呪いの正体は、破られた約束でした
ルシアン公爵が書庫で眠れた翌日、拘束していた三人の尋問が大きく進んだ。
進んだ、と言っても素直に白状したわけではない。
互いの証言が食い違うたび、公爵の加護が反応し、別室でも微かな魔力のざわめきが起きる。それを私が記録し、どの発言の直後に綻びが濃くなったかを照合していったのだ。
「つまり、誰がどこで嘘をついたか、分かるのか」
尋問記録を見ながら、ルシアン公爵が低く問う。
「完全ではありませんが、かなり」
「恐ろしい能力だな」
「敵に回したくないと仰ったでしょう」
「改めて実感している」
会議卓には、私、ルシアン公爵、アルフレッド執事長、護衛騎士長エリオットの四人だけ。
外にはミラが控えている。
私は記録の上に、色分けした付箋を順に貼っていった。
「まず、購買係ダミアンは『王都の緊急案件だから仕方なかった』と繰り返しています。でも、どの案件かは言えない。ここで強い黒色が出るので、肝心な相手を隠している」
「会計補助ベッカーは?」
「自分は数字を書き換えただけ、と。つまり指示役が別にいるのは確実です」
「グレシャムは」
「『公爵家のためだった』と言っています。これは半分本当で半分嘘です」
「半分?」
「彼は自分の取り分も得ていた。でも同時に、何か大きな圧力を恐れている。たぶん王都からの誰かです」
エリオット騎士長が顔をしかめた。
「殿下の案件という文言もありましたな」
「ええ。でも現時点で第二王子殿下と断定は危険です。書面に名前がない以上、裁定の場では通りません」
「ではどうする」
「北方へ行きます」
私が言うと、室内が静まった。
ルシアン公爵だけが、最初からそれを予想していたように目を細める。
「理由を」
「横流しされた物資の量が、公爵邸内だけで消化できる規模じゃありません。石炭も薬草も木材も、最終的には北方防衛物資の帳簿に接続しています。つまり本丸は領地側にある」
「……同意見だ」
公爵が頷いた。
「北方領都ノクスヘイムの会計庫を直接洗う必要がある」
アルフレッド執事長が口を開く。
「ですが旦那様、冬前の今、王都を空けるのは」
「だから私も同行します」
私はすかさず言った。
「というより、私が行かなければ綻びの地図が作れません」
「危険だ」
ルシアン公爵の声が低くなる。
「領地の反発もある。王都より露骨だ」
「承知のうえです」
「北は寒い」
「それは知っています」
「……そういう話ではない」
私は少しだけ息をつき、彼を見返した。
「公爵様。私はこの家の問題を見つけただけで終わるつもりはありません」
「……」
「途中まで直して、あとはご自身で、と丸投げしたら、また同じことが起きます。責任者が一人で抱え込んで倒れる職場は駄目だと、私は何度も申し上げました」
「職場ではない」
「組織です」
「結婚だ」
「両方です」
ルシアン公爵はこめかみを押さえ、しばし黙った。
その顔が呆れているのか諦めているのか分からず、私も黙って返答を待つ。
やがて彼は、観念したように椅子へ深く腰掛けた。
「……同行を認める」
「ありがとうございます」
「ただし条件がある」
「また条件ですか」
「契約相手だろう。境界が明確な方が良いのだろう?」
「そうでした。ぜひ」
その返しにエリオット騎士長が肩を震わせ、アルフレッド執事長は咳払いで笑いを誤魔化した。
ルシアン公爵だけが真顔で羽根ペンを取る。
「一、北方領での調査は必ず護衛同伴。二、危険区域には許可なく立ち入らない。三、体調に異変があれば即報告」
「追加で私からも」
「言ってみろ」
「一、公爵様は睡眠時間を四時間以下にしない。二、食事を抜かない。三、頭痛を隠さない」
「多いな」
「最低限です」
結局、双方の条件を盛り込んだ簡易契約書がその場で作られた。
署名を交わすと、紙の上に柔らかな光が走る。
見慣れた誓約の銀光なのに、不思議と心地よい。
「それと、もう一つ」
私は署名済みの契約書を机に置きながら言った。
「公爵様の加護について、もう少し詳しく知りたいです」
「なぜ」
「根本対策に必要だからです。私は数字だけではなく、契約そのものの綻びを見たい」
「……いいだろう」
ルシアン公爵は窓の外へ目を向けた。
薄曇りの空が低い。
「グレイフォード家の祖は、北方の魔物災害から王国を守る代わりに、誓約竜アルグレイと盟約を結んだ。公爵家の当主は『守ると約したもの』が破られるたび、その反動を引き受ける。兵站、雇用、納税、保護、婚姻、主従。名のもとで結ばれた約束が多いほど、力も責任も増す」
「力の代償が、痛み」
「ああ」
「それ、欠陥契約では?」
「昔からそう言われている」
「誰も修正しないんですか」
「初代以来、誰もできなかった」
私は思わず眉をひそめた。
国家の防衛基盤を、欠陥契約の上に何百年も積み上げてきたのか。ずいぶん大胆な王国である。
「修正条項は残っていないのですか」
「伝承では『余白を読む者』が現れた時のみ可能、とされる」
「……それ、随分と都合がいいですね」
「私もそう思う」
余白を読む者。
つまり、私のような魔法を持つ者。
偶然にしてはできすぎている。
でも、まだ結びつけるには早い。私はひとまずその言葉だけを胸に留めた。
その後、会議は北方行きの準備に移った。
エリオット騎士長が護衛編成を決め、アルフレッド執事長が王都邸の留守を預かる。
ミラは当然のように「私も参ります」と宣言し、ルシアン公爵から「君は奥様付きだったな」とあっさり許可を得ていた。
すべてが決まりかけたところで、外から別の騎士が一通の書簡を持ってきた。
王都のローデン商会本店から押収した私文書だという。
私は封を切り、目を通す。
そこには、簡潔な文が並んでいた。
『北方領都の穀倉分、今季も予定通り回せ』
『公爵が戻る前に帳尻を合わせろ』
『次の婚礼までに片をつける』
「……穀倉」
呟いた瞬間、嫌な寒気が背を走った。
石炭や薬草だけではない。食糧まで動いている。
「公爵様、急いだほうがいいです」
「分かっている」
「北の冬で穀倉が抜かれていたら、人が死にます」
「ああ」
「しかも『次の婚礼』って、どういう意味でしょう」
「分からん。だが良い意味ではないだろうな」
私は書簡を握りしめた。
心臓が速く打つ。
未処理案件だと思っていた。
けれどこれは、誰かの生活どころか命の勘定だ。
机の上で済む話ではなくなってきた。




