第74章『交渉に仕組まれたもの』
知恵を凝らして張り巡らせるもの。
己が優位を確立するための根回し。
ヒトはそれをこう呼ぶ——
『策略、ってやつだ』
「おぉ! これはこれは——凄いメンツじゃないですか」
関所前に乱立する宿屋の一室で、ばさが歓喜の声を挙げる。
その様子を見てとらは己の魔の悪さに頭を抱えた。
——まさかコイツと出会すとはな……
すのぴ達を興味深そうに観察しているばさを傍目に大きく溜め息を吐き出す。
ギルドお抱えの商人であるばさは、彼の持つ鑑定眼の力を最大限活用して依頼請負人が必要としている物資を調達したり、採取した魔物の素材を市場に流通させたりしている。物と金——その両柱でギルドを支えてくれる縁の下の力持ち、という役割を担ってくれている。
また、大陸中を駆け回っていることで幅広いコネクションを有しており、そのこともギルドに有益に働いている。
そこだけ耳にすれば優秀な人物なのだが、とらが頭を悩ませている理由が明確に存在したのだ。
商人として当然の素質と言えるものかもしれないが、今の状況では至極面倒な——
「特にすのぴ君! 君、儲け話に興味はないかい!?」
儲け話に目がない、という点である。
ばさが満面の笑みのまま圧を掛けてすのぴに詰め寄っており、すのぴがしどろもどろになりながらこちらへと助けを求めている。
「ばさ、悪いがそういう話をしてる暇はねぇんだ」
「そうは言いますけどね! 彼の力を上手く大国などに売り込めば一生遊んで暮らせますよ!」
確かにばさの言う通りなのだが、その物言いに首を縦に振るわけにはいかなかった。
視線を鋭くし、抗議の意も込めて口を開こうとした矢先——バニラが鼻を鳴らしながら一歩前に進み出て、
「ちょっと貴方! 私達に仲間を売れと申しますの?」
「いえいえ、人身売買の類の話をするつもりはないですよ。ただ、彼の力を有効活用すれば我々だけでなく、多くの人の利にも繋がるということですよ」
「詭弁ですわ! あと、貴方と私達を同じ立場であるように語らないでくださいまし」
と、今にも物理的に噛み付きそうな勢いだったので、慌ててその肩を抑え付ける。
「僕はあまり興味ないけど、一度断られている話だしね。団の長としては、ここで彼に靡かれるようなら——面白くはないね」
騒々しくしているこちらからは離れて、壁に身を預けながら様子を伺っていたレインが静かに、そして背筋が冷たくなる口調で釘を刺してくる。
周囲に恐怖心を撒き散らすその気迫に当てられて、ハラミが竦み上がってしまっていた。
「圧が怖いっての……お前さんに言われなくても応じるつもりはねぇよ」
「そうですか、勿体無い話ですねぇ……では、どうします?」
色めき立っていたばさが心底残念そうに呟いたかと思うと、瞬時にその言葉から熱が抜け落ちた。
こちらの奥底まで見抜こうとする眼光に晒されて、先程まで圧倒されていたすのぴをはじめ、他の者達も身構え警戒心を露わにする。
ばさが言わんとすることが何なのか、この場においてはかねてから付き合いのある自分がよく分かっている。
「口止め料——いくら吹っかけてくるつもりだ」
「商人相手にお願いをするんですよ? それなりの対価は必要だと、とらさんは分かっているでしょ」
その発言にバニラがいち早く反感を示し、静観していたぽーも眉を顰める。
「脅すつもりですの!?」
「穏やかじゃありませんね……」
「折角の儲け話のタネが駄目になるんですから、タダで口を閉ざせと言うのも無理な話ではないですか?」
「…………お前ならそう言うと思ったぜ」
そもそもすのぴをどうこう出来る決定権はばさにはないのだが、それを主張したところで『ワンダーラビットが実在する情報をどう活かすかはこちらの自由』と言葉巧みに交渉を優位に進めてくるだけだろう。
この展開はばさにすのぴが見つかった時点で想定出来ていたので、対策は既に構築済みである。
そのやり方についてはあまり褒められたものではないので僅かにだが気が引ける。しかし、こちら——すのぴのことに深く首を突っ込もうというなら、致し方ないことだろうと割り切ることにする。
——それに……
便宜上の雇用主とはいえ、そろそろ情報の共有はしておいた方が良いだろうし、新たに浮き上がってきた懸念事項に対しても牽制が必要だろうと思い、
「バニラ」
手招きし、バニラを呼び寄せる。
怪訝そうな彼女に耳打ちすると、正気を疑うかのような視線を向けられる。
バニラの気持ちも分からないでもないが、必要なことだと告げると、渋々といった様子でボックスの中からあるもの——マジカルソフトを取り出して、ばさに向けて差し出した。
「口止め料としてこれの情報を開示、ですわ」
「それは——ッ!?」
瞳に複雑な紋様を浮かばせたばさの表情が瞬く間に強張っていく。
これを初めて見るぽーやレインにもまさか、という緊張が走る。その出自故かハラミだけは状況を掴めておらず首を傾げているだけだった。
バニラの手元を食い入るように見ていたばさが神妙な面持ちで言葉を漏らす。
「メンツもさることながら、こんな代物まで出てくるなんて……とらさん、いったい何があったんですか?」
ばさからの問いに、とらは少し長くなるぞと前置きをしてここに至るまでの経緯を語り始めた。
◆
「——ってのが、ここまでの話だ」
北領の深淵領域から領根の迷宮区画を突破するまでの流れに加えて、現在西領諸国が抱えている問題——予言書に記された厄災についてまでもを話し終えたとらが一息つく。
包み隠さず語るとらに、バニラは内心肝を冷やしていたが、とらのことだから何か考えがあるのだろうと口を閉ざしていた。それに、
——あのことについては伏せていましたわね……
そのことがどう影響するのかは分からないが、あえて話していないのだとしたら、こちらが補足するのは却ってとらの邪魔になってしまうかもしれない。
ならば今は口を噤み、とらの話に耳を傾けていた者達の反応を見やる。
ばさだけでなく、全ての事情を把握していなかったぽーやレイン、ハラミも話のスケールに驚きを隠さないでいる様子だった。
「まさか、TOIKIまで関わっているとはね」
驚きと呆れが混ざったような調子でレインが呟くと、それに乗じるようにばさが口を挟む。
「それに西領の問題も只事ではなさそうじゃないですか」
「流石のお前でもその辺は把握してなかったか」
「あっち方面は、正直噂話ぐらいしか……」
と、ばさが肩を竦める。
その様子を見て、バニラは致し方ないことだと内心で溜め息を吐く。
大陸中を駆け回っている商人と言えど、ギルドの息が掛かった人物を西領諸国が受け入れるとは考えられなかった。
殆どの西領諸国は騎士団の縄張り意識が強く、余所者の依頼請負人が好き勝手することを嫌っているのである。
祖国のワッフル王はその辺りは寛容と言うか、古い価値観に縛られることを良しとしていないので、その配下の騎士もまたギルドに対する忌避感は薄いと言って差し支えがない。
——皆が皆、と言うわけではありませんが……
一部の騎士がワッフル王の振る舞いに不満を抱いていることを思い出す。
万人に受け入れられる存在などいるはずがないと頭では理解しているのだが、敬愛する王に対して反感を抱かれていることに歯痒さが思い返される。
——ままなりませんわね……
その者達もいつかは王の考えに賛同してくれると良いのだがと考える傍ら、その齟齬がいつか王に仇なすことがないのを祈るばかりである。
「とりあえず、マジカルソフトを手に入れた経緯は理解しましたよ。それで——マジカルソフトの情報が口止め料ってことでしたけど、まさかそれを譲ってくれる、という話じゃあないですよね?」
ばさの問い掛けに、意識を話の本筋へと戻す。
とらが言うには、マジカルソフトという神秘の塊を見せることがばさの要求を満たすことに繋がるとのことだったが、
——これからどうしますの!?
名案があるような素振りだったとらに視線で訴えかけると、当の本人は薄く笑みを返してくる。
「そりゃぁな。これの所有権は今はバニラ——ひいてはソルベ法国にあると言っても良い。俺達の勝手な判断でお前に渡すわけにはいかねぇよ」
「ですよね。それに俺の目で見たところ、そのマジカルソフトは機能の殆どが停止している状態みたいですからね——譲ってもらったところで、今現在の価値はそれ程高くはないですよ」
「そんなことも分かるんですのね……」
鑑定眼の力がどれほどのものかは分からないが、一目見ただけでマジカルソフトの状態を看破している以上、その力は本物と言えるだろう。
「まぁ、流石は伝説に謳われるマジカルソフトですね。俺の目をもってしても、情報の殆どが読み取れない状態ですが——先程も言いましたが、今のこれが口止め料の代わりにはなりませんからね? ましてや譲ってくれるのではなく、ただ見せられるだけだなんて」
「いや、これで十分だ」
ばさの言葉を遮るように、とらが断言する。
未だにとらの考えが分からず、説明を求めようとしたが、とらからは慌てるなとでも言うように手のひらで制される。
「お前がマジカルソフトの実在を知ったこと——これが何よりの口止め料だ」
「いやいや、何を言ってるですかとらさん。むしろこちらにマジカルソフトという交渉カードを与えただけでは?」
「あ、ちなみにだがな」
自らの優位を確信している様子のばさに対して、とらはわざとらしく今思い出したとでも言うように説明を付け加えた。
「バニラやかぷこーん達だが、《聖域》で目撃されている不審な連中に付け狙われているようでな……まぁこいつらを監視してるのは間違いないってわけだ」
「それがどうした、と……言う、ん……」
とらの言うことに要領を得ていないようだったばさだが、次第に彼の顔から血の気が引いていき、全身が小刻みに震え出す。
どういうことかととらに視線を向けると、悪人さながらに口の端を吊り上げて、
「このタイミングでバニラ達の目的であるマジカルソフトの噂が広まったら、その出所であるお前も関係者として目を付けられるってわけだ」
「な、なな……」
「欲をかいたな商人——これで俺達ゃ一蓮托生ってわけだ」
「あ、貴方って人は!」
くつくつと悪どい笑みを浮かべているとらと、わなわなと慄いているばさ。対照的な二人の様子を見て、バニラにもようやく事態が飲み込めてきた。
——えげつないことをしますわ……
ワンダーラビット、それに加えてマジカルソフトの情報を得たばさがこちらを強請っているように見えたが、とらの策略によって立場を逆転させたのである。
余計な真似をすると《聖域》に現れた不審な勢力から狙われることになるという一言により、こちらとばさとの対立構造が、ばさをこちらへと引き込む形へと変わったのだ。
まさに一蓮托生とはこのことだろう。
この場で初めて事情を聞かされたレインは遠巻きに笑みを噛み殺しており、それはそれで面白そうと思っていそうだった。
——依頼者の不利益になるようなことはしませんでしょうから……
ある意味では一番安心な相手なのかもしれない。
残るぽーやハラミについては、人格者と事情をよく理解していないようなので危惧するようなことはないだろう。
この場においてはばさだけが己の思惑をひっくり返されたとあって口惜しそうに——そして、迂闊にこちらの事情を聞いてしまったことへの自責の念に頭を抱えてしまっていた。
「くそぉ……大儲けの話に目が眩んだばかりに……そう都合が良いことばかりは起きないってことですか、そうですか……いやしかし!」
ぶつぶつと呟いていたばさだったが、何かに思い至ったようで勢い良く顔を上げ、
「これでも商人として幾つも修羅場を潜り抜けてきた実績があるんですよ、こっちには! なので、そんな怪しげな連中に狙われようとも切り抜けて夢の大富豪ライフを勝ち取ってやりますよ! それに、マジカルソフトがダメならすのぴ君に協力してもらえれば十分過ぎる稼ぎになりますし!」
と、息巻いてみせるのだった。
それを受けてとらが、威勢の良いことだなぁ、と呑気に笑っている。その横っ面に鋭く細めた視線を突き刺してみるが、全く気にする様子すらなかった。
——まったく……悪い方ですわね……
とらが語ってみせた内容には確証がない部分が存在する。それは、
——連中が我々の目的を把握しているかどうかは分かっていませんのに……
ワッフル王が裏で動いていることを察知して監視の目を向けているのは間違いないが、マジカルソフトの件を把握されているとは考え難い。
ソルベ法国に秘匿された予言書の内容を知っているとはどう考えても思えないので、ばさがマジカルソフトやすのぴを使って荒稼ぎしようとしたところで、奴らの注意がばさへ向く可能性はそこまで高くないのかもしれない。
それにマジカルソフトを諦めてもらったところで、すのぴに対してはまだ解決していないのである。
その点はどうするのだろうかと、話の成り行きを見守っていると、
「お前がすのぴを無理に連れて行こうものなら、お前がマジカルソフトを持ってるって吹聴するからな」
「鬼! 悪魔! 人でなし!!」
ばさが両膝をつき蹲るようにして床をバンバンと叩いているのを見て、とらがご満悦といった様子で見下ろし、
「まぁ、それでもお前ならどうにかするんだろうけどよ——お前の家族はどうかな?」
「それだけはどうかご容赦を」
それはあまりにも静か過ぎる動きだった。
行動の起こりがまるで認識出来ず、気付いた時にはばさの額は床に押し付けられていた。
その光景に、バニラは書物の中で見た秘技について思い出していた。
——あれが、本場東領の技!
「無拍子DOGEZA——!」
「ヴモォ! なんと見事な技でござるか!」
同じくDOGEZAを修得しているハラミと共に色めき立つ。
とらやレインなどからは冷ややかな視線を感じるが、素晴らしい匠の技を前に気にしている余裕などなかった。
「馬鹿やってねぇで——じゃあ、すのぴやマジカルソフトについては黙秘するってことで良いよな?」
「仰せのままに。それ以外にも俺に出来ることがあるなら何なりとお申し付けください」
「それは流石に……」
DOGEZAの美しさに意識を奪われてしまっていたが、ばさの申し出には流石に申し訳なさを覚える。
とらがしたこととはいえ、ばさの家族を使って脅したようなものである。話の発端がばさにあったとしても、それはあまりにも非人道的ではないだろうか。
「実際、こいつの家族については余程のことがない限り大丈夫だろうけどな」
「そうなんですの? では何故——」
「俺達に着いて来た際の儲け方が既に浮かんでるんから、だよな?」
と、とらの視線がこちらから足元のばさへと移される。すると、ばさが徐に身を起こし、
「あ、バレちゃいました?」
「…………逞しい方ですのね」
バニラがどうにか絞り出した感想に、照れ笑いを浮かべるばさ。
こうして、バニラ達の旅に新たな同行者が加わることになったのである。
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