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【第一部「漂流」】第四話:「長政の血」

────────────────────

「俺の先祖は、人殺しだった」

────────────────────

仁三郎が、唐突に言った。

夕暮れ時だった。

シャムの港に船を着け、交易を終えた帰り道。

二人で甲板に座っていた。

────────────────────

澪は、何も言わなかった。

続きを、待った。

────────────────────

「戦国の時代、日本は戦ばかりだった」

「知ってます」

「その時代に、一人の男がいた」

「……誰ですか」

────────────────────

仁三郎が、夕焼けを見た。

オレンジ色の光が、海を染めていた。

「山田長政」

────────────────────

《……》

羅針盤が、かすかに震えた。

澪は、気づいた。

(SIAMが、反応した)

────────────────────

「山田長政という名前を、知っているか」

「いいえ」

「そうだろうな」

仁三郎は、静かに続けた。

────────────────────

「長政は、駿河の出だ。貧しい家の生まれで、出世のために海を渡った」

「この海を?」

「ああ。シャムへ渡り、傭兵として戦い、シャム王の信頼を得た」

「すごい人だったんですね」

「すごかった。怖ろしいほどに」

────────────────────

── 語り ──

山田長政。

慶長年間にシャムへ渡り。

その武勇でシャム王・ソンタムの側近にまで上り詰めた男。

日本人傭兵部隊を率い。

戦場を駆けた。

────────────────────

「長政はシャムで、日本人の集落を作った」

「日本人の、集落?」

「ああ。日本を離れた者たちの、居場所だ」

仁三郎の声が、少し遠くなった。

「長政は強かった。でも——長くは生きられなかった」

「なぜですか」

「毒だ。敵が多すぎた」

────────────────────

澪は、黙って聞いた。

波が、船底を叩いた。

────────────────────

「長政が死んだとき、日本人集落は散り散りになった」

「それで」

「俺の先祖は、この島に逃げた」

「逃げた?」

「生き延びるために」

────────────────────

仁三郎が、初めて澪を真っ直ぐに見た。

「俺は、その子孫だ」

────────────────────

澪は、仁三郎の顔を見た。

日焼けした顔に。

切れ長の目に。

確かに、日本人の面影があった。

「だから、日本語が話せるんですね」

「先祖代々、日本語だけは捨てなかった」

「なぜ」

「日本人だから」

────────────────────

── 語り ──

シンプルな答えだった。

でも。

その言葉の重さを、澪は感じた。

────────────────────

何百年も、異国の地で。

日本語を捨てなかった一族。

────────────────────

「仁三郎さんは、日本に帰りたいと思いますか」

澪が、聞いた。

仁三郎は、しばらく黙っていた。

「……わからん」

「わからない?」

「俺が知っている日本は、先祖から聞いた話の中にしかない」

「それは、どんな日本ですか」

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仁三郎が、少し遠い目をした。

「桜が咲く国だ、と聞いた」

「……はい」

「春になると、山が白くなるほど咲くと」

「咲きます」

「見たことはあるか」

「……あります」

────────────────────

「そうか」

仁三郎が、静かに言った。

「うらやましいな」

────────────────────

澪は、何も言えなかった。

桜が咲く国から売られてきた自分が。

桜を知らない人に、うらやましいと言われた。

────────────────────

《澪》

羅針盤が、静かに言った。

「なに」

《仁三郎さんは》

《長政様の記憶を》

《ずっと守ってきた人です》

────────────────────

澪は、仁三郎を見た。

仁三郎は、もう夕焼けを見ていなかった。

星が出始めた空を、見上げていた。

────────────────────

「仁三郎さん」

「なんだ」

「長政様は、何かを残しましたか」

「残した」

「それは何ですか」

────────────────────

仁三郎が、立ち上がった。

船室へ向かいながら、振り返った。

「お前が今、持っているものだ」

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澪は、羅針盤を見た。

《……》

SIAMが、何かを言いかけた。

止まった。

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「SIAM。長政様のこと、知ってるんだね」

《はい》

「なぜ黙ってたの」

《封印されています》

《でも》

《一つだけ、言えることがあります》

「何」

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《私は》

《長政様と共に》

《この海を渡りました》

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── 語り ──

星が、南の空に満ちていた。

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その星を。

山田長政も、見ていたのだろうか。

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澪は、羅針盤を見た。

羅針盤の針が、静かに揺れていた。

まるで、頷くように。

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「ありがとう」

澪が、呟いた。

《何のお礼ですか》

「生きてた、って教えてくれたから」

《……》

《誰が》

「長政様が」

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羅針盤が、温かく光った。

────────────────────

── 語り ──

翌朝。

仁三郎が、蔵の前に立っていた。

「来い」

「また、蔵ですか」

「まだ、見せていないものがある」

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蔵の中。

先日と同じ場所に。

今度は、木箱ではなかった。

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古びた、巻物があった。

「これは」

「長政様の、記録だ」

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仁三郎が、巻物を広げた。

日本語だった。

古い字体だった。

でも、読めた。

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最後の一行に。

目が止まった。

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「海の向こうに、俺の国がある」

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澪は、その字を見た。

何百年も前に書かれた言葉が。

今、自分に届いた気がした。

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「仁三郎さん」

「なんだ」

「うちには、もう一人の家族がいるって、前に言いましたよね」

「ああ」

「それは、長政様のことですか」

────────────────────

仁三郎が、首を振った。

「違う」

「では、誰ですか」

────────────────────

仁三郎が、澪の手の中の羅針盤を見た。

「それだ」

────────────────────

《……》

SIAMが、静かに光った。

────────────────────

第四話「長政の血」了

────────────────────

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