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最初の契約書は、書庫のいちばん奥へ

 ある雨の日、私は監理局の保管庫整理をしていて、一枚の古い契約書を見つけた。


 羊皮紙の端は少し黄ばみ、署名欄には見覚えのある二つの名前。

 セラフィーナ・アシュクロフト。

 ルシアン・グレイフォード。


「……あ」

 それは、あの最初の婚姻契約だった。

 新婚初夜に差し出され、「愛することはない」と告げられた、白い結婚の始まりの紙。


 思わず見入っていると、後ろから足音がした。

「どうした」

 ルシアンだ。

 私は契約書を掲げる。

「見つけました」

「それは……」

「はい。問題の初手です」

「耳が痛いな」


 彼が隣へ来て、私の手の中の羊皮紙を覗き込む。

 昔の契約書には、当時の私が気づかなかった細かな条項や、王家の都合の透ける文言が並んでいる。

 でも今読むと、それ以上に目につくのは余白の少なさだった。

 心の入る余地がない。

 役割と形式だけで、生活も感情も何も書かれていない。


「ずいぶん、冷たい文ですね」

 私が言うと、ルシアンは苦笑した。

「書いた男が冷えていた」

「いまは?」

「……君のおかげでだいぶましだ」

「それなら結構です」


 私は羊皮紙をそっと撫でた。

 嫌な思い出かと問われたら、たぶん少し違う。

 もちろん、あの夜の言葉は決して優しくなかった。

 けれど、そこから始まったのもまた事実なのだ。


「捨てますか?」

 私が尋ねると、ルシアンは少し考えてから首を振った。

「いや。残しておこう」

「記録として?」

「ああ」

「反省用ですね」

「それもある」

 彼は一拍置いて続けた。

「ここからどこまで来たか、忘れないためにも」


 私は小さく笑って頷いた。

「では、保管しましょう」

「どこへ」

「書庫のいちばん奥」

「奥か」

「ええ。取り出そうと思えば取り出せるけれど、普段は目につかない場所に」

「妥当だな」


 私たちは並んで保管庫の奥へ歩いた。

 棚の最下段、一番端の箱を開ける。そこには旧い盟約の写しや、監理局発足時の最初の議事録が収められている。

 私はその中へ、最初の婚姻契約をそっと滑り込ませた。


「これでよし」

「いいのか」

「はい。過去は消えませんから」

「そうだな」

「でも、いまの私たちはこの紙の続きじゃなくて、そのあと自分で書き足した方です」


 ルシアンが静かに頷く。

 そして、棚を閉じた私の手を自然に取った。


「帰るか」

「はい」

「もう終業だ」

「今日はちゃんと定時です」

「珍しいな」

「失礼ですね」

「事実を」

「却下します」


 そんなやり取りをしながら、私たちは書庫を出た。

 外では雨がやんでいて、雲の切れ間から淡い夕焼けがのぞいていた。


 最初の契約書は、書庫のいちばん奥へ。

 そしてその先の物語は、もう私たちが自分で書いていく。

最後の最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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