北の冬がまた来ても
次の冬が来たとき、北方は去年とはまるで違う顔をしていた。
穀倉の在庫は公開され、各砦との連絡は二重三重に確認され、偽命令対策としてすべての重要通達に監理局照合印が導入された。
兵站監理局はもう「準備班」ではなく正式な局として回っているし、村の読み書き講座から上がってきた若い補助書記たちも頼もしい。
雪が降り始めた朝、私は監理局の窓から白くなっていく中庭を見下ろしながら報告書をめくっていた。
「局長」
ネラが駆け込んでくる。
「第一砦から定期報告です! 在庫、計画通り!」
「よし」
「南村の橇隊も準備完了です」
「契約更新は?」
「全員、署名済みです!」
私は小さく息を吐いた。
去年の今頃なら、報告が来るたびに胃が痛かった。
足りない、遅れる、消えた、改竄だらけ――そんな言葉ばかりだったから。
でも今年は違う。
もちろん問題がゼロではない。
けれど、問題が起きたときに見るべき紙と話すべき相手が、ちゃんと決まっている。
それだけで世界はかなりまともになる。
「局長」
今度はヨナスが分厚い台帳を抱えて現れた。
「公開閲覧室の今月利用者数です」
「増えました?」
「倍です」
「倍?」
「はい。冬前の契約確認が習慣になってきたようで」
「いい傾向ですね」
「ええ。皆、自分の目で見ることを覚え始めました」
紙を怖がらなくていい北。
あのとき夢みたいに思っていたものが、少しずつ形になっている。
昼前になると、いつものように扉が開いた。
ルシアンである。
今年の冬も相変わらず忙しいはずなのに、やっぱり一日一度は顔を出す。
「局長」
「公爵様」
「昼だ」
「はい」
「報告は」
「第一砦良好、南村良好、閲覧室利用倍増」
「上出来だ」
「ええ」
彼は机の上に温かいスープの入った容器を置き、ついでに窓辺の隙間風を塞いだ。
私はもう驚かない。
驚かないけれど、嬉しいものは嬉しい。
「去年と全然違いますね」
私が言うと、ルシアンは窓の外を見た。
「ああ」
「結界も静かです」
「盟約が無理をしていない」
「仕組みを変えてよかった」
「君が変えた」
「私たちが、です」
訂正すると、彼はすぐに頷いた。
「そうだな」
昼食を取りながら、私たちは今年の冬支度について話した。
不足しそうな薪の配分、講座の冬季日程、王都から来る研究者の宿泊場所。
どれも派手ではない。でもどれも大事だ。
「セラフィーナ」
「はい」
「今年の冬は、去年ほど怖くない」
その言葉に、私は手を止めた。
「私もです」
「まだ油断はできんが」
「ええ」
「それでも、怖くないと思える」
「……はい」
去年の冬、私たちは偽命令と破綻の渦の中にいた。
あのときはただ必死で、守るとか愛するとか、そんなことをきれいに考えている余裕なんてなかった。
でも今なら分かる。
怖くないという感覚は、奇跡ではない。
積み上げた契約と記録と、顔の見える信頼が作るものだ。
そしてそこに、帰る場所があることも。
夕方、終業の鐘が鳴る少し前。
私は最後の決裁印を押してペンを置いた。
「終わりました」
「よし」
ルシアンがすぐ言う。
「では帰る」
「今日は早いですね」
「良いことだ」
「褒めてます?」
「もちろん」
外へ出ると、静かに雪が降っていた。
中庭を横切る白の中に、監理局の灯りがぽつぽつとあたたかく見える。
遠くの砦にも同じように灯がともっているのだと思うと、不思議と胸が満たされた。
「北の冬がまた来ても」
私は空を見上げながら言った。
「今度は大丈夫な気がします」
「気がする、ではなく大丈夫にする」
ルシアンが隣で答える。
「一緒に」
「はい。一緒に」
そうして私たちは肩を並べて歩き出した。
雪の音は静かで、でももうあの頃みたいに怖くはない。
きっとこれからも、綻びは生まれる。
人がいる限り、契約は乱れ、仕事は増え、予想外はなくならない。
それでもいい。
読む目があって、直す手があって、支える人がいて、帰る場所があるなら。
北の冬がまた来ても。
私たちはもう、独りではないのだから。
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