新章 第五話:「三成、立つ」
慶長五年(1600年)、七月。
家康は、北へ向かっていた。
会津だ。
上杉景勝が、謀反の疑いありとして、討伐の軍を起こした。
東海道を北上する大軍の中、家康は馬上にいた。
「……静かだな」
EDO『何がですか』
「西が」
EDO『……』
「三成は、まだ動かんか」
EDO『今のところ、表立った動きはありません』
「そうか」
家康は、北の空を見た。
「もう少し、か」
◇
七月十七日。
知らせが来た。
「家康様」
側近の声が、緊張していた。
「石田三成殿が──」
「わかった」
家康は、先を制して言った。
「挙兵したか」
側近が、息を飲んだ。
「……はい。大坂にて、毛利輝元殿を盟主に担ぎ、西軍を組織したと」
「そうか」
「驚かれないのですか」
家康は、馬を進めながら言った。
「驚かん」
◇
その夜の宿営地で、家康はEDOに言った。
「遅かったな」
EDO『推定より、約二週間遅かったです』
「何があった」
EDO『毛利輝元殿の説得に時間がかかったようです。
三成殿単独では、大義名分が立たない。豊臣家の重鎮を盟主に据える必要があった』
「毛利を動かしたか。……やるな、三成」
EDO『ご評価されるのですか』
「敵だからこそ、正当に評価する」
◇
家康は、地図を広げた。
「西軍の陣容は」
EDO『毛利輝元、宇喜多秀家、石田三成、島左近、大谷吉継
──主要どころで、石高の合計は西軍が上回ります』
「兵力では、我らが有利か」
EDO『数字上は。ただ──』
「ただ?」
EDO『我々の結束は、利害の一致によるものです。
思想的な核がない。三成殿への個人的な忠誠ではなく、
家康様への反発が、彼らを繋いでいます』
家康は、地図を見たまま言った。
「反発で繋いだ軍は、崩れやすい」
EDO『はい』
「どこが崩れる」
EDO『現時点での最大の変数は、小早川秀秋殿です』
「……秀秋か」
◇
EDO『小早川秀秋殿は、西軍として参加していますが、内心は定まっていません。
かつて家康様から偏袖をいただいたことを、今も気にしていると思われます』
「あの時、贈り物をしておいたか」
EDO『はい。慶長三年の時点で、家康様が関係を温めていた記録があります』
「……ワシが仕込んでいた、と思うか」
EDO『思います』
家康は、少し笑った。
「半分は、そうだ。半分は、ただの縁だ」
EDO『どちらでも、結果は同じです』
「そうだな」
◇
七月二十一日。
伏見城が攻撃を受けた。
「鳥居が、守っているか」
EDO『はい。城将・鳥居元忠殿、籠城中。兵力は僅かです』
「……助けには行けないな」
EDO『軍を返せば、三成に動く時間を与えます』
「わかっている」
家康は、静かに言った。
「元忠は、わかっていてあの城を守っている」
EDO『……』
「江戸に来る前、元忠と飲んだ。「この城で死ぬかもしれん」と言ったら、
「それが武士というものでしょう」と笑った」
EDO『……』
「あいつは、ワシのために死ぬつもりだ」
◇
沈黙が続いた。
灯りが、静かに揺れていた。
EDO『家康様』
「なんだ」
EDO『……鳥居殿は、助かりますか』
家康は、答えなかった。
しばらく、地図を見ていた。
「……助からん」
EDO『そうですか』
「それが、戦だ」
EDO『……はい』
◇
七月二十五日。
下野・小山。
家康は、東軍の諸将を集めた。
大広間に、大名たちが並んだ。
緊張していた。
三成が挙兵した。
家康はこのまま会津を攻めるのか、引き返すのか。
誰もが、固唾を飲んでいた。
◇
家康は、広間を見渡した。
「皆に、聞く」
静かな声だった。
「石田三成が挙兵した。三成は大坂を押さえ、毛利輝元を盟主とした」
誰も、口を開かなかった。
「ワシはこれより、引き返す。三成と、決する」
また、沈黙。
「ただし──ここにいる者に、強制はせん」
◇
家康は、続けた。
「それぞれの判断がある。三成側につく者は、今ここで去れ。ワシは恨まん」
大広間が、しんとした。
EDO『……緊張感が、部屋全体に広がっています』
「わかっている。静かにしていてくれ」
EDO『はい』
家康は、待った。
誰も、動かなかった。
◇
そして──
福島正則が立ち上がった。
「家康様!」
「なんだ、正則」
「我らは、家康様についてまいります!三成め、許しておけません!」
「……そうか」
加藤清正が続いた。
「我らも!」
黒田長政が。
細川忠興が。
次々と、声が上がった。
◇
家康は、広間を見渡した。
誰一人、去らなかった。
「……皆、ありがとう」
静かに、言った。
EDO『我々の結束、確認しました』
「そうだな」
EDO『小早川秀秋殿の動向は、まだ不確定ですが』
「この戦で、決まる」
家康は立ち上がった。
「西へ戻る。三成と、決する」
◇
《── 慶長五年七月、小山評定 ──》
《西軍挙兵確認》
《東軍結束:完了》
《伏見城:陥落(鳥居元忠、戦死)》
《次の変数:小早川秀秋の選択》
《関ヶ原まで:約五十日》
◇
三成が、動いた。
才があり、正義があり、
利家という後ろ盾を失った男が、
ついに動いた。
家康は驚かなかった。
ただ──
鳥居元忠の名を、
心の中で、一度だけ呼んだ。
それから、西へ向いた。




