豊穣の奇跡と、空になった北の倉
王都から届く新聞は、どれも似たような見出しを踊らせていた。
『豊穣の祝福、都を救う』
『セシリア嬢の奇跡に民が歓喜』
『レオンハルト殿下、慈愛の穀物配布』
私は三紙を並べ、同じ単語に何度も赤線を引いた。
「……嫌な予感しかしません」
向かいのミラが小声で言う。
「ええ。私もよ」
「でも、セシリア様って本当に花を咲かせたりできるんですよね?」
「それ自体は本当だと思う」
「じゃあ奇跡じゃ」
「奇跡と会計は別問題です」
私は記事の中の数量表記を抜き出した。
配布された穀物の量、王都倉庫の追加在庫、祭礼用備蓄の増加分。
見比べていくと、胸の内側に冷たいものが落ちていく。
「公爵様を呼んで」
ミラが走り、ほどなくルシアン公爵とハンナが監理室へ入ってきた。
私は机上の数字を指し示す。
「王都で配られた穀物量、北方から消えた分とほぼ一致します」
「ほぼ?」
ハンナが低く問う。
「輸送損耗を上乗せした数字です。むしろぴったりすぎる」
「……つまり、北の備蓄が王都の『奇跡』になっていると」
「その可能性が高いです」
ルシアン公爵の気配が静かに冷える。
「根拠は他に」
「あります」
私は昨日届いた新しい契約束を開いた。
ローデン商会と王都祭礼局を結ぶ輸送契約。そこに、小さく書き込まれた条項があった。
『本契約は王都民心安定のための特別施策として、北方優先規定に先行する』
「北方優先規定に先行……」
ルシアン公爵が読み上げ、眉を寄せる。
「こんな条項、王家緊急令でもなければ認められん」
「しかも、ここ」
私は条項末尾を指した。
「本来なら財務大臣の連署が必要な箇所に、代理印しかありません。なのに公文として流通している」
「誰の代理だ」
「ローデリック・ヴァルター侯爵です」
王国の財務を取り仕切る大物。
そしてレオンハルト殿下を強く支持している男だ。
ハンナが舌打ちした。
「北の兵站を削って、都で人気取りか」
「セシリア嬢本人は、どこまで知っていると思います?」
私が尋ねると、ルシアン公爵は短く首を振った。
「分からん。だが、知らずに利用されている可能性はある」
「私もそう思います」
セシリアは昔から、悪意より承認欲求で動く人だった。
褒められる場に弱く、目の前で喜ばれると断れない。
あの性格なら「王都のため」「殿下のため」と言われれば、自分の祝福がどこまで政治利用されるか考えずに乗ってしまうかもしれない。
「北方優先規定に先行する条項が大量に積まれれば」
私は紙の上に指を置いた。
「誓約竜との盟約も歪みます」
「……ああ」
ルシアン公爵が低く答えた。
「北を守るための契約を、王都の政治が食っている」
そのとき、監理室の扉が乱暴に叩かれた。
エリオット騎士長が血相を変えて飛び込んでくる。
「旦那様! 南西峠の補給所から急報です」
「何があった」
「吹雪です。輸送隊が足止めされ、第三砦への防寒具と薬が遅れています。加えて――」
彼は私の前の条項を一瞬見て、さらに顔色を悪くした。
「王都優先便を理由に、昨夜追加便が引き抜かれた形跡があります」
ルシアン公爵が立ち上がる。
「第三砦の在庫は」
「二日分」
「足りん」
ハンナも即座に動いた。
「兵站部で代替便を組みます」
「私も行きます」
私が言うと、三人が同時にこちらを見る。
「駄目だ」
ルシアン公爵が即答した。
「今回は現場が危険すぎる」
「でも契約の流れを現地で見ないと、どの便をどこに差し替えるか」
「ここでできることをしろ」
「公爵様」
「セラフィーナ」
低く呼ばれて、私は一瞬言葉を飲み込む。
怒っているわけではない。心配しているのだと分かる声だった。
「……分かりました」
私は即座に方針を変えた。
「ではここで輸送契約を切り直します。峠道の荷車便は停止、川沿いの橇隊と村の馬借を使いましょう。ハンナ責任者、村ごとの余剰干し肉と薬湯草の在庫を」
「すぐ出します」
「エリオット騎士長、第三砦から負傷者が出たときの搬送契約も並行で」
「了解」
「公爵様は現地指揮を」
「言われなくても」
目が合う。
その一瞬だけ、互いに同じことを考えていた気がした。
――無事で戻ってきてください。
けれど口には出さない。
今はまだ、そういう関係ではないから。
少なくとも表向きは。
ルシアン公爵は踵を返しかけて、ふと立ち止まった。
「セラフィーナ」
「はい」
「暖かくしていろ」
「公爵様こそ」
「分かっている」
彼が去ったあと、私はすぐに臨時指揮机へ向かった。
机の上に輸送路図を広げ、契約書を積み上げ、村ごとの備蓄表を並べる。
紙の綻びが、まるで雪雲のように広がっていく。
「奥様」
ミラが厚手の外套を私の肩に掛けた。
「頑張りましょう」
「ええ」
私は深く息を吸った。
「豊穣の奇跡なんて綺麗な名前で片づけさせない。空になった北の倉まで、ちゃんと見せてあげないと」
その夜、監理室の灯りは明け方まで消えなかった。




