第二場・裏「場当たり」(ルイ視点)
ノアより指令を受けた二日後の朝、僕たち第二部隊は環外へ向かった。
『何かが起きている』――鉄心隊長は言った。
僕は、その正体を一刻も早く突き止めなければならない。はやる気持ちが足取りを急がせた。
境界壁の門をくぐると、取り巻く空気が一変した。
油、錆、湿った土の匂い。
この地を踏むのは、いつぶりだろうか。訓練生時代の視察以来な気がした。
少し進むと、壊れかけの建物が道路の脇に見えてきた。
ガラスのない窓やがれきの陰から、いくつもの目が僕たちを観察している。
「歓迎されてないわね」
僕より少し先を、奏が歩く。
「歓迎される理由もない」
「そういうところよ、あなた」
奏は少しズレた眼鏡の位置を直して僕を見る。
後ろについてくるモモは、さっきから黙って足元ばかり見ている。
いつもなら道中はずっとしゃべっているが、環外に着いてからあの調子だ。
何かあるのだろうか……
僕の心配をかき消すように、風で砂埃が舞った。
*
第四部隊の臨時の拠点に着くと、黒い制服の隊員が一斉に振り向いた。
積み上げられた木箱の上に、獅堂がふんぞり返って座っている。
「よう、優等生。捨て地へようこそ」
獅堂は籠手のついた手を、ひらひらと振った。
「その白い制服、すぐに真っ黒になるぜ」
「引き継ぎの資料をいただきに来ました」
僕はそれだけ言った。
隣で奏が咳払いをするが、元より挑発に乗るつもりなどない。
「チィ、つれない野郎だな。もう少し遊び心、ってもんを持ったほうが良いだろーが」
「時任、資料を持ってこい!」
舌打ちをすると、獅堂は部下の一人を呼んだ。
「かしこまりました」
細身の女性。栗色の髪をきっちりと結い上げている。手には白い手袋。
時任静、第四部隊副隊長、二等級。
獅堂の暴走の後始末を何年も一手に引き受けてきた、彼の右腕だ。
「日向隊長、こちらです」
僕は、時任から調査記録の端末を受け取り、内容を確認する。
その間、彼女は懐中時計の蓋をぱちりと開け、文字盤を見て、また閉じた。
「ずいぶんと、お早いお着きですね。お約束の時刻より、十七分も」
「早すぎましたか」
僕は調査記録の端末を一旦机に置き、時任のほうを見る。
「いえ、問題ございません」
口調は温厚だが、その目は笑っていなかった。
再び調査記録に目を通す。
マヤ班長の任務放棄、無能力の少年の噂、ロボット六体の全壊。
最後の一文には、「――原因、ロボットの老朽化による誤作動」と書いてあった。
「この報告書は間違っています」
僕が目を上げずにそう言うと、部屋の空気がピンとはりつめた。
「塔の記録と一致しません。修正して、提出し直してください」
「あー?何が間違ってるって?」
獅堂は怒りで拳を叩きつける。籠手の下で木箱が砕けた。
「獅堂隊長」
「修正は、私がいたします」
時任が懐中時計を握ったまま、僕と獅堂の間に立っていた。
「それで問題ないですよね?日向隊長」
「僕はそれで構いません」
第四部隊は、時任のおかげで成り立っている。僕はそう思った。
獅堂は苛立たし気に木箱を蹴飛ばし、ズカズカと拠点を出ていく。
そして、すれ違いざま、耳元でささやいた。
「あれは、オレの獲物だ。忘れんなよ」
僕は返事をしない。
獅堂と隊員たちが去ったあと、時任が一礼をして出ていった。
去り際、もう一度だけ、懐中時計の蓋が鳴った気がした。
*
拠点には、ポツンと一人だけ黒い制服の男が残っていた。
くすんだ茶色の短髪、黒いマスクをしている。
「君は?なぜここに残っているのですか」
「第四部隊所属。追跡担当。本日付で、第二部隊の指揮下に移るよう命じられた」
くぐもった声だった。
端末の記録を確認する。
追跡担当、三等級、嗅覚の強化。名前の欄にはただ二文字。
キバ。
「分かりました。よろしくお願いします」
キバは静かに首を縦に振った。
「ところで……一つ教えて欲しい」
「君は、追跡の成功率が九割を超えている。それなのに今回の標的だけは見失った。雨で匂いが消えた、と」
キバの琥珀色の目が僕をまっすぐ見返す。
否定も肯定もしなかった。
「次は、見失わないでくれ」
「……了解した」
それだけ言うと、キバはどこかへ消えていった。
*
昼過ぎ、僕は奏とモモに指示を出した。
「環外の全域に、能力波の感知装置を置く。隊員と協力し、手配してくれ」
記録にない波を観測するためだ。
「分かったわ。ルイはどうするの?」
奏は、珍しく大人しいモモを、不思議そうに眺めながら返答した。
「旧駅舎を見てくる。潜伏先として記録に名前が挙がっている」
僕がそう言うと、モモの肩がびくりと揺れた。
「モモ、大丈夫か?」
「大丈夫です、ちゃんとやります!」
モモは元気な声で答えたが、その笑顔は貼りつけたようだ。
奏が何か言いたげに見るが、僕は首を横に振る。
今は、環外の調査を優先して進めたい。
心なしか、モモの肩が震えている気がした。
*
夕方には、旧駅舎に辿り着くことが出来た。
「ここか……」
錆びた線路、ひびの入ったホーム。
その上にいくつか建てられている布と板の小屋は、家と呼ぶにはあまりにも頼りない。
ホームの端に一人の男が立っていた。
白髪で、目つきの鋭い老人。片目の上には古い傷がある。
あれは、刃物ではなく保安局の古い制圧棒を強く押しつけられた痕だ。
なぜ環外の老人に……
老人の後ろには、小さな女の子が隠れるように、こちらを覗いている。
「アーク保安局、第二部隊の日向です。少しお話を伺ってもよいでしょうか」
老人が鋭い目で僕を睨む。
「白い制服とは、珍しいな」
「お偉いさんが、こんな所に何の用だ」
僕は出来るだけ刺激を与えないように、丁寧に尋ねる。
「この辺りに能力を持たない少年が潜んでいる、と聞きました。ただ、その少年は、第四部隊の班長を退けたそうです」
「能力を持たない?捨て地の人間は、みんな能力なんぞ持っとらん。あんたらが、そう決めたんだろう」
老人が言うことは正しい。捨て地の人間は、能力を持たない。普通は……
視界に映る小屋には、寝床が十二あった。だが、ホームの子どもは八人しかいない。
「ここにいない子どもたちはどこへ?」
僕は、寝床を指さし言う。
「年かさの連中は部品拾いで遠くまで出とる。何日も帰らんこともある」
嘘だと思った。しかし、証拠は何もない。
これ以上、問い詰めることは出来なかった。
僕と老人との会話を、いや、僕の白い制服を、後ろに隠れていた女の子が見つめている。七つか八つくらいだろうか。
僕は膝をつき、手のひらに小さな光を灯した。
「……きれい」
「君はなんて名前?」
「わたしは、ナナだよ」
ナナと名乗った女の子は、じっと僕の手のひらの光を見ていた。
「帰ってこないお兄さんやお姉さんに会ったら伝えてほしい。逃げ続けるより、出てきたほうがいい。秩序の中にいれば、守ってもらえるから」
ナナは、きょとんと老人を見上げる。
老人は何も言わないが、目にはっきりした怒りがこもっていた。
これ以上、ここに居ても進展はないだろう。
立ち上がりかけたその時、背後に視線を感じた。
僕は、振り返る。
ホームの向こうに、崩れかけたビルがあった。
気のせいか。
ビルの瓦礫の上には、誰もいなかった。
*
駅舎を去り、奏とモモと合流した時、腕の端末が鳴った。
ノアからの緊急指令だ。
〈下層第七区にて、登録抹消者による能力使用を確認〉
〈対象は黒羽影臣〉
その名前を確認した瞬間、僕は息がとまった。
その様子が気になったのか、奏が端末を覗き込む。
奏も言葉を失っていた。
黒羽さんは、鉄心隊長の部下だった。
幼い頃、僕に初めて戦い方を教えた人。三年前、定期の調整の日に姿を消し、行方をくらましていた。
僕は黒羽さんがよく訓練で笑いながら言っていた言葉を思い出した。
「――ちび。光ってのはな、便利すぎるんだ。頼りすぎるなよ」
端末には、ノアからの指令が続く。
〈ただちに下層第七区へ向かい、対象を確保せよ〉
下層は本来、第七部隊の仕事だが、相手は元第一部隊の二等級。
巡回の四等級・五等級では止められない。だから僕が呼ばれた。
ノアの指令に迷いはない。
「……行くのね」
「環外の感知網は君とモモに任せる。キバも置いていく」
奏は自分もついていくべきか、迷っているようだった。
「大丈夫?」
「大丈夫だ」
そう答えた僕の声は、思ったよりも硬かった。
黒羽さんがいるであろう境界壁の向こう側を見る。
茜色の夕日は、地平線の向こうへほとんど沈んでいた。




