第三場「黒衣」
ねずみは、壁際や草むらの影に沿って移動する習性がある。
そして、天敵の気配を察するとまずは体をピタッと止め、相手の方向を凝視する。相手の正確な位置と距離を見極めるのだ。
天井からの音に固まり身をひそめる俺たちは、まるでねずみのようだった。
音が鳴りやむと、俺は静かに口を開いた。
「地上に出ようと思う」
「は?今出るのかよ?」
ハクが、隠れていた机の下から顔を覗かせる。
「ああ、今だ。地上で何をしてるのか、見てくる。何も知らないまま隠れてるのが、一番まずい」
「あたしも行く。盾なら、もう使えるよ」
トバリは右手の拳を握りしめた。
「一人のほうが目立たない。音羽とハクを頼む」
「……分かった」
トバリは唇を尖らせ何か言いたそうにしたが、その先の言葉を呑み込んだ。
*
トンネルを抜けると、傾いた夕日が目に刺さった。
しばらくぶりの太陽だ。目が慣れるのに時間がかかった。
ここは源爺が言っていた南の古い駅のはず。
俺は、誰にも見つからないようにフードを深く被る。
今日の俺は、影だ。ねずみのように、壁際の影に沿って進んだ。
*
市場は何事もなかったかのように開いていた。しかし、何やら人々が同じ方向を見て噂をしている。
俺は静かに身を隠しながら、その方向を確認した。
南門へ続く大通りの角で、白い制服の隊員が見えた。
『保安局の花形』――源爺の言葉が頭をよぎる。
その時、どすん、という音がした。
白い制服の隊員たちは、膝の高さの黒い杖のような装置を地面に打ちこんでいる。
その先端には小さな青い光が点滅している。何かを測る装置だろうか。
地下から聞こえた地面をえぐるような音は、この装置の仕業に違いない。
「モモ、そこじゃない。あと三歩右」
「はーい!」
背中まで届く長い黒髪に、細い眼鏡をした女性が、モモという少女に話しかけている。
名前を呼ばれた少女は、袖をまくり、重い機材の箱を抱えていた。
モモ……
音羽と仲が良かった近所の子どもに、モモという女の子がいたはずだ。
だが、髪の毛は音羽と同じ、灰色だった気がする。目の前のあの子は、桃色の髪を二つに結んでいる。
別人か。
俺は、屋台の影を伝ってその場から離れた。
*
旧駅舎の裏手には、半分崩れたビルがある。
子どものころ登って遊んだ場所だ。瓦礫のすき間に腹ばいになれば、下からは見えない。
俺はそのビルに潜み、駅舎方向を見下ろした。
ホームの端に源爺がいるのが見えた。その後ろには、ナナが隠れている。
源爺の目の前には、白い制服の男が立っていた。
夕日に照らされた金髪、金の徽章、金の縁取りの白い隊長服。
その佇まいには、荒々しさはない。むしろ礼儀正しさ、穏やかさを感じる。
だが、底知れぬ強さを感じた。
それにしても、おかしい。男はキリヤと同じ一等級のはずだ。あいつの時は明かりという明かりが死んだ。
だが、この男からはそれを感じない。
先ほどこの男の頭の上を巡回のドローンがゆっくりと横切ったが、一度だけふらりと揺れて、すぐに持ち直していたのだ。
ふと、男はナナの前に膝をついた。
――ナナに近づくな。
俺は叫びそうになるのを必死でこらえた。
しかし男はナナには触れず、手のひらの上に小さな光を灯した。
赤い夕日の中で、その光だけが白く、ただひとつ濁りのない輝きだった。
その光を見て、ナナの目がまんまるになる。
なんだあの光は……
――解析する。
視界の端が冷える。俺の目に、銀の輪が浮かび上がった。
【光熱操作】
光と熱を操る力。
もし、無尽蔵に光を出し、熱を操れるとしたら……
そう考えると背筋が冷えた。この男とは、戦ってはいけない。
キリヤは触れたものを砕く男だった。なら触れさせなければよい。
だが、この男は違う。一等級なのに機械がほとんど乱れない。光が届くところは全部、こいつの間合いかもしれない。
ふと、男がゆっくりとこちらを振り向いた。
俺は瓦礫に顎を押しつけて、これでもかという程かがんだ。
心臓があばら骨を内側からたたく気がした。影は気づかれたら終わりだ。息を殺し、十秒数えた。
顔を上げると、男はもうこちらを見ていなかった。
白い背中が、門の向こうへ去っていった。
*
辺りがすっかり暗くなるころ、ようやく詰所に戻ることが出来た。
「朔にぃ、顔、真っ青だよ」
部屋に入ると、トバリが駆けつける。
俺は、見てきたことを報告した。
市場に妙な装置を打ちこんで回る白い制服の隊員たち。そして、金の徽章の白い隊長のこと。
「一等級が、また一人かよ」
「あんたは、何等級だろうが変わらないでしょうよ」
ハクとトバリのいつものやり取りに、俺はほっとした気持ちになった。
「装置を置いてたのは、黒髪の眼鏡の女と、桃色の髪の小さい女の子だ。モモって呼ばれてた」
俺がそう言うと、宿直室の扉がキイと鳴って開いた。
毛布を肩に巻いた音羽が柱にもたれて立っている。まだ、具合は悪そうだ。
「今、モモって言った?どんな子だった?」
「背が低くて、桃色の髪を二つに結んでいた。それと、声がやたら大きかったな」
音羽が息をのむ。
「……返事だけは、いつも大きかった」
市場の裏の長屋に住み、音羽といつも一緒だった小さな女の子の名前がモモだった。声が大きく、よく笑う子だった。
だが一年前、「波が出た」という理由で保安局に連れて行かれた。モモが連れて行かれた後、音羽は何日も口をきかなかった。
「でも、違うかもしれない。あの子の髪はわたしと同じ灰色。モモなんて名前、どこにでもあるし」
一拍。
「きっと、違う人だよ……」
音羽は微笑んだ。だが、その顔は口元しか笑っていなかった。
毛布の下で、音羽の肩が小刻みに震えていたのは――たぶん、熱のせいだけではなかった。




