北方監理局と過保護な公爵
春を迎える頃、北方監理局は正式に発足した。
場所はノクスヘイム城の旧会計棟を改修した三階建ての建物。
一階が受付と公開閲覧室、二階が文書管理と契約照合、三階が兵站監理と局長室――つまり私の仕事場だ。
「局長、おはようございます!」
朝一番、ネラが元気よく頭を下げる。
「おはよう。昨日の輸送報告は?」
「ここです! あと、南村の羊毛組合から新規契約案が」
「午前中に見ます」
「はい!」
ハンナは副局長として相変わらず現場寄りだが、契約文書の重要性を理解してからはとてつもなく頼もしくなった。
ヨナスは公開閲覧制度の整備に夢中で、最近やたらと棚番号に美学を持ち始めている。
ミラは局長秘書兼実質的な私の生活管理責任者で、昼食を抜こうものなら局中に響く声で叱る。
そして、北方監理局にはもう一つ厄介な特徴があった。
「局長」
扉が開き、ルシアン――いまではちゃんと夫であるルシアン・グレイフォード公爵が入ってくる。
手には湯気の立つ茶と、私が朝から存在を忘れていた軽食。
「朝食が半分残っていた」
「見ていたんですか」
「見た」
「毎朝見に来てません?」
「監理だ」
監理、便利な言葉になったものである。
彼は当然のように私の机の端へ軽食を置き、ついでのように窓を少し閉めた。
「風が強い」
「換気していたんです」
「十分だ」
「過保護です」
「知っている」
周囲の職員たちは、もはや見慣れた光景なのか涼しい顔で仕事を続けている。
いや、よく見るとネラとミラがこっそり目配せして笑っていた。
後で覚えておきなさい。
「旦那様、今日の視察は西倉でしたよね」
「ああ」
「ならそろそろご出発では」
「その前に確認だ」
「何を」
「昼は食べろ」
「局長に対する業務命令ですか」
「夫としての確認だ」
「どちらでも返事は同じです」
「聞こう」
「善処します」
「却下」
「……食べます」
「よろしい」
本当に、誰が公爵か分からない。
でも、こういう毎日が少しずつ当たり前になってきたのは、正直とても嬉しい。
戦場と陰謀のど真ん中を抜けたあとで、この平凡な押し問答がどれだけ貴重か、私はちゃんと知っている。
監理局発足からひと月の間に、北方は目に見えて変わった。
穀倉の公開在庫表、各村の契約相談会、兵站部と村落の定例協議、退役兵家族の再雇用。
雪どけとともに、小さな商いも増えている。
王都からの正式処分も順次届いた。
ヴァルター侯爵は全財産没収のうえ幽閉。
レオンハルト第二王子は継承順位を大きく落とされ、南方の学術院へ事実上の左遷。
アシュクロフト伯爵家は偽署名と不正借入で爵位降格、資産管理下に置かれた。
リディアの縁談は白紙になり、家は自分たちで帳簿をつける羽目になったそうだ。
因果応報とはよく言ったものである。
意外だったのは、セシリア・ベルヴェイン嬢から届いた正式な謝罪と申し出だった。
『祝福の力を、正しい手続きのもとで使いたい』
『北方の保存技術を学び、王都と地方をつなぐ役に立ちたい』
私は迷った末、条件付きで受け入れた。
監理局監査下での共同農業保存研究。要は、二度と勝手に「奇跡」を政治利用させない仕組みづくりだ。
過去を帳消しにはできないけれど、再発防止に動く意思があるなら使える余地はある。
「局長、王都からの定期便です」
ヨナスが新しい書簡束を運んできた。
私はそれに手を伸ばしかけ、先に置かれた軽食と茶に気づいて苦笑する。
「食べてからにしろ」
ルシアンの声が飛ぶ。
「見てますね」
「見ている」
「本当に過保護です」
「結婚しただろう」
「それで過保護が正当化されるのはおかしいと思います」
「却下」
「……最近、却下が増えました」
「君に学んだ」
悔しいけれど、まったく反論できない。
昼下がり、公開閲覧室へ降りると、村から来た老人たちが閲覧台の前で真剣な顔をしていた。
掲示された納税表や補助契約を、自分の目で確かめているのだ。
「局長さん」
一人の老人が私に気づいて帽子を取った。
「前は紙を見ると騙される気がして嫌だったが、今は違う」
「そう言っていただけると嬉しいです」
「孫にも読み書きを覚えさせようと思ってな」
その言葉に、私は思わず笑った。
「ぜひ。読み書きができると、騙されにくくなりますから」
「だなあ」
その様子を少し離れたところで見ていたルシアンが、静かに言う。
「君が作りたかったものは、こういうことか」
「ええ」
「紙を怖がらなくていい場所」
「はい」
「たいしたものだ」
さらりと褒められて、私は少し照れた。
「公爵様も、だいぶ褒めるのが上手くなりましたね」
「君がうるさいからな」
「教育の成果です」
「局長は教育熱心だ」
「当然です」
監理局と過保護な公爵。
そんな変な組み合わせで、北の春は案外うまく回っていた。




