第七場「楽屋見舞い」
時任の一件から二日後、約束通り源爺は物資を運んできた。
大きな荷物を詰所の床にどさっと落とすと、壁際の木箱の上に倒れこむように座った。
「音羽に、聞かせる話があるんじゃ……」
源爺は足がまだ痛むのだろう。しかめっ面で膝をさすっていた。
「話って、なに?」
宿直室から毛布にくるまった音羽が出てくる。まだ熱はあるようだが、顔色は良くなっていた。
「白い制服の、桃色の髪の娘の話じゃ」
市場の道の角で、黒髪の眼鏡の女性と一緒に感知装置を設置していた女の子だ。
モモと呼ばれていた。
源爺によると、モモは夜になると一人で駅舎のホームに来て、端に腰かけて夜中まで座っているそうだ。
「昨日はナナに、『灰色の髪で、ヘッドホンをした、耳のいいお姉ちゃんを知らない?』と聞いておった。音羽を探しているようじゃ」
源爺の口調は重たかった。
「おそらく、今晩も来るじゃろう……」
源爺も音羽も、みんな気づいている。
音羽の耳のことを知っているモモという少女は、一人しかいない。
一年前に保安局に連れ去られたあの子が、白い制服を着て環外に帰ってきているのだ。
しかもその部隊は、俺たちを追っている。
皮肉な話だ。
源爺はそれ以上はあえて何も言わず、駅舎へ帰っていった。
*
詰所の中は、重たい空気で包まれていた。
音羽が何も言わず、淡い水色の目で訴えかけてくる。
「まだ熱があるんだろ。そんな状態で駅舎まで歩かせられない」
「歩ける」
音羽は、俺の目を真っ直ぐ見る。
ハクが横から口を挟む。
「罠かもしれないんだぜ」
「罠なら、わたしのことなんて聞かないよ!わたしの名前を隊で出したら、モモが捨て地の子だってばれちゃう。あの子、昔から隠しごとが下手なの。本当に会いたいときしか、あんな聞き方しない!」
音羽は、動じずにまくし立てる。
「一年、待ったんだよ」
その淡い水色の目は、涙で溢れていた。
「……分かった。ただし、俺がついていく。ハクとトバリは残れ」
音羽を止めることは無理だと思った。
だが、俺の言葉にハクが反応する。
「なんでだよ。俺も行く」
「あんた何も分かってないの?もう、あたしたちは記録されちゃってるんだよ。下手に動き回らない方が良いに決まってるでしょ」
ハクを制するトバリは、ついて行けないことが悔しそうだった。
その様子を見たハクはうなだれる。そして、呟いた。
「ちゃんと、戻ってこいよ」
*
外に出ると、辺りは真っ暗だった。
夜風が冷たい。
俺は音羽に上着をかぶせ、手を引いて歩きだす。
体調はまだ万全ではないはずだが、音羽は止まることなくついてきた。
そのまま数十分歩き続け、俺たちは旧駅舎へたどり着いた。
裏手の半分崩れたビルの上から、ホームを見下ろす。
ホームの端に小さな人影が見えた。
白い制服、桃色の線の入った袖。足を線路の上でぶらぶらさせ、二つに結んだ桃色の髪が夜風に揺れている。
ほかの隊員の姿は、見えなかった。
「なにか、鳴ってる。機械の声。あの子のほうから。すごく大きい。ずっと、叫んでるみたい」
音羽が苦しげにヘッドホンを押さえる。
俺には、夜風の音しか聞こえなかった。
気づくと、音羽は崩れた壁の斜面を下っていた。ふらつく足で、ホームの端へ向かっている。
俺は慌てて、音羽の後を追いかけた。
コツコツと音羽の足音が、夜のホームに響き渡る。
桃色髪の少女が振り向く。
少女はその茶色の大きな目を見開き、まばたきを二回した。
「……おとは?」
声が震えている。
「おとは、だよね?うそ、ほんとに?ちょっと、待って、なんで、あたし――」
「……モモ」
モモは立ち上がり、音羽へ駆け寄った。
二人の距離が近づく。
あと、一歩という距離になった時、突然、音羽の体がぐらりと揺れた。
倒れそうになる体を、俺は支える。
「おとは!大丈夫!?」
音羽は額を押さえ歯を食いしばり、モモが近づくと血の気が引いていく。
モモは足を止めた。
そして何かに思い当たったように自分の喉に手を当てる。
「そっか。おとは、機械の声が聞こえるんだったね。……ここに、入ってんの」
そう言うと、モモは一歩下がった。近づいた二人の距離が離れる。
「声を大きくする機械。いつでも叫べるように、寝てる間もずっと力を溜めれるようにって。あっちへ行ってから、すぐに埋めてもらったの」
「あたしの力、もともとはそんなに強くなかったから。これのおかげで、三等級になれた」
モモは肩をすくめて説明する。だが、その顔は悲しげだった。
そして、もう一歩、モモは後ろに下がる。二人の距離は更に広がる。
音羽の肩から力が抜ける。
三歩。それが、埋まることのない二人の距離だった。
「……その髪、どうしたの?」
「染めたの。灰色って、都市じゃ目立つんだよ。捨て地の色だって、すぐ分かっちゃう。……似合うでしょ?」
音羽の髪も、青みがかった灰色だ。音羽は何も答えることが出来なかった。
俺は、ホームの端に腰かけた。ちょうど二人の間の位置だ。
それを見た二人も、並んで座る。
「サクも来てたんだね。元気してた?」
「ああ、モモも元気そうだな」
音羽が反対側のホームの端を見つめながら聞く。
「向こうに行ってから、どうだったの?大丈夫?」
「全然平気。大丈夫。あったかいお湯が毎日出る。ベッドもふかふか、ご飯は三回、雨漏りもしない。制服もかわいい。部隊の人たちもいい人ばっかりで――」
モモは足をぶらぶらさせて早口でまくし立てる。だが途中で、ふと黙った。
そして、何かを言いかけたが、それを呑み込んだ。
音羽は膝の上で手を握る。
「帰ってきて。一緒に、いようよ。ナナも、源爺も、みんな――」
「戻らないよ」
先ほどの早口が嘘のように、モモは静かだった。
「捨て地に戻るくらいなら、都市で死ぬ」
音羽の膝の上で握られた拳は震えていた。
モモが立ち上がり、制服の裾を払う。
「さてと、そろそろ戻らないと」
モモは、三歩先の音羽を見つめて微笑む。
「今夜のことは、報告しない。あたしは、誰にも会わなかった。でも、次に仕事で会ったら、あたし、手加減しないからね」
そして、今度は俺の方を向く。笑みは消えていた。
「あの白い隊長は、本物だよ。あたし、あの人が負けたとこ、一度も見たことない。……絶対に、戦っちゃだめだから」
モモは、そう言い残すと走り去る。
桃色の髪はすぐに闇へ消えた。
音羽は、まだ座ったままだった。
モモが座っていた場所をじっと見つめている。
その埋められない三歩を、月の明かりが照らしていた。
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