第四場・裏「借り衣装」(ルイ視点)
下層第三区の細い路地には、ところ狭しと店の看板が軒を連ねる。
上層ではもはや見かけない型落ちの配達機が、ふらつきながら看板のあいだを抜けていく。
僕の隣を、白衣の上に保安局の外套を羽織った識が歩く。
この街では、かなり浮いている格好だ。
行きかう酔っ払いも僕らの姿を見ては、目をそらして通り過ぎていく。
少し進むと、酒場が見えてきた。
「この裏ですね」
「はい、間違いないです」
店の目印である金茶色の暖簾をくぐると、中は薄暗かった。
油と古い紙の匂いが鼻をつく。
僕らは、靴を脱いで畳に上がる。
部屋の奥には帳場。痩せた番頭が座っている。
「質入れですか、請け出しですか」
番頭は帳簿から頭を上げると、僕らの姿に目を見開き、算盤を落とす。
そして、そのまま、慌てて奥の部屋へ駆け込む。
「旦那、大変です!」
すぐに、暖簾が割れて奥の部屋から、小太りの男が出てきた。
派手な羽織を着ている。にこりと笑う歯には金歯。
この人が、例の「質屋」だろうか。
「おやおや。白い隊長はんやおまへんか。わてはこの店の主人、蔵人と申します」
蔵人は僕らの前に立ち、両手をこすりあわせて手を差し出す。
「どうぞ、よろしゅう」
『質屋の主人とは、決して握手をしてはならない』――僕は、その言葉を思い出す。
「保安局第二部隊の隊長、日向ルイと申します」
僕は手を取らなかった。
蔵人は、行き場を失った手を宙に浮かせたまま微笑む。その目は笑っていない。
「用心深いお人や。誰ぞに、いらんこと吹きこまれはった」
僕は部屋を見回す。
古い赤茶色の箪笥。小さい引き出しがいくつもある。その箪笥が天井まで伸びている。
箪笥は、帳場を囲むように部屋じゅうに置かれていた。
その引き出しの一つ一つに、札が貼られている。
札には、名前、日付、能力の名前。
――「怪力」「発火」「治癒」「俊足」
質で担保に取った誰かの能力だろうか。
「この店で、不当に能力の貸し借りが行われていると聞きました。ノアの記録を通さずに、人に能力を付与する行為は違法です」
「はて。不当?おかしなことを言いなはる。わては、困ったお人にお金を貸しとるだけですわ。たしかに能力を担保には取ってまっけどな。お金さえ返してもろたら、能力もお返しするだけですわ」
蔵人は想定通りと言わんばかりに、顎を手で撫でながら、にやつく。
「それに……」
「どこぞにわてよりもアコギな商売しとるお方がおるでっしゃろ。十五の子どもに能力を貸し付けては、何十年も取り立てる。挙句の果てには、死ぬまで調整代をむさぼり取る」
蔵人は天井を指さす。
「わては、塔と同じ商売しとるだけでっせ。……ただ、わてのほうが、ちいとばかし良心的ですけどな」
低い声でそう言う蔵人の顔は、真顔だった。
僕は何も言い返せなかった。
あの日の痩せこけた父親を思い出す。
ローンを返せず、娘の薬代も、二年後の能力の代金も払えず、困り果てて金を借りる。
果たしてそれは、本当に悪いことだろうか。
大切な人を守るためには、自分も同じことをしてしまうのではないだろうか。
―――。
だが、ノアの記録を通さない能力の付与は違法だ。
男は否定しているが、取り調べるほかない。
「記録を通さない能力の付与は違法です。取り調べさせていただきます」
僕は、一歩踏み出して蔵人の右腕を掴んだ。
次の瞬間、蔵人がよろけた。
倒れかかるその重たい体を、反射的に支える。
いや、支えてしまった。
僕は、宙をかいた蔵人の手を握っていた。
「――お預かりしまっせ」
―――。
握られた手首から、何かがすっと抜けていく感覚。
痛みはない。だが、体の奥の小さな火が吹き消されたようだった。
蔵人は先ほどの転倒が嘘のように軽々と後ろに下がる。
その手には、細長い札が握られていた。
金茶色の印が光り、墨がにじむように浮き出る。
〈日向ルイ 期限 七日〉
「握手だけがわてのやり方やおまへん。お客さんのほうから、この手を取ってくれはったらええ。こけかけた年寄りを、とっさに支えてくれはる。保安局のお人は、お優しい」
蔵人は派手な羽織を整えながら言うと、僕の方を見る。
「お人よしは馬鹿を見まっせ……」
その声は、底冷えのする低い声だった。
僕は慌てて、光を集めようとする。
――灯せ。
だが、微かな光さえ、全く反応がない。
手のひらには、何一つ集まらなかった。
「……おお」
目の前の蔵人が右手をかざしていた。
その手に、ランプの光、暖簾の隙間の光が磁石のように吸い寄せられていく。
「これが、一等級の光。ほんまにええ品ですわ。この商売二十年で、こないな上物は初めてや」
集めた光を、蔵人が一筋に絞って僕へ放つ。
僕は身をよじる。
光は、制服の肩をかすめて背後の箪笥を焦がした。
僕は、自分の力の恐ろしさを身をもって知る。
何をされるかは全部分かる。しかし、防ぐ手立てはなかった。
「識さん、危ないから下がってください」
だが、識は下がらない。淡々と蔵人を観察している。
「……波が二つ」
「一つは二等級の干渉系、この人自身。もう一つは一等級の放出系、日向隊長の波です。ですが……」
識が続きを言いかけた瞬間、辺りに閃光が広がる。
僕は、識の前に身を投げ出した。
眩しくて何も見えない。
蔵人の仕業だ。どこかから、声が聞こえる。
「期限は七日。お代さえもろたら、いつでもお返ししまっせ。もっとも、一等級の光のお代や。塔がそれだけの額を、あんさんのために払うてくれはったら、の話ですけどな」
何秒たったろうか。
目が元に戻った頃には、派手な羽織はどこにも見当たらなかった。
僕は焦げた箪笥の前で片膝をついた。
蔵人の光がかすめた肩が痛む。
その様子を見て、識がハンカチを取り出す。
「……かばっていただく必要は、ありませんでした」
「あなたが射られたら、計測できなくなりますから」
そう答えると、識は少しだけ黙った。それから、何事もなかったように続けた。
「さっきの続きです。……日向隊長の波は、あの人の体からは出ていませんでした。出ていたのは、左手に持っていた、あの紙からです」
金茶色の印が押された細長い質札。
僕の能力はそこに囚われている……
帳場の奥から、棚が倒れる音がする。
算盤を握りしめながら震える番頭が、うずくまっていた。
「私は何も知りません。勘弁してくださいよ」
この番頭を問い詰めても無駄だろう。
僕は立ち上がる。
そして、手のひらに光を集める。
だが、何度やっても光は起きなかった。
七日。そのあいだに、あの札を取り戻す。
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