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家族は私を手放したのではなく、失ったのです

 レオンハルト殿下との会談から二日後、今度は実家から書簡が届いた。


 差出人は父、アシュクロフト伯爵。

 封を切る前から、私は読む価値の薄い文面を想像できてしまった。


『北方で働いていると聞いた。さすが我が娘だ』

『王都でもお前の手腕が惜しまれている』

『ついては伯爵家に関する旧契約の確認を、内々に頼みたい』


 最後まで読んで、私は紙をそっと机に置いた。


「予想通りでした」

 隣でミラが肩を落とす。

「褒めてるふりして、お願いだけしてます」

「ええ。しかも『内々に』ですって」

「怪しいです」

「とても」


 私は返事を書く前に、まず伯爵家に関する保管資料をヨナスに探してもらった。

 すると案の定、数年前から実家の鉱石契約や農園管理契約には大量の綻びが走っていた。表向きは整っているが、違約や延滞、名義貸しの痕跡だらけ。

 しかも私の旧署名が、いくつかの確認書に使われている。


「これは」

 紙を握る手に力が入る。

「……私の筆跡じゃない」


 完全な偽造ではない。昔の私の文書をなぞり、癖だけ真似ている。

 家の中の人間でなければできない。


 私は目を閉じ、ひとつ深呼吸した。

 怒りというより、冷えた失望が降りてくる。


 実家では昔から、私の魔法も知識も「家のため」に使われた。

 契約書の確認、借入条件の見直し、農地賃貸の条項整理。父は私の成果を自分の才覚のように語り、継母は「女が表に出るものではない」と私の名を文書から消した。

 半妹のリディアは、いつもこう言っていた。


『お姉様って、地味なお仕事だけは得意よね』

『笑っていればもっと可愛いのに』

『そんなに書類ばかり見ていたら、誰も愛してくれないわよ』


 だから、婚約破棄されたとき。

 家族は私を慰めるより先に、こう言ったのだ。


『役立たず』

『結局、王子の心ひとつ掴めなかった』

『お前に投じた教育費が無駄になった』


 思い出すだけで胸がひりつく。

 でも、もう戻らない。


「奥様」

 ミラが心配そうに覗き込む。

「返事、どうします?」

「そうね……」


 私は新しい便箋を出した。

 インクをつけ、迷いなく書き始める。


『お手紙ありがとうございます。伯爵家におかれましては相変わらずご多忙のようで何よりです』

『さて、旧契約の確認についてですが、私は現在グレイフォード公爵領の監理業務を担っており、私的依頼を受ける立場にありません』

『なお、過去文書の一部に私の旧署名に酷似した筆跡を確認しております。もし不正使用であれば、早急に精査なさることをお勧めいたします』

『どうぞご自愛くださいませ』


 最後まで書き終え、私は乾燥砂をかけた。

 ミラが目をぱちぱちさせる。


「静かですけど、すごく怖いです」

「いいえ。かなり優しいわよ」

「本当ですか?」

「本当。本気なら証拠を添えて王都へ回します」


 そこへ、ちょうどルシアン公爵が書類を持って入ってきた。

 私が書いた手紙に目を留め、短く問う。


「実家か」

「はい」

「面倒か」

「少し」

「なら燃やせばいい」

「物理的解決は最終手段です」

「君は時々、妙なところで穏当だな」

「法的に追い詰めるほうが綺麗ですので」


 ルシアン公爵は一瞬だけ口元を緩めた。

 最近、この人は私のこういう返答に少し慣れてきている気がする。


「ただ」

 私は手元の偽署名文書を見た。

「実家の状況は思っていたより悪そうです」

「助けるのか」

「いいえ」

 今度は即答した。

「私はもう、あの家の帳尻合わせ役ではありません」


 ルシアン公爵は何も言わず頷いた。

 それだけで十分だった。


 午後、私はハンナとヨナスに同行して、領都の下町にある小さな輸送組合をいくつか見て回った。

 公開入札のあと、これまで大口に入れなかった小規模事業者たちが次々に名乗りを上げていたからだ。

 その中で、私は見覚えのある顔を見つけた。


「……ネラ?」

 声をかけると、荷札を書いていた若い女性がはっと顔を上げた。

「お嬢様……?」

「やっぱり」


 ネラは、私が実家にいた頃に使用人部屋でこっそり読み書きを教えていた下働きの娘だった。

 今は少しくたびれた外套を着ているが、目の強さは昔のままだ。


「どうしてここに」

「伯爵家を辞めました。母も一緒に」

「何があったの」

「いろいろです。でも……」

 彼女は私の後ろに立つハンナたちをちらりと見てから、声を潜めた。

「奥様がいなくなってから、あの家は本当に酷くなりました。契約書も帳簿もぐちゃぐちゃで、旦那様は金策ばかり。リディア様の婚約のために、使用人の給金まで遅れて」

「……そう」

「私たち、もう耐えられなくて」


 胸がじわりと痛む。

 でも同時に、奇妙な納得もあった。

 私がいたから、かろうじて保っていたのだ。私が抜けたあとに崩れるのは当然とも言える。


「ネラ」

「はい」

「今、お仕事は」

「日雇いで荷札書きと帳場の手伝いを少し」

「読み書きは?」

「続けていました」

「計算は」

「二桁なら」

「よし」


 私はハンナを振り返った。

「兵站部、補助書記を増やせませんか」

「増やしたいと思っていました」

「では彼女を。あと可能なら、お母様も」

 ネラが目を見開く。

「え、でも私なんて」

「私が知っている。あなたは真面目で、手癖が悪くなくて、字が丁寧」

「お嬢様……」

「今は奥様ですけどね」

 少し笑うと、ネラの目に涙が浮かんだ。


 帰り道、ミラが袖を引く。

「奥様、すごくかっこよかったです」

「そう?」

「はい。追い返されてもおかしくないのに、自分を捨てた家から抜けた人をちゃんと拾うところ」

「拾う、ではなく雇う、よ」

「それです、それ」


 私は小さく笑ってから、冷えた空気を吸い込む。


 家族は私を手放したのではない。

 失ったのだ。


 私の知識も、魔法も、積み上げた実務も。

 そしてたぶん、いちばん都合よく使える人間を。


 でもそれは、もう二度と戻らない。


 その夜、返事の手紙を封じてミラに託したあと、私は監理室へ戻った。

 机の上には新しい輸送契約案、採用候補者名簿、納品予定表。

 守るべき仕事が、ここにはある。


 ふと顔を上げると、向かい側に座っていたルシアン公爵と目が合った。


「何ですか」

「いや」

 彼は短く言う。

「君は、失った側ではないなと思った」

「……どういう意味でしょう」

「捨てられたように見えて、実際には向こうが損をしている」

「それは」

 少しだけ考えて、私は答えた。

「たぶん、そうですね」


 すると彼は、珍しくはっきりと告げた。


「君を失うのは、愚かだ」


 その一言に、胸の奥が大きく揺れた。

 熱いものが喉まで上がってきて、でもうまく言葉にならない。


「……公爵様」

「何だ」

「そういうのは」

「どうした」

「急に言われると困ります」

「事実を述べただけだ」

「余計に困ります」


 私が視線を逸らすと、向かいで小さく笑う気配がした。

 なんだか悔しい。


 私はペンを取り直し、仕事に集中するふりをした。

 けれどその夜、いつもより文字が頭に入ってくるのに時間がかかった。

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