白い結婚の期限は一年です
期限つきの婚姻。
その言葉は、その晩ずっと私の頭のどこかに引っかかっていた。
もちろん、考えてみれば当然だ。
この結婚は王家と公爵家の都合を合わせた仲裁婚。恋愛で結ばれたわけではないし、相手は新婚初夜に「愛することはない」と明言している。
むしろ一年の猶予があるだけ親切と言える。
理屈では分かる。
分かるのだけれど。
「奥様、難しい顔をしてます」
夜の監理室で、ミラがそっと焼き菓子を差し出してくる。
「少し考え事を」
「期限のことですか?」
「……鋭いわね」
「分かりやすいです」
私は苦笑して菓子を受け取った。
サクサクとした食感が妙に現実的だ。
「私、たぶん勘違いしていたのよ」
「何をです?」
「この生活が、しばらく続く前提で動いていた」
「続くんじゃないですか?」
「仕事としては、続く仕組みを作りたいわ。でも私は、そのとき公爵夫人ではないかもしれない」
「……それは、嫌なんですか?」
まっすぐに問われて、私は言葉に詰まった。
嫌。
そう断じるには、まだ早い気もする。
でも平気だと言い切るには、ここで過ごした時間がもう大きくなりすぎている。
「分からない」
結局、それしか言えなかった。
翌日。
私は気を紛らわせるように仕事へ没頭したのだが、昼過ぎになってルシアン公爵から「少し来い」と呼び出された。
向かった先は、庁舎の奥にある小さな温室だった。
北方では珍しく、冬でも薬草を育てるための場所らしい。
「ここなら話しても人が来ない」
公爵はそう言って、温室の扉を閉めた。
ガラス越しの光が淡く差し込み、外の冷気を忘れさせる。
「何のお話でしょう」
「婚姻の期限のことだ」
私は少しだけ肩を強張らせた。
「……やはり」
「昨夜から様子がおかしい」
「観察が細かいですね」
「君に言われたくはない」
それもそうだ。
「確認しておきたい」
ルシアン公爵はまっすぐ私を見る。
「一年後、君はどうしたい」
どうしたい。
問われて私は初めて、自分の中にすでに答えの形があると知った。
「できれば、監理の仕組みは残したいです」
「君自身は」
「できれば、独立したい」
「独立」
「はい。公爵家でも王家でもない、中立の監査機関のようなものを作れたらと」
「……そうか」
その一言が妙に静かで、私は不安になる。
気に障っただろうか。出過ぎた望みだと思われただろうか。
「誤解しないでください」
私は急いで続けた。
「ここが嫌という意味ではありません。むしろ逆です。今のやり方が有効だと分かったから、他でも使える仕組みにしたいだけで」
「分かっている」
「それに、期限つきの結婚に甘えて居場所を固定するのも違う気がして」
「セラフィーナ」
「はい」
「誰も、君が甘えているとは思わない」
その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。
優しさに似ている。でもそれだけではない、距離を測るような響きも混ざっている気がして。
「公爵様は、どうしたいのですか」
思い切って聞いてみると、彼は珍しく言葉を選ぶように沈黙した。
「……まだ、うまく言えない」
「そうですか」
「だが一年後に『はい終わりだ』と片づけられる話ではない、と今は思っている」
「仕事の話でしょうか」
「仕事でもある」
「それ以外は?」
「……」
「沈黙はずるいです」
思わずそう言うと、公爵はわずかに目を細めた。
「ずるいのは君だ」
「なぜ」
「独立したいと言いながら、去るとは言わない」
「それは」
「期待してしまうだろう」
胸が大きく跳ねた。
期待。
何を、とは聞けなかった。
ちょうどそのとき、温室の奥で育てていた小さな白い花が風もないのに揺れた。
私は視線を逸らすようにそちらを見てしまう。
「……公爵様」
「何だ」
「今のは、かなり困る発言です」
「知っている」
「知っていて言いました?」
「ああ」
「ひどいですね」
「すまない」
謝る声はひどく真面目で、だから余計に困る。
結局その日は、それ以上踏み込んだ話にはならなかった。
ただ温室を出る前、ルシアン公爵が私に厚手の手袋を差し出してきた。
「何ですか、これ」
「市場で見かけた。君の指先がいつも冷えている」
「また急に」
「不満か」
「不満ではありませんが」
「なら受け取れ」
「……ありがとうございます」
手袋は内側がやわらかい毛皮で、驚くほど温かかった。
実用的で、でもちゃんと私のために選ばれたものだと分かる。
不器用だ。
本当に、不器用で困る。
温室を出たあと、ミラに手袋を見せた途端、彼女は両手で頬を押さえた。
「旦那様、めちゃくちゃ進んでますね!」
「何が」
「何がって、そこですよ!」
「手袋だけで大袈裟よ」
「手袋だけで済ませてる奥様も大概です!」
私は反論しようとして、できなかった。
手袋をはめた指先が、まだじんわり温かかったからだ。
期限つきの結婚。
そう思えば、ちゃんと線を引かなければならない。
でも。
引いた線のこちら側に、もうたくさんのものが積み上がっている。




