第四場「殺陣」
約束の日に、源爺は現れなかった。
「三日後の正午、また来る」と源爺は言った。
だが時計の針は、三時を指していた。
源爺が約束を破ったことは、過去一度もない。嫌な予感がした。
「トンネルを見てくる」
俺は立ち上がり言うと、ハクはもう靴を履き、トバリも黙ってマントを羽織っている。
「今度は置いてく。なんて言わないよな」
俺はハクとトバリの目を見てうなずくと、詰所のドアを開けた。
*
薄暗いトンネルを、ランタンを持って進む。
「ねえ、誰かに何かされたのかな?」
「まだそうと決まったわけじゃない」
トバリのマントがはためくたびに、ランタンの光の影がトンネルで揺らめいた。
「じいさん、腰を痛めただけじゃねーか?」
「アンタはいつも楽観的で良いわね」
ハクの軽口に、トバリがため息をつく。
真っ暗なトンネルの途中には、源爺の痕跡は何も残っていなかった。
だが、南の地下鉄の入り口へ続く最後の曲がり角に、源爺のカンテラを見つけた。
火は消えている。
カンテラを拾い上げると、取っ手には紙が結びつけてあった。
俺は取っ手から紙をほどいて広げた。中には、文字が書かれていた。定規で引いたような真っ直ぐできれいな字だ。
〈今宵、零時。旧市街の時計塔跡にて待つ〉
〈遅れたぶんだけ、この老人の時間をいただきます〉
たったの二行。差出人の名前は書いていない。だがこの二行の下部には、蓋の開いた懐中時計の絵が描かれていた。
「絶対罠だろ、これ」
「ああ、罠だな」
ハクが紙を覗き込んで頭を抱えている。
「でも、源爺を見捨てることは出来ない。行かないという選択肢はない……」
その時、ちょうどランタンの灯りが切れた。
トンネルは、真っ暗闇に包まれた。
*
旧市街の街はずれには、昔の時計塔がある。
塔は崩れて瓦礫が散らばり、地面には巨大な文字盤が転がっている。
何十年も同じ時刻で止まっている大きな針を、月の灯りが照らしていた。
文字盤の中央に、手を後ろで縛られ座らされた源爺がいた。
口の端が切れ、怪我をしているようだが、ちゃんと生きている。意識はしっかりとしているようだ。
「……馬鹿もんが。わしのことなんぞ、放っておけばよい」
「それでは、私が困ります」
文字盤の縁に、黒い制服の女が立っていた。銀の徽章、二等級だ。
「零時ちょうど。時間を守る方は、好きですよ」
そう言うと、女は懐中時計の蓋をぱちりと閉じる。
「第四部隊副隊長、時任静と申します」
時任は、静かにお辞儀をした。
キリヤと違う丁寧さが、かえって不気味に感じた。
「第四部隊は、引き上げたんじゃなかったのか」
「ええ、そうです。ですから、これは任務ではありません」
時任は、悪びれる様子もない。
「獅堂隊長の個人的なお願いを受けて来ました。隊長の顔に泥を塗った少年を、日向隊長より先に、隊長のもとへお連れする。正直、私はあまり気が進みませんけれど」
時任はため息をつく。
「気が乗らないなら、源爺を離してさっさと帰ってくれないか」
「そうもいきません。あの方の後始末をするのが、私の仕事ですので」
何を考えているのか分からない。それが、時任の印象だった。
「分かりやすい方でしたよ。大きな荷物を背負って、空き地の南へ消える老人。その先に小さな隠れ家があることは、子どもでも分かります」
源爺が悔しそうに唇を噛む。
自分が捕まらなければ、こんなことにはならなかった。そう考えているのだろう。
「では、そろそろ宜しいでしょうか。お時間ですので。大人しくついてきてください。さもなければ……」
時任は、服の袖から細く鋭い銀の針を取り出し、源爺を狙った。
俺は思考を加速する。
どうする。
どうすれば、みんな無事で切り抜けられる。
先ずは、敵の能力を見抜かなければならない。
――解析する。
【時間遅延】
時間を遅らせる力。いつも通り俺の目に映されたのは、能力の名前だけだった。
これでは、だめだ。
どのように発動し、どのように止めれば良いか、全く分からない。
顔を上げると、時任の目が、わずかに細くなっていた。
見かねたトバリが俺の脇腹を肘でつつく。
「あたしが盾を張る。その隙に、ハクが源爺を」
「待て。相手の出方が、まだ分からない」
俺は、トバリを手で制す。
「分かるまで待ったら、源爺が――」
トバリの声を合図のように、ハクが飛び出す。
ハクの足は誰よりも速い。
ぐんぐんと源爺に迫っていき、時任の隙をついて救出できる。そのはずだった。
「――少々、お待ちを」
ぱちり、と時任の懐中時計の蓋が開く音が聞こえる。
文字盤の半分を越えたあたりで、ハクの動きは不自然なほど落ちた。
水あめの中に飛び込んだかのように、足がゆっくりと宙を舞う。
ハクの声は引き伸ばされ、低く長く響いていた。
「あらあら、とても短絡的な方ですね」
時任は、文字盤の縁から一歩も動いていない。白い手袋をした指で、懐中時計の鎖をもて遊んでいる。
「その文字盤の上は、もう私の舞台です。入ったものの時間は、すべて私がいただきます」
次の瞬間、時任の指の間から細く鋭い針が三本投じられた。
文字盤の中に入った瞬間、その速度はがくんと落ちた。だが、それよりもハクは遅い。
ゆっくりと、だが確実にハクに向かって吸い込まれていく。
ハクは、あの針をかわせない。
「トバリ!ハクを守るぞ!」
「分かってる!」
トバリはマントを翻して文字盤の中へ飛び込む。俺もそれを追って駆け出した。
文字盤の中に入った瞬間、水の底に沈んだように体が重くなった。
トバリのマントも、はためきかけたまま宙で浮いている。
時が永遠に引き伸ばされている感覚に陥った。
「三人とも、自分から入ってきてくださるとは。手間が省けました」
時任は、無表情に開いたままの懐中時計に目を落とした。そして、銀の針を追加で投じる。
「ご安心を。すぐには届きませんよ。ただ、あなたたちがその針をよけるより、針が届くほうが、少しだけ早い。それだけのことです」
投じられたもう一本の針が、俺の方に向かってくるのが横目で見えた。
銀色の針の先端が、ゆっくりと、だが確実に迫っている。
瞬きをすることさえ、もう間に合わなかった。
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