公爵夫人の仕事は、戦場の後ろを守ること
吹雪は三日続いた。
その三日間、私は南西峠の中継小屋を拠点に、ほとんど休みなく書類と向き合った。
いや、書類だけではない。人とも、物とも、現場ともだ。
第一日目は薬草液と防寒具。
第二日目は負傷兵搬送と代替食糧。
第三日目は村ごとの避難支援と除雪契約。
前世の私が見たら「また徹夜してる」と怒るだろうが、今回は違う。
少なくとも食事は取っているし、ミラとハンナが交代で休憩を強制してくるし、何より誰かの無茶な見栄ではなく、本当に必要な仕事だからだ。
「奥様、南村の橇隊、追加二台出ます!」
「契約書は」
「ここに!」
「違約条項、雪崩時免責が広すぎる。ここは修正」
「了解!」
ネラが走り、ヨナスが記録を取り、ハンナが現場へ飛ばす。
みんなが動いている。私一人ではない。
それだけで、仕事の重さはずいぶん変わった。
第三砦への補給が通った知らせが来たのは、吹雪二日目の夜だった。
小屋の中にいた兵士たちが一斉に息を吐く。
誰かが壁にもたれ込み、誰かがその場に座り込んだ。
「間に合った……」
ハンナが珍しく心底安堵した声を漏らす。
「はい」
私もようやく肩の力を抜いた。
「これでひとまず最悪は避けられます」
ただし、ここで終わりではない。
輸送の再編を一時的に回しても、根本の契約汚染が残ったままではまた同じことが起きる。
私はルシアン公爵と向き合った。
彼の顔色はまだ万全ではないが、吹雪の夜ほど悪くはない。
「砦が落ち着いたら、兵站の常設監理班を作りましょう」
「常設」
「はい。現場責任者、文書責任者、在庫責任者を分離して、互いに照合する仕組みです。全部を一人に持たせない」
「人員が足りるか」
「足ります。いままで外されていた人を戻し、読み書きのできる遺族や退役兵の家族を雇います」
「……君は、すぐ仕組みにするな」
「人が倒れない形にしたいので」
ルシアン公爵はしばらく私を見つめていたが、やがてひとつ頷いた。
「やろう」
その承認が出てからは早かった。
私はハンナと共に兵站監理班の雛形を作り、ヨナスに記録様式を整えてもらい、ネラたち若い補助書記に教育を始めた。
名前をつける段になって、ミラが妙に張り切る。
「北方監理班、どうです?」
「普通ね」
「じゃあ北の眼!」
「物騒」
「書庫の剣!」
「もっと物騒」
最終的に、ハンナの一言で『兵站監理局準備班』に落ち着いた。
現実的でよろしい。
吹雪が弱まった四日目、私たちは第三砦まで足を伸ばした。
補給が間に合った兵たちは疲弊していたが、表情にはまだ生気があった。
若い兵が、包帯を巻いたままこちらへ敬礼する。
「奥様、ありがとうございました」
「私は書類を書いただけです」
「でも、その書類で飯が届きました」
その言葉に、胸がじんと熱くなる。
書類で飯が届く。
そう、そういうことなのだ。
紙は人を苦しめるだけじゃない。正しく使えば、ちゃんと命をつなぐ。
砦の外では、ルシアン公爵が兵たちに短く指示を飛ばしていた。
その背中は相変わらず頼もしい。けれど私はもう知っている。
あの背中を支えるのは、剣だけでは足りないのだと。
「見ていて気持ちがいいな」
隣に立ったハンナがぽつりと言った。
「何がです?」
「旦那様が、奥様の方をちゃんと見るようになった」
「……仕事仲間として、でしょう」
「そういうことにしておきましょう」
からかわれている。
私は咳払いで誤魔化した。
帰りの橇で、ルシアン公爵が不意に口を開いた。
「君は、戦場に立たなくても十分厄介だな」
「褒めてます?」
「褒めている」
「最近その言い回し、多くありません?」
「便利だからな」
「真似したでしょう」
「君に学んだ」
悔しい。
でも少しだけ嬉しいのがもっと悔しい。
「公爵様」
「何だ」
「私は剣も魔法も使えません。でも」
「ああ」
「戦場の後ろは守れます」
「知っている」
短い返事だった。
けれどそれは、これまでのどんな承認よりも深く胸に落ちた。
公爵夫人の仕事は何か、と問われたら。
私はもう迷わず答えられる。
戦場の後ろを守ること。
紙と契約と仕組みで、前に立つ人たちを支えること。
たぶんそれが、いまの私の戦い方だ。




