしかありませんが、よく見えますので」
家康は、懐から眼鏡を取り出した。
政宗の目が、静かに動いた。
「……やはり」
「小田原で、秀吉が持っていたのを見たか」
「はい。あの日から、ずっと気になっていました」
◇
EDO『政宗殿、本音を話しています』
家康の耳だけに届く声。
「わかっている」
政宗が、首を傾けた。
「また、独り言ですか」
「老人の癖だ、気にするな」
「内府殿は、まだ六十前では」
「細かいことを言うな」
◇
政宗は、眼鏡を見ていた。
「秀吉様は、あれを持って天下を取った」
「そうだ」
「それが今、内府殿の手にある」
「それが、東軍についた理由か」
政宗は、少し間を置いた。
「半分は」
「残りの半分は」
「……内府殿が、怖かったから、です」
◇
家康は、少し目を細めた。
「ワシが?」
「小田原の時、秀吉様は笑いました。ワシが白装束で現れた時」
「知っている」
「内府殿は、笑わなかった」
「……」
「ただ、見ていた。あの目で」
政宗は、家康の目を見た。
「あの目が、ずっと頭から離れなかった」
◇
EDO『……興味深い証言です』
「後で聞く」
政宗「また独り言ですか」
家康「そうだ」
政宗「……内府殿は、不思議なお方ですな」
「よく言われる」
◇
「政宗、お前は何者だ」
家康は、静かに聞いた。
「……奥州の大名です」
「そうではない。お前は、天下を狙っていたか」
政宗は、しばらく黙った。
「……狙っていました」
「今は」
「諦めました」
「なぜ」
「生まれるのが、十年遅かった」
あっさりと、言った。
「秀吉様が天下を固めた時、私はまだ二十代でした。奥州から出る前に、終わっていた」
◇
家康は、聞いていた。
政宗が続けた。
「敵わない相手とは、戦わない。それが私の生き方です。
秀吉様には敵わなかった。だから下った。内府殿にも敵わない。だから東軍についた」
「計算か」
「計算です。情や義理で動いていたら、伊達家はとうに潰れていました」
「……三成は、義理で動いた」
「だから、負けました」
◇
家康は、少し黙った。
「三成を、どう見ていた」
政宗は、少し考えた。
「有能な男でした。ただ──」
「ただ?」
「人の心が、わからなかった。頭が良すぎて、感情で動く人間が理解できなかった」
「お前は、理解できるか」
「私も、あまり得意ではありません」
少し間を置いて、続けた。
「ただ、理解できないとわかっている分、三成殿よりはましかと」
◇
EDO『……鋭い分析です』
「そうだな」
政宗「また独り言ですか」
家康「そうだ」
政宗「……そのうち教えていただけますか、誰と話しているか」
家康「いずれな」
政宗「楽しみにしています」
◇
茶を、もう一杯飲んだ。
「政宗」
「はい」
「ワシの天下は、長く続く」
「……はい」
「三代先まで、揺るがない仕組みを作る」
政宗の目が、少し細くなった。
「……伊達家は、どうなりますか」
「余計なことをしなければ、続く」
「余計なこと、とは」
「わかるだろう」
政宗は、少し間を置いた。
「……わかります」
「では、答えは出た」
◇
政宗が立ち上がり、一礼した。
「内府殿」
「なんだ」
「一つだけ、聞かせてください」
「言え」
「あの眼鏡は……秀吉様から、どうやって内府殿の手に」
家康は、少し考えた。
それから、静かに言った。
「秀吉が頼んだ」
「……秀吉様が?」
「前の持ち主が、頼んだのだ。ワシに、天下を預けてみろと」
◇
政宗は、しばらく動かなかった。
「……秀吉様が」
「ああ」
「あの天下人が、内府殿に」
「遺言のようなものだ」
政宗は、また一礼した。
今度は、深く。
「……見届けます」
「何を」
「内府殿の天下を。三代先まで続くかどうか」
「長生きしなければならんな、お前も」
「私は丈夫が取り柄ですので」
「そうか。では、頼む」
◇
政宗が出て行った後。
EDO『いかがでしたか』
「面白い男だ。変わらず」
EDO『政宗殿には、嘘の成分がありませんでした』
「そうか」
EDO『ただ──』
「ただ?」
EDO『「天下を諦めた」という言葉だけは、完全には信じていません』
家康は、少し笑った。
「ワシもそう思う」
EDO『でも、通した』
「諦めていない人間の方が、使える」
◇
EDO『……一つ、よいですか』
「なんだ」
EDO『政宗殿は「いずれ誰と話しているか教えてくれ」と言っていました。教えますか』
家康は、少し考えた。
「まだ早い」
EDO『いつ頃なら』
「もう少し、信頼が積み上がってからだ」
EDO『……信頼を、積み上げるつもりがあるのですね』
「政宗は、三代まで見届けると言った。ならばこちらも、相応の扱いをする」
◇
《── 慶長五年十月、伏見 ──》
《伊達政宗:東軍の理由を語る》
《眼鏡の存在:政宗に認識済み》
《伊達家:存続確定》
《政宗の寿命:推定あと三十六年》
《次の変数:征夷大将軍就任・江戸幕府開幕》
◇
読めない男が、
読めない男と向き合った。
どちらも計算で動き、
どちらも感情を見せなかった。
それでも政宗は言った。
「見届けます」と。
そしてその言葉だけは、
計算ではなかったかもしれない。




