第五場・裏「影法師」(ルイ視点)
新東京は、方舟塔を中心に管理区画(鳥籠)、第一環(上層)、第二環(下層)と街が広がる。
方舟塔が一番高く、上層は一部、下層の上に覆いかぶさるように設計されている。
ノアの指令の対象――黒羽さんは、下層第七区に潜伏しているという。
僕は指令を受けてすぐに、目的地へと向かった。
*
街へ入ると、密集する集合住宅が目に入った。
ひびの入ったその住宅は、軒をぶつけ合っている。その奥には工場がいくつか見える。
この街の配線は何十年も前のままで、少し雨が降ればすぐに停電する。上層の人間は「都市の影」と呼んで寄りつかない。
僕はすぐに、聞き込み調査を開始する。
三日調査を続けて分かったことは、全ての情報がある共通の場所を指していることだった。
ノアが拾った能力の波、第七部隊の記録、怪しい人影を見たという人々の証言、そのどれもがその場所に黒羽さんがいるであろうことを示していた。
――南の外れの古い変電所。
*
その夜、僕は変電所へ向かった。
門をくぐった瞬間、第七区の全ての明かりが消えた。
意図的な停電だろうか。あたりは、闇に包まれる。
遠くの方舟塔の光、上層から漏れ出た明かりだけが、建物の隙間から微かに差していた。
僕は気持ちを落ち着かせるために、いつものように光を集める。
――灯せ。
――集まらない。
いつもは水のように流れ込む光が、ひとすくいもない。
それでも、指先に蛍ほどの小さな光が灯っていた。
「……相変わらず、それをやるんだな」
暗闇の中から、懐かしい声が聞こえる。
「よう、チビ。……いや、もうチビじゃねえな。でかくなったな、ルイ」
うっすらと見える大きい変圧器の上に、黒羽さんは立っていた。
伸び放題の黒髪と髭、ぼろぼろの隊員服。
首筋から頬にかけて、黒いひびのような痕が木の根のように広がっていた。
あの黒いひびは、調整を断った者に出る症状だ。訓練時代の教本では読んだが、実際に目にするのは初めてだった。
「投降してください。今なら、まだ間に合います。塔で調整を受ければ、体は――」
「首輪を、もう一回つけろってか」
黒羽さんは、首を親指で指す。
「首輪?」
「まあ、お前に言っても、分からねえよな」
黒羽さんは変圧器を蹴ると、僕の前に降り立った。
足元の闇が波打っていた。いや、あれは闇ではなく、遠くの光から生まれる影。黒羽さんの能力だ。
無数の影が、まるで生き物のようにうごめいている。
「三年前のあの日、俺は調整室で――」
黒羽さんはそう言いかけて、やめる。
わずかに見えるその表情は、もの悲しげだった。
「ルイ、訓練場で最後に教えたこと、覚えてるか」
「……光に、頼りすぎるな」
「そうだ」
次の瞬間、黒羽さんの影が跳ねた。
地面から何本もの影の刃が突き上げる。
僕は咄嗟に身をよじる。制服の袖が裂けて白い布が闇に舞った。
指先の光を一筋に絞って黒羽さんへ放つ。その光は音もなく消え去った。
黒羽さんの前に、黒い影の壁が出来ていた。
「影は、光を喰らう」
気づくと、目の前の黒羽さんは消えていた。
「お前の光が強ければ強いほど、俺の影は濃くなる。小さいころ、お前は俺に一度も勝てなかっただろ。忘れたか」
声が左から、いや右から聞こえる……闇と無数の影の中で、僕は黒羽さんの位置を完全に見失った。
突然、肩に熱い痛みが走った。影の刃が、背後から制服ごと肌を裂いていた。
膝をつきそうになるのを必死でこらえる。
黒羽さんは、強い……
いや、僕が弱いのかもしれない。
思い起こせば、ここまで光が使えない場所で一人で戦ったことはなかった。光が使えない場面では、決まって仲間が助けてくれた。
やはりこの停電は偶然ではない。黒羽さんは、教え子の……僕の弱点を一番よく知っている。
ふと、手首の端末が鳴った。奏からの通信だった。
〈環外、旧市街の時計塔跡にて能力波を感知。登録照合――第四部隊副隊長、時任静〉
第四部隊は、環外の作戦から外れたはず。なぜ、こんな夜中に。
『あれは、オレの獲物だ』――キリヤの言葉が脳裏をよぎった。
だが、今の僕には、駆けつける手段も時間もない。
「よそ見をしてる余裕があるのか」
すぐ耳元で黒羽さんの声が聞こえた。
足元から影が絡みつく。氷のように冷たい影だった。
影は膝へ、腰へと這い上がってくる。動くことが出来ない……
「ルイ。お前は、いい子だったよ」
目の前に、黒羽さんがいた。
黒いひびに覆われた痩せた顔。目だけは訓練場で笑っていたころのままだ。
「だから、ここで終わらせてやる。――俺みたいになる前にな」
黒羽さんは、一本の影の刃を振るう。
その切っ先は、目前に迫っていた。
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