第九場「後見」
地下での暮らしには慣れてきた。
しかし、いつまでこんな生活を続けるのか。みんなそう思い始めていた。
ハクは木箱に腰かけ、黒い手袋をした手を握っては開いている。
「もう一週間も力を使ってねえ、体もなまってる。ムズムズするぜ」
「腕立て伏せでも、すればいいじゃない」
トバリがため息をつく。
ふと、宿直室から音羽が顔を覗かせる。
「おなか、すいた」
音羽の熱は三日前にようやく下がった。
だが、モモと会った夜から、宿直室にこもっている。
ハクが、取っておいたパンを投げる。
「食べ物を投げないの!」
トバリがハクの頭を叩いた。
「いてぇ、何すんだよ」
その様子を見て、音羽は、クスリと笑った。
久しぶりの笑顔だった。
*
昼過ぎ、源爺がやってきた。
源爺は、足を引きずりながら歩いていた。時任の時に痛めた傷は、まだ癒えていなかった。
ゆっくりと、いつもの壁際の木箱に腰を下ろす。
「第二部隊の白い隊長が、環外に戻ってきた」
詰所には、沈黙が広がる。
「じゃが肩に包帯を巻いておった。市場の連中が言うには、時計塔の夜、壁の向こうで大きな火が上がっていたそうじゃ。都市での任務で、傷ついたのかもしれん」
あの白い隊長も、同じ夜、都市で誰かと戦った。
そして、勝って戻ってきたということか……
『絶対に戦っちゃだめだから』――モモの言葉が、ふと頭に浮かんだ。
「それから、ここに来る途中、妙なことがあってな」
源爺は、手で頭をかいている。
「妙なこと?」
「ああ、南のトンネルの入り口付近で野良犬を見かけたんじゃが――」
野良犬くらい普通じゃないか、と言いかけた次の言葉で俺は息を呑んだ。
「誰もいない路地に向かって吠えているんじゃ」
「ここに来る途中も、誰かに見られている気がしてな。年を取ると気が小さくなるわい」
源爺は笑っていた。
俺も笑い返す。
だが、内心は嫌な予感がしていた。
*
源爺は、足を引きずりながらトンネルの奥へと帰っていった。
詰所へ戻ろうとした時、ふと、ある違和感に気づく。
ホームに溜まったほこりの上には、足跡がくっきりと残っている。
音羽の小さい足跡、ハクのつま先が跳ねたような足跡、トバリのマントの裾でこすった跡、源爺の右と左で歩幅が違う足跡……
それとは別の、大きな靴の足跡。
その足跡は、源爺の足跡を追うように続いている。
源爺の足跡は、入ってきたものと、出ていったものの二つ。
だが、大きな靴の足跡は、入ってきたものしかなかった。
得体の知れない何かが、この場所に留まっている。
静寂の中で心臓の音が大きくなるのを感じた。
俺は静かに辺りを見回した。
ランタンの灯りが、ゆらゆらとホームを照らす。
壁には、みんなの影。俺、音羽、ハク、トバリ。
そこには、存在するはずのない、五つ目の影が映っていた。
その影からは、微かに、乾いた苦い煙草の匂いが漂う。
――解析する。
視界の端が、冷えない。銀の輪も、浮かばない。
見えないものは、俺の力では、見ることが出来なかった。
「朔にぃ、急に固まって、どうしたの?」
トバリが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「ほこりが目に入った」
俺以外、誰も気づいていない。
「みんな、ちょっとこっちへ来てくれないか?」
音羽もハクもトバリも不思議そうに首をかしげながら、俺のそばに集まる。
その様子を見て、得体の知れない何かは、移動していた。
ホームから降りる音が微かに響く。
影は去っていった。
白い隊長は、環外へ戻ってきた。
感知系や探索系の能力者が、探りに来ていても何も不思議はない。
その能力者に、俺たちの隠れ家は見つかった。
俺は、影が過ぎ去ったトンネルの奥を見つめる。
ランタンの灯りが、大きな足跡を照らしていた。
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