一番高価な謝罪文
ローデン商会への反撃は、証拠が揃った時点で一気に行った。
穀物横流しの輸送記録、改竄された優先条項、支店主と財務官フェルナーの私的書簡。
それらをすべて整えたうえで、私はルシアン公爵に一つの提案をした。
「謝らせましょう」
「謝罪で済む話か?」
「いいえ。ですが謝罪文は便利です」
「便利?」
「書いた瞬間に責任が固定されますから」
ルシアン公爵は椅子にもたれ、私を見る。
「具体的には」
「ローデン支店主に、自筆で三点書かせます。横流しの事実、契約違反の認定、そして不足分の即時補填と違約金支払い」
「飲むと思うか」
「飲ませます」
その日の夕刻、支店主を庁舎へ呼び出した。
彼は最初こそ余裕を装っていたが、机上に並べられた証拠を見るにつれ顔色を失っていく。
「これは誤解です」
「誤解で済む量ではありません」
私は淡々と返した。
「不足穀物、二百三十六袋。石炭七十袋。薬草箱十八。いずれも北方防衛備蓄からの横流しです」
「輸送途中の」
「その言い訳はもう聞き飽きました」
私は新しい紙を一枚差し出す。
「書いてください」
「何を」
「謝罪文です」
「なぜ私がそんな」
「書かない場合、今夜のうちに王都と商業院へ証拠一式を送ります。商会資格の停止と本店調査、それから公爵家への背任で民事・刑事双方」
「……っ」
支店主の額に汗がにじむ。
横にいたハンナが腕を組み、ヨナスが静かに補足した。
「なお、仮に本店が切り捨てを図った場合でも、支店帳簿の署名はあなたのものです」
「逃げ道はないということですね」
「はい」
私はにっこり微笑んだ。
「でも、誠実な謝罪と履行には価値があります。今後一切の特権は失いますが、最低限の再起の余地くらいは残るかもしれません」
支店主はしばらく震える指で机を叩いていたが、やがて力なくペンを取った。
さらさらと、いや、途中からは掠れながら文字が綴られていく。
『ローデン商会ノクスヘイム支店は、北方備蓄物資の契約に違反し――』
書き上がった謝罪文を、私は余白視で確認する。
逃げの綻びはない。
悔しさも恐怖も滲んでいるが、少なくとも事実は書かせた。
「とても結構です」
私は紙を受け取り、続けて二枚目を差し出した。
「次は補填計画書を」
「まだあるのか!?」
「あります。謝るだけで倉庫は埋まりませんので」
ハンナが横で「その通り」と頷く。
支店主は半ば泣きそうな顔で二枚目に取りかかった。
結果として、ローデン商会は三日以内に不足分の七割を補填し、残りは地方商会からの共同調達で埋めることになった。
さらに違約金と緊急輸送費を全額負担。
私が「一番高価な謝罪文」と呼んだのは、そういう意味だ。
会談後、ミラがこっそり言う。
「奥様、あの支店主さん、十年くらい老けた顔してました」
「自業自得ね」
「でも謝罪文って本当に強いですね」
「ええ。感情の逃げ道を塞ぎやすいから」
翌日には、その謝罪文の写しが兵站部と領政局に回り、停滞していた現場の空気が一気に動いた。
いままで「どうせ上が握り潰す」と思っていた人たちが、次々に報告を持ってくる。
村の配給所で配分を抜いていた役人。
退役兵の雇用名簿から消された遺族。
壊れた橋の修繕費を水増ししていた工房。
「雪崩みたいですね……」
ミラが机の上の新報告を見てうめく。
「ええ。でも悪いことではないわ」
「本当ですか?」
「膿は、出た方が治療できるもの」
そのとき、ルシアン公爵が新しい封書を持って入ってきた。
「王都からだ」
「またですか」
「今回は国王陛下の名だ」
私は背筋を伸ばした。
封を切り、中身を読む。
『北方の調達改善について報告を受けた。年明けの王都裁定会議にて、詳細説明を求む』
――来た。
王都での正式な場。
つまり、これまで集めた証拠を公にできる可能性がある一方で、相手方も本気で潰しに来る場所だ。
「行きますか」
ルシアン公爵が問う。
「行きます」
「迷いはないな」
「ありません」
私は書簡を机に置き、ふとその下にあった別の書類へ目を止めた。
薄い、婚姻登録の副本。領地への転籍に必要だとヨナスが持ってきたものだろう。
なんとなく手に取り、日付欄を見て、私は目を止めた。
期間。
婚姻の暫定有効期間、一年。
「……あ」
「どうした」
ルシアン公爵が近づく。
私はその副本を示した。
「私たちの結婚、期限つきでした」
「最初からそうだ」
「最初から?」
「王家の仲裁婚だ。情勢が落ち着けば見直す条項が入っている」
「……知りませんでした」
「読んでいなかったのか」
「読みましたけど、その日は書類の山の方が気になって」
「君らしいな」
らしいと言われても困る。
だが私は、なぜかその一文から目を離せなかった。
一年。
たったそれだけなのだ。
今は仕事で手一杯で、期限のことなど考える余裕はない。
ない、はずなのに。
胸のどこかが、少しだけ妙にざわついた。




