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北の春、婚姻届を更新しました

 旧婚姻契約の失効に伴う再登録手続きは、思っていたより大ごとになった。


 私はてっきり、王都へ書面を送って終わりだと思っていたのだ。

 ところが北方盟約の共同担い手としての再登録も兼ねるため、誓約竜の祭壇での立会いが必要だという。

 しかも、見届け人として兵站監理局、騎士団、村落代表、王都からの公証官まで来るらしい。


「なんだか、更新手続きというより式ですね」

 当日の朝、髪を整えながら私が呟くと、ミラが満面の笑みで頷いた。

「そうです、実質二回目の結婚式です」

「更新手続きです」

「気持ちの問題です」

「みんな浮かれすぎでは?」

「奥様がそういう顔をしてるからです」

「どんな顔」

「嬉しいのを隠しきれてない顔です」

「……」


 否定できない。

 悔しいけれど。


 会場となる誓約竜の書庫へ降りると、以前とはまるで空気が違っていた。

 白銀の祭壇は穏やかに光り、あのときのような軋みも痛みもない。

 周囲には最低限の立会人だけが並び、ハンナもヨナスも妙に正装していた。

 ネラなんて完全に泣きそうである。


「局長、今日だけは絶対に書類をこぼさないでくださいね」

「そんなに心配?」

「前科がありますから」

「いつの」

「初夜です」

「やめて」


 小声で言い争っているうちに、ルシアンが現れた。

 深い紺の礼装に銀の細い刺繍。軍服より少し柔らかい印象で、私は一瞬ほんとうに息を呑んだ。


「……似合いますね」

 思わず漏らすと、彼はほんの少しだけ目を細めた。

「君もだ」

 私も今日は、王都の豪奢な婚礼衣装ではなく、北方の織布組合が作った白銀の刺繍入りドレスだ。動きやすくて、肩がこらない。ありがたい。


 公証官が手順を説明する。

 婚姻再登録の確認、盟約共同担い手条項の確認、相互生活協定の保管。

 ……やっぱり式ではなく手続き寄りだ。私としては安心する。


「では、文面を読み上げます」

 公証官が厳かに告げた。


 改めて読まれる条項は、やはり少しくすぐったい。

 互いを欺かないこと。

 一方が他方を犠牲にしないこと。

 重要事項は相談すること。

 業務時間外の持ち帰り仕事は禁止、まで読み上げられたところで、後ろにいたミラが咳払いで笑いを誤魔化した。あとで覚えておきなさい。


「異議はありますか」

 公証官が問う。


 私はルシアンを見る。

 彼もこちらを見ていた。


「ありません」

 同時に答えると、祭壇の光がふわりと強まった。


 署名は並んで行った。

 今度は慌ただしくも義務的でもない。ひと文字ずつ、ちゃんと選ぶように書く。

 私の名前の隣に彼の名前が並ぶたび、少しだけ実感が増していく。


「最後に、誓約を」

 公証官が下がり、代わりに祭壇中央の光が立ち上がる。

 あの竜の気配が、静かに見守っているのが分かった。


 ルシアンが先に口を開いた。

「セラフィーナ・グレイフォード」

 フルネームで呼ばれ、背筋が伸びる。

「私は君を、義務でも体面でもなく、自ら選び続けると誓う」

 胸がいっぱいになりそうなのを堪えて、私は続けた。

「ルシアン・グレイフォード。私はあなたを、都合でも仕事でもなく、自ら選び続けると誓います」

 祭壇の光がやわらかく波打つ。

「そして」

 私は少しだけ笑った。

「ちゃんと食事をとり、眠り、必要なら休ませます」

 後ろでハンナが「よし」と小さく頷いた気配がした。

 ルシアンも口元を緩める。


「私も誓う」

 彼が応じる。

「君が一人で抱え込もうとしたら止める。休ませる。必要なら抱えてでも連れ帰る」

「最後の一文、強権的では?」

「愛だ」

「便利な言葉になりましたね」


 くす、と誰かが笑う。

 でもその笑いは温かく、祝福のようだった。


 誓約が終わると、祭壇から白銀の光が細い糸になって私たちの署名へ落ちた。

 書類は静かに封印され、新しい盟約保管箱へ納められる。

 公証官が「これにて完了」と告げた瞬間、後ろから小さな拍手が起きた。


 ネラが本当に泣いている。

 ミラはハンカチを握りしめているし、ヨナスはなぜか棚番号の話でもしそうな真顔で頷いていた。

 ハンナは腕を組んだまま「めでたいですな」と一言。いちばん落ち着いて見えて、目だけ少し赤い。


「……思ったより嬉しいですね」

 私が正直に言うと、ルシアンが低く答えた。

「私もだ」


 書庫を出たあとは、上の広間でささやかな祝宴が開かれた。

 村の代表たちが持ち寄った料理、北方の新酒、子どもたちの歌まである。

 完全に手続きの範囲を超えているが、もう何も言うまい。


「局長! いや、奥様! いや、局長奥様!」

 ネラが混乱した呼び名で駆け寄ってくる。

「どれでもいいわよ」

「おめでとうございます!」

「ありがとう」

「これからも働きます!」

「そこは変わらないのね」

「もちろんです!」


 私は笑いながら、差し出された杯を受け取った。

 北の春はまだ少し寒い。

 でも今日は、それがちょうどよかった。

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