セシリア嬢は、今度こそ正しく花を咲かせたい
セシリア・ベルヴェイン嬢が北方監理局を訪れたのは、夏の始まりだった。
王都で見ていたころより、彼女は少しだけ地味になっていた。
いや、派手さを削いで本来の輪郭が見えるようになった、と言った方が正確かもしれない。
淡い緑のドレスも簡素で、髪飾りも最小限。けれど背筋だけはきちんと伸びている。
「お久しぶりです、セラフィーナ様」
「お久しぶりです、セシリア様」
私は応接室で向かいに座り、彼女の持参した分厚い資料束を見て目を丸くした。
「これは」
「保存研究の中間報告です」
「……すごい量ですね」
「三回書き直しました」
「それは大変でしたね」
「とても」
以前の彼女なら、まず見栄えのいい表紙から入っただろう。
でも今は違う。目次があり、試験区画ごとの数値があり、失敗例まできちんと並んでいる。
かなり本気でやってきたらしい。
「失礼ですが、驚きました」
私が率直に言うと、セシリア嬢は苦笑した。
「正直に申し上げますと、私も驚いています。書類がこんなに大事なものだったなんて、昔の私は本当に分かっていませんでした」
「気づけたのなら、それで十分前進です」
「……そう言っていただけると、救われます」
少し沈黙が落ちた。
たぶんお互い、昔のことを思い出している。
最初に口を開いたのは彼女の方だった。
「ごめんなさい」
短く、でもはっきりした謝罪だった。
「王都で、あなたがどんな立場に置かれていたか、私は本当には見ていませんでした。殿下に求められることが嬉しくて、自分が褒められることしか考えていなかった」
「……」
「気づいたときには遅くて、それでも自分は被害者みたいな顔をしていたと思います。本当に、恥ずかしいです」
私はすぐには答えられなかった。
あの頃の傷が、綺麗に消えたわけではない。
でも、目の前の彼女の言葉には少なくとも言い逃れがなかった。
「謝罪は受け取ります」
ゆっくり答えると、彼女は目を潤ませた。
「ありがとうございます」
「ただし、過去が消えるわけではありません」
「はい」
「なので、今後のやり方で示してください」
「もちろんです」
そこで私は資料束の一番上を開いた。
保存研究の要点は、彼女の祝福を「作物を増やす奇跡」としてではなく、「収穫後の劣化を遅らせる技術補助」として使う試みだった。
つまり、派手な見せ物ではなく地味な改善である。とてもよろしい。
「この試験区画の比較、良いですね」
「本当ですか?」
「はい。祝福ありとなしで腐敗率の差が出ている。しかも作業手順まで書いてある」
私が褒めると、彼女は露骨なくらいほっとした顔をした。
少し可笑しい。
そこへ、ノックのあとにルシアンが入ってきた。
セシリア嬢はぴんと背筋を伸ばす。
「グレイフォード公」
「ベルヴェイン嬢」
ルシアンは短く会釈し、私の横へ立った。
「進捗はどうだ」
「今のところ良好です」
私が答えると、彼は資料の一頁を手に取る。
「失敗例まで書いてあるのはいい」
「はい。再現性の確認には必要です」
「……以前の君なら、ここは隠したかっただろう」
ルシアンの率直すぎる一言に、セシリア嬢は苦笑した。
「おっしゃる通りです。でも、隠した失敗が後で大きな問題になると、北方で散々学びましたので」
「それは良い学習だ」
褒めているのかどうか微妙な言い方だが、本人なりの承認ではある。
セシリア嬢もそれを理解したのか、少しだけ肩の力を抜いた。
午後はそのまま監理局の実験畑へ移動した。
小麦、根菜、薬草、保存用の豆。
彼女の祝福を使う区画と使わない区画を分け、日持ちや病害率を比較する。
派手さはないけれど、こういう地道な積み重ねの方がずっと強い。
「セラフィーナ様」
実験区画の前で、セシリア嬢がぽつりと言った。
「前は、花を咲かせて皆が拍手してくれるのが嬉しかったんです」
「分かります」
「でも今は、収穫した後に腐らず残って、誰かが静かに助かったと知る方が、ずっと嬉しい」
私はその言葉に頷いた。
「それは、良い変化ですね」
「あなたのおかげです」
「いいえ。あなたが自分で選んだ結果です」
彼女は少しだけ目を見開いてから、ふっと笑った。
王都で見た笑みより、ずっと自然でいい顔だった。
帰り際、セシリア嬢は監理局の入り口で深く頭を下げた。
「今度こそ、正しく花を咲かせたいと思います」
「楽しみにしています」
「次はちゃんと、契約書も最初から読みます」
「それはぜひ」
「先生みたいですね、セラフィーナ様」
「監理局長ですから」
そう返すと、彼女はくすくす笑った。
見送ったあと、ミラが私の袖を引く。
「奥様、なんだかすっきりしました」
「私も」
「もう嫌じゃないですか?」
「嫌な記憶は残るわ。でも、あの人まで昔のままじゃなくてよかった」
「そうですね」
過去は消えない。
でも、変わることはできる。
その証拠をまた一つ見られた気がして、私は少しだけ軽くなった。




