書類の山は、今日も幸せの予感です
新年最初の執務日、監理局の会議室に運び込まれた箱を見て、私は思わず立ち止まった。
「……大きいですね」
木箱は五つ。しかもどれも分厚い。
表面の札を見るだけで分かる。近隣三領との相互備蓄協定、王都共同農業保存研究の本契約、北方街道補修の長期計画、読み書き講座の冬季拡大案、そして騎士団福利厚生改革案。
「局長」
ミラが半ば呆れた顔で私を見る。
「今、笑いましたよね」
「笑ってません」
「笑ってました」
ネラまで頷いた。
「目がすごく嬉しそうです」
「そう見えるだけです」
「見えるだけじゃなくて本当に嬉しいんですよ」
「……否定しきれないわね」
だって仕方ない。
こういう大きな案件ほど、直せば人が助かる範囲も大きいのだ。
しかも今回は、前みたいに私一人へ丸投げされた案件ではない。
相互備蓄はハンナ主導、研究契約はセシリア側の下準備つき、講座拡大案はヨナスとネラの共同起草。
みんながそれぞれに持ってきた仕事を、監理局で束ねるかたちになっている。
「局長、まず優先順位を決めましょう」
ハンナがさっそく腕を組む。
「冬の間に締めるべきは相互備蓄と街道補修」
「研究契約は?」
「本契約に入る前に公開閲覧分の説明会が必要です」
ヨナスが補足した。
「読み書き講座の方は、新人補助書記の採用が先かと」
ネラも真剣だ。
私はみんなの顔を見て、ふっと笑った。
「いいですね」
「何がです?」
ミラが首を傾げる。
「こんなふうに最初から役割が分かれていて、相談すれば前に進むの」
「当たり前のことでは?」
「昔は当たり前じゃなかったのよ」
前世でも今世でも、私は何度も「一人で何とかする側」に置かれてきた。
だから今、こうして最初から誰かと分け合う前提で仕事が始まることが、とても幸せに思える。
そこへ、いつもの足音がした。
扉を開けて入ってきたルシアンが、箱の山を見るなり一瞬だけ目を細める。
「……増えたな」
「増えました」
「顔が危険だ」
「危険?」
「初夜に書類箱を見た時と同じ顔をしている」
「そんなにですか」
「そんなにだ」
しかも苦笑混じりだ。失礼である。
「公爵様」
ミラがすかさず前へ出る。
「先に申し上げておきますが、局長の残業は本日禁止です」
「承知している」
「本当に?」
「今日は私も同席する」
「監視強化ですね」
「共同監理だ」
最近では誰もこの言葉遊びに突っ込まなくなってしまった。
職場の適応とは恐ろしい。
午前中は箱を開け、各案件の目録作成と担当割りを進めた。
相互備蓄協定は、去年の危機を踏まえて近隣三領が向こうから持ちかけてきたものだ。
互いの穀倉残量を月次で公開し、不足時は段階的に融通し合う。その際の運送責任、補填条件、公開手続きまで最初から明文化する。
――素晴らしい。とても好きな契約である。
「局長、顔」
ミラに指摘され、私は慌てて表情を引き締めた。
午後には、王都からセシリアの補佐官が来た。
保存研究を北方だけでなく各地へ広げるにあたり、「奇跡」ではなく「再現可能な技術」として公開するための文言調整である。
前なら感情論が入り込んで揉めたところだろう。
でも今回は、向こうが最初から監理局様式に沿ってきた。
「ずいぶん変わりましたね」
私が率直に言うと、補佐官は苦笑した。
「ベルヴェイン様が『書かなければ伝わらないことの方が多い』と」
「良い学びですね」
「はい。最近は祝福を使う前より、使った後の保存記録に夢中です」
「分かります」
「分かるんですか」
「とても」
夕方近くになると、会議室の机は色とりどりの付箋で埋まっていた。
担当欄、締切欄、照会先、公開手続きの要否。
仕事の山はむしろ増えた。けれど不思議と気分は軽い。
「局長」
ネラが小さく手を挙げる。
「講座の拡大案なんですが、冬季だけでなく春の農閑期にも入れたいです」
「理由は?」
「子どもだけじゃなく、大人も来たいっていう声が増えていて」
「いい案ね」
「ただ、先生役が足りません」
そこでヨナスが静かに口を開いた。
「若手書記の研修を兼ねましょう」
「できますか?」
「やれます」
ハンナがすぐ頷く。
「兵站部からも数字に強いのを何人か出します」
私はそこで、去年の自分なら考えもしなかったことに気づく。
仕事が増えても怖くないのは、案件が整理されるからだけではない。
この場の誰もが、自分の仕事だと思って口を出してくれるからだ。
終業の鐘が鳴ったのは、まさに相互備蓄協定の優先条項を詰めていたところだった。
私は条件反射でペンを持ち直しかける。
だが、左右から同時に手を止められた。
右はミラ、左はルシアン。
「局長」
「セラフィーナ」
「……はい」
「終業です」
「でも今、いいところで」
「明日でもいい」
ルシアンが即答する。
「いや、でもこの相互備蓄協定は」
「明日でも北は滅びない」
「言い方が大きい」
「つまり今日は終わりだ」
私は視線をさまよわせ、ハンナとヨナスを見た。
二人とも完全に「帰れ」の顔をしている。
ネラに至っては外套まで持ってきていた。用意がいい。
「……分かりました」
私はとうとう降参した。
「続きは明日」
「よろしい」
ルシアンが満足そうに頷く。
本当に、この人はこういうときだけ反応が早い。
監理局を出ると、外は薄い雪だった。
まだ新しい年の最初の夕暮れ。空気は冷たいのに、胸のあたりは不思議と温かい。
「ねえ、ルシアン」
「何だ」
「私、やっぱり書類の山が好きです」
「知っている」
「たぶんこれからも、見れば目が輝くと思います」
「だろうな」
「それでも、一緒にいてくれますか」
自分でも少し照れくさい問いだった。
けれど彼は迷わず答える。
「もちろんだ」
雪の中でも、声ははっきりしていた。
「書類の山ごと、君を引き受ける」
「かなり重いですよ」
「承知している」
「途中で投げ出したら?」
「ありえない」
「どうして」
ルシアンはそこで、ほんの少しだけ目を細めた。
「最初から、君がその山を見て嬉しそうにする顔ごと好きになったからだ」
また、そういうことを。
私は言葉に詰まり、それから負けたように笑った。
「それなら仕方ないですね」
「ああ。仕方ない」
彼は自然な動作で私の手を取り、雪の積もりはじめた道を歩き出す。
「帰るぞ」
「はい」
書類の山は、今日も幸せの予感です。
少なくとも今の私には、本気でそう思える。
おまけの後日談まで読んでくださって、ありがとうございました。
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