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14/30

白い結婚の期限は一年です

 期限つきの婚姻。


 その言葉は、その晩ずっと私の頭のどこかに引っかかっていた。


 もちろん、考えてみれば当然だ。

 この結婚は王家と公爵家の都合を合わせた仲裁婚。恋愛で結ばれたわけではないし、相手は新婚初夜に「愛することはない」と明言している。

 むしろ一年の猶予があるだけ親切と言える。


 理屈では分かる。

 分かるのだけれど。


「奥様、難しい顔をしてます」

 夜の監理室で、ミラがそっと焼き菓子を差し出してくる。

「少し考え事を」

「期限のことですか?」

「……鋭いわね」

「分かりやすいです」


 私は苦笑して菓子を受け取った。

 サクサクとした食感が妙に現実的だ。


「私、たぶん勘違いしていたのよ」

「何をです?」

「この生活が、しばらく続く前提で動いていた」

「続くんじゃないですか?」

「仕事としては、続く仕組みを作りたいわ。でも私は、そのとき公爵夫人ではないかもしれない」

「……それは、嫌なんですか?」

 まっすぐに問われて、私は言葉に詰まった。


 嫌。

 そう断じるには、まだ早い気もする。

 でも平気だと言い切るには、ここで過ごした時間がもう大きくなりすぎている。


「分からない」

 結局、それしか言えなかった。


 翌日。

 私は気を紛らわせるように仕事へ没頭したのだが、昼過ぎになってルシアン公爵から「少し来い」と呼び出された。

 向かった先は、庁舎の奥にある小さな温室だった。

 北方では珍しく、冬でも薬草を育てるための場所らしい。


「ここなら話しても人が来ない」

 公爵はそう言って、温室の扉を閉めた。

 ガラス越しの光が淡く差し込み、外の冷気を忘れさせる。


「何のお話でしょう」

「婚姻の期限のことだ」

 私は少しだけ肩を強張らせた。

「……やはり」

「昨夜から様子がおかしい」

「観察が細かいですね」

「君に言われたくはない」


 それもそうだ。


「確認しておきたい」

 ルシアン公爵はまっすぐ私を見る。

「一年後、君はどうしたい」


 どうしたい。

 問われて私は初めて、自分の中にすでに答えの形があると知った。


「できれば、監理の仕組みは残したいです」

「君自身は」

「できれば、独立したい」

「独立」

「はい。公爵家でも王家でもない、中立の監査機関のようなものを作れたらと」

「……そうか」


 その一言が妙に静かで、私は不安になる。

 気に障っただろうか。出過ぎた望みだと思われただろうか。


「誤解しないでください」

 私は急いで続けた。

「ここが嫌という意味ではありません。むしろ逆です。今のやり方が有効だと分かったから、他でも使える仕組みにしたいだけで」

「分かっている」

「それに、期限つきの結婚に甘えて居場所を固定するのも違う気がして」

「セラフィーナ」

「はい」

「誰も、君が甘えているとは思わない」


 その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。

 優しさに似ている。でもそれだけではない、距離を測るような響きも混ざっている気がして。


「公爵様は、どうしたいのですか」

 思い切って聞いてみると、彼は珍しく言葉を選ぶように沈黙した。


「……まだ、うまく言えない」

「そうですか」

「だが一年後に『はい終わりだ』と片づけられる話ではない、と今は思っている」

「仕事の話でしょうか」

「仕事でもある」

「それ以外は?」

「……」

「沈黙はずるいです」


 思わずそう言うと、公爵はわずかに目を細めた。

「ずるいのは君だ」

「なぜ」

「独立したいと言いながら、去るとは言わない」

「それは」

「期待してしまうだろう」


 胸が大きく跳ねた。

 期待。

 何を、とは聞けなかった。


 ちょうどそのとき、温室の奥で育てていた小さな白い花が風もないのに揺れた。

 私は視線を逸らすようにそちらを見てしまう。


「……公爵様」

「何だ」

「今のは、かなり困る発言です」

「知っている」

「知っていて言いました?」

「ああ」

「ひどいですね」

「すまない」


 謝る声はひどく真面目で、だから余計に困る。


 結局その日は、それ以上踏み込んだ話にはならなかった。

 ただ温室を出る前、ルシアン公爵が私に厚手の手袋を差し出してきた。


「何ですか、これ」

「市場で見かけた。君の指先がいつも冷えている」

「また急に」

「不満か」

「不満ではありませんが」

「なら受け取れ」

「……ありがとうございます」


 手袋は内側がやわらかい毛皮で、驚くほど温かかった。

 実用的で、でもちゃんと私のために選ばれたものだと分かる。


 不器用だ。

 本当に、不器用で困る。


 温室を出たあと、ミラに手袋を見せた途端、彼女は両手で頬を押さえた。

「旦那様、めちゃくちゃ進んでますね!」

「何が」

「何がって、そこですよ!」

「手袋だけで大袈裟よ」

「手袋だけで済ませてる奥様も大概です!」


 私は反論しようとして、できなかった。

 手袋をはめた指先が、まだじんわり温かかったからだ。


 期限つきの結婚。

 そう思えば、ちゃんと線を引かなければならない。


 でも。

 引いた線のこちら側に、もうたくさんのものが積み上がっている。

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