第68章『踏み出す勇気』
恐怖に抗い、心を奮い立たせるもの。
心の奥底で眠っていたものが、今目覚める——
『立ち向かおう!』
この場で一番マナを保有するハラミ目掛けて襲い掛かろうとしている魔物に対して、戦線に立つ誰もが持てる力を駆使して、その侵攻を押し留めていた。
放たれる威圧感に身震いし、すのぴは先程以上の殺意と憎悪を感じ取っていた。
ぽーが張った防護結界の中、引いた場所から戦場を眺めていたからこそ、それに気付いた。
背後でバニラとハラミが言葉を交わしているのを聞きながら、視線を凝らす。
執拗なまでにハラミの元へと向かおうとするヒュドラ擬きが放つ、怨嗟。
捕食対象に向けられる感情のそれとは異なるように感じられ、憤怒の矛先がハラミの更に向こう側へと向けられていることを見抜く。
——シロウさんとユズリハさん!
息を引き取ってしまった二人に対して、このヒュドラ擬きは執拗なまでに襲い掛かろうとしているのだ。
何故そこまでの執着を見せるのか、思い当たるとすればユズリハの手記に綴られていた内容である。
シロウとユズリハは最後の戦闘でヒュドラの秘密に辿り着いたとあった。
その体内に埋もれるようにして存在する時空穿穴を露出させるだけのダメージを与えたのは間違いない。
自身の急所とも言える秘密を目撃した相手に対して、警戒心を持ち敵意を剥き出しにしている、という事で一応の筋は通るようにも感じられる。
しかし、自分達に対してはどうなのだろうか。
レインの活躍により、同じく時空穿穴を目撃した自分達に対する敵意は今のところほとんど感じられないでいた。
あくまで、シロウとユズリハにだけ害意が向けられているようである。
二人と自分達の違いは何か、その要素があるとすれば、
——対抗策を編み出したかどうか……
あくまで想像でしかないが、時空穿穴を目撃しただけのこちらよりも集中的に狙われると言うなら、ユズリハ達はあれに対して何かしらのアクションを行ったのではないだろうか。
それ故に編み出された対抗策だと言うなら、矛盾はないように感じられる。
もしこの推測が当たっているとすれば、ユズリハが編み出した対抗策は有効である可能性が高いということになる、と思う。
——ハラミさん……
この場において、遺された術式の成功率が最も高い相手の様子を窺う。
ヒュドラ擬きに意識を向けていたので、どういった話がなされたのかは分からないが、
——泣いてる……
手記に視線を落とし、バニラに語り掛けられている姿は、滂沱の涙を流していた。
その様子にハラミの心が挫けてしまったのではないかと危惧したが——
「抜けられた!」
とらの叫びと同時、ヒュドラ擬きの首が眼前に迫る。
怒りを宿した瞳が見開かれ、口角が裂けるのも厭わぬ程に口腔が広がっていく。
ぽーが張った結界諸共に呑み込み、標的に定めたシロウとユズリハをこの世から消し去ろうとしているのだろう。
たとえ二人が息絶えていたとしても、そんなことはお構いなしにと、二人の肉体が存在すること自体が許せぬとでも言うように、大蛇の顎あぎとがこちらを覆い尽くそうとする。
鋭利な牙が結界に阻まれる。
しかし、絶え間なく加えられる負荷に、光の膜に亀裂が走る。
ぽーが追加の魔法を発動させようとしている。
バニラが騎士剣に手を掛け、駆け出そうとしている。
だが、間に合わない。
それよりも先に、暴虐の権化がこちらを捉えるだろう。
そう感じた直後、
「させる——かぁっ!!」
瞬間的に身体の奥底からマナが噴出する。
足裏に纏わせたそれを炸裂させることで推進力を得た身体が、結界をすり抜け、迫る頭部の側面に回り込む。
視界いっぱいにヒュドラ擬きの瞳が映り込む。
ギョロリと蠢き、こちらを認識してくるが、回避させる暇は与えない。
握り締めた拳に渾身の力を込める。
マナの輝きはより以前よりも鮮烈に、そして今尚この身を覆う青黒い紋様が入り混じり、混沌とした様相を成す。
ともすれば、制御を失い暴発させてしまいそうになる。
歯を食いしばり、力を収束させることに専念する。
自身に起きた異変が、マナ出力を増幅させているのだろうか。
分からないことだらけだが、
——力を貸して!
今までにない高出力に翻弄されそうになるが、意志を強く保ち、どうにか制御する。
輝きを増した黒白こくびゃくの閃光を壁のような横っ面へと叩き付ける。
「ケイオス——インパクト!!」
打撃の直後、光が収束したかと思うと、次の瞬間には破壊の結果を齎していた。
頭部の肉と骨が粉々に砕かれ吹き飛んでいく。
残った首は力を失い地面へと叩き付けられる。
あまりの威力に反動が駆け巡り、腕が軋む痛みを訴えてくる。
「大丈夫!?」
「ええ! 助かりました!」
痛みに表情を歪めながら確認すると、すぐさまぽーからの返答があった。
ひび割れそうになっていた結界は既に張り直されており、ひとまずの危機は回避出来たことに胸を撫で下ろす。
次いで、ぽーの背後からバニラとハラミが姿を覗かせるのを見て、すのぴは先程と同じ質問を投げ掛ける。
「大丈夫?」
だが、その問いが指し示すところは、身体の無事を確認するものではない。
気を持ち直し、立ち上がる決意を問う呼び掛けだった。
向こうもそれを理解しているようで、バニラが身体を傾け、ハラミに答えるように視線で促している。
バニラの視線を受け取ったハラミが一歩前へと踏み出してくる。
その瞳に宿るものを感じ取った時、すのぴの口角が自然と吊り上がっていき、
「何やってんだ!? 再生してんぞ!!」
背後からとらの叫び声が聞こえてくる。
蠢く気配は感じ取っているが、視線はハラミの瞳に吸い込まれるように釘付けとなっており、
「ヴモォッ!!」
ハラミが唸り声を上げた瞬間、その姿を見失う。
一陣の風が吹き抜けたように感じた直後、炸裂音が全身を震わせる。
それが、再生したヒュドラ擬きの頭部をハラミが殴り飛ばし、先程自分がやってみせたように粉砕させた音だと一拍遅れて理解する。
振り返った先では、殴り方が悪かったのかバランスを崩して膝を付いたハラミの姿があり、
「……拳が、痛いですね」
握った拳を見つめるハラミが、噛み締めるように呟く。
涙で濡れた表情に、今までの弱気な色は存在せず、
「だけど、何かを守るためには、この痛みを受け止めないといけないんですよね?」
「そうならないのが一番なんだと思うけど、そこから目を逸らしていたらいざという時に守れるものも守れない、と思うよ」
立ち向かうことには相応の勇気がいると思っている。
だからこそ、
「ありがとう。守ってくれて」
そして、
「さっきは、怒鳴ったりしてごめん」
頭を下げた後、再びハラミと視線を合わせる。
「あの時のハラミさんが、抗うことを諦めていた自分と重なって、嫌なことを思い出したんだ」
取り繕うことなく心情を吐露していく。
「僕の心の問題なのに、八つ当たりしちゃって……本当に、ごめん」
「そんな……自分が情けないから、嫌われたものだと」
「そんなことないよ。それに今は、勇気を出して僕のこと助けてくれたじゃない」
ハラミが恐怖を押し殺し、こちらを守るために踏み出したことを嬉しく思い、感謝の意を送る。
「自分にも、誰かを守れる力があったんですね」
そう言って苦笑するハラミに、三度みたびの質問を投げ掛ける。
「もう、大丈夫?」
「はい! と言えれば良いんですけど、正直まだ怖いです」
だから、とでも言うように、ハラミが言葉を続けてくる。
「すのぴさん——背中を、押して貰えますか?」
「えっと……どういう風にしたら良いのかな?」
その要求を拒む理由はなかったので、どのような感じを求めているのか確認する。
「自分の弱気になる気持ちを吹き飛ばして、心を奮い立たせてくれるような……お願い出来ますか?」
「……………………うん、やってみるね」
自分に出来るだろうかという不安はあったが、ハラミのお願いを無下にしたくはなかった。
心を奮い立たせるような言葉、身近な存在で檄を飛ばしてくれる相手を思い返し、その言動を真似てみようと試みる。
大きく息を吸い、意を決して、
「まだ何か怖いことがあるのか!?」
そう言ってハラミの背中を力強く叩く。
向こうが膝を付いたままの姿勢だったので、丁度良い位置にあり、バシンッと周囲に響き渡る音が耳朶を震わせる。
「大切な人が傷付いたり、失うのが怖いです」
うん、そうだよね。
だからこそ、
「抗わなけりゃ、何もかもがその手から溢れ落ちるんだぞ? 頭を抱えて蹲ってるだけじゃ、ただ奪われるだけだ!」
自分でも驚く程にスラスラと強い語調が口から溢れてくる。
青黒い紋様の影響で気性が荒くなっているせいなのか、とらという手本がいるからかは分からない。
それでも、今の言葉がハラミの背を押していることだけは分かった。
殻に閉じこもって何かを願ったところで、現実は何も変わりはしないのだ。
自らの命を守るにしろ、大切な誰かを傷付けさせないにしろ、勇気を振り絞って立ち向かわなければ、非情な現実に何もかもを奪われてしまう。
だから、
「君は、どうしたいんだ?」
「これ以上誰かが傷付かないように——アレを止めたいです」
ならば、
「止めたかったら、立って——戦え!!」
逞しい腕を引き上げて、ハラミを立たせる。
見つめてくる瞳には気炎に満ちており——
◆
すのぴからの激励に、すぐさま応じようとしたが少し思い留まる。
はい、と答えるのは弱々しいように感じる。
ここは一つ、弱かった自分を乗り越える意味でも、力強く応じておきたい。
そう思った時、自分の中で最も勇敢で、尊敬している戦士の姿が思い浮かんだ。
彼ならばどのように返事をしただろうか。
まずは形から入ってみようと考え付き、彼が是ぜの意を示す時の文言をなぞる。
「——応ッ!!!!」
発した応答に、広大な空間を漂う空気が鳴動した。
お読みいただきありがとうございます!
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