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第66章『失意の底で』

 失った悲しみに囚われていても。

 遺された想いは、確かにここに——

『目を背けないで』

 その可能性を全く考えていなかった訳ではなかった。

 むしろ、そうなっている可能性の方が高いとさえ感じていたのだ。


 気のせいであってくれと嫌な想像を必死に抑え込んで、きっと大丈夫だと目を逸らし続けてきた。

 再会を果たしたら、また自分を受け入れてくれて、離れ離れになってしまったのには何か理由があったのだと納得のいく説明をしてくれる。


 そう思っていたのに——現実は、無情な真実だけを突き付けてくる。


 物言わぬ存在に成り果てた二人を見て、浮かんできたのは後悔だった。


 自分が案内を申し出なかったら、こんな結末にはならなかったかもしれない。

 自分と出会わず、自分を助けなかったら、こちらの申し出を断ってくれていたら——二人は今も無事だったかもしれない。


 迷宮区画を脱して、そこでユズリハの病を治療出来る幸運に巡り逢えていたかもしれない。

 

 そんな、栓なきことが堂々巡りで脳内を駆け回る。


 どれだけもしもを夢想したところで、二人はもうこちらに笑い掛けてくれることはないのだ。


 魔物である自分に関わってしまったから。

 全ての不幸が自分に起因しているように感じられ、今すぐこの世から消え去りたいと——


『目を覚まして!!』


◆


 身体を力強く揺さぶられ、意識が覚醒していくのを自覚する。

 重い瞼を持ち上げて視覚が像を結ぶのに合わせて、聴覚が響き渡る轟音を認識する。


「なに、が……?」


 起きているのか、と確認しようと身体を起こそうとするが、手足の動きが阻害されていて上手く身動きが取れなかった。

 視線を這わせると、両足が頑丈な鎖で拘束されており、背後で拘束されている両腕も同様な状態なのだろうと悟る。

 何故このようなことを、と疑問が浮かび、すぐに答えが浮かび上がってくる。


 ——自分が魔物だから……


 シロウとユズリハの死に直面した事で暴れ出したこちらを、遂に危険な存在だと忌避したのだろう。


 それが、当然の反応なのだろう。

 むしろ、今まで好意的に接してもらっていたことが何かの間違いなのだ。

 そう自分に言い聞かせようとしていると、


「目が、覚めましたのね」

「……良かった」


 こちらを覗き込むように、バニラとすのぴの心配そうな表情が視界に映り込む。

 その背後にはこちらを背にして立つぽーが防護結界を維持しており、更にその向こうでは、


「ひっ……!? ヒュ、ヒュドラ!!?」


 直感が、吹き抜けで遭遇したヒュドラであると告げてくる。

 その巨体が目の前でうねり狂い、それを翻弄するようにすのぴ達が縦横無尽に立ち回っているのが見えた。


「ど、どうして!?」


 後を追ってきたのだろうか。

 こちらが逃げ込んだ狭い通路を、あの巨体がどうやって抜けて来たのか。

 混乱する頭では疑問の答えなど到底浮かんでくる訳がなかった。


 しかし、その問いに対する答えを、バニラが端的に告げてくる。

 彼女は一度大きく息を吸い込み、真剣な眼差しを注いできて、


「あれが姿形を変化させるシェイプシフターだからですわ」


◆


「まずは、私から話をさせてくださいまし」


 ハラミを目覚めさせる前に、すのぴに申し出る。

 彼にも、ハラミに伝えたいことがあることは承知の上で、である。


 すのぴとハラミの間に生じた不和を取り除くことも大事だが、それよりも先にやらなければならないことがある。


 かなりの荒療治であることは理解している。

 だが、ハラミにとって必要なことだと言い聞かせ、彼に真実を突き付ける。


 告げた瞬間、バニラはハラミの双眸が極限にまで見開かれる様を目撃した。

 ヒトであれば、その表情から血の気が引く様子を見て取れただろうが、ミノタウロス相手ではそれも難しい。


 それでも、ハラミが動揺し、絶望に心を焼かれていく様子ははっきりと理解出来た。


 良かれと思って案内した先に待っていたのは、二人が目的としていたヒュドラではなく、その姿を模した別の存在であったと知ったのだ。


 きっと自分を責めることだろう。


 自分の間違いで、結果として二人が命を落としたとあっては、悔やんでも悔やみきれないだろう。

 それこそ、先程とは比較にならない程に、自らを害するかもしれない。


「あ、あぁ……アアァ——」


 声にならない悲痛な叫びが、ハラミの口より溢れ出てくる。


 すのぴから不安げな視線が送られてくる。


 こちらも胸を締め付けられる思いだが、動揺しそうになる気持ちを律して、ハラミに呼び掛ける。


「貴方はお二人の想いを知るべきですわ」


 静かに紡いだ言葉だったが、ハラミの耳にはしっかりと届いたようで、


「どう、いう……こと、です、か?」


 狂乱に囚われていく中で、どうにか放たれた言葉を受けて、バニラは手にしていたユズリハの手記を広げて、ハラミの眼前に突き付ける。


 ——申し訳ありませんわ……


 事実を伝えてハラミを悲しませたくはない。

 そんなユズリハ達の想いを踏みにじる行為に良心の呵責を感じる。

 だが、このまま秘していては二人の想いがハラミに伝わらないままである。


 ——それだけは、駄目ですの!


 ハラミを思い遣り、傷付けまいとした気持ちは理解出来る。

 たとえ違う形で傷付けてしまうとしても、と苦渋の決断だったのだろう。

 その正否を問うつもりはないが、それでも——


 ——想いはしっかりと伝えるべきですのよ!


 彼等の関係性においては部外者である身であり、大きなお世話であると自覚した上で、バニラは行動に移したのだ。

 手記に綴られた想いを伝えるためには、ヒュドラの正体を明かすことは避けては通れない。


 傷付けることを前提にした救済に心苦しい思いはあったが、この場を任された以上、持ち得る手札を出し惜しみしてはいられない。


「文字は、読めますわよね?」

「は、はい……」


 紙面の文字を追う視線が忙しなく動くにつれて、その目尻に涙が滲んでくるのが見えた。

 先程までは悲愴な叫びを溢していた口からは、嗚咽交じりの疑問が投げ掛けられる。


「どう、して……?」

「これを読んでも分かりませんの?」

「恨まれて、いるとばかり……」

「貴方への恨み言など、ここには一文字たりとも存在しませんわ」

「でも」


 なおも信じられないと言わんばかりのハラミを見据えて、バニラは諭すように語り掛ける。


「書かれてもいないことに気を揉んでどうしますの……それよりも、ここに記されたお二人の想いから目を背けないでくださいまし」

「……………………」


 俯き、押し黙ってしまったハラミの姿に一抹の不安を覚えるが、


「その手記……詳しく読ませてもらえますか?」

「えぇ、構いませんわ」


 そう溢したハラミにバニラは素早く応じる。

 すのぴと共に手足の拘束を手早く解いていく。


 一時の心配とは裏腹に自傷に走ることはせず、差し出した手記を恐る恐るといった態で受け取る。

 とら達が奮戦している傍らで悠長にしている暇はないが、ハラミにとって必要な時間であると理解していたので、読み終わるまで声を掛けずに見守ることにする。


 まだこちらが確認出来ていない部分にも目を通しているハラミの目尻から涙が零れる。

 しかし、その瞳の奥に湧き上がるものを見て、バニラは確信を得る。


 ——もう少し、持ち堪えてくださいまし……


 ハラミはきっと立ち上がろうとするはずだ。

 その時、背中を押すのは——


 傍らで控えるすのぴに視線を送る。

 今はただ、その時が訪れるのを待つだけである。

 お読みいただきありがとうございます! 


 少しでも気に入っていただけたり、続きが気になるなぁと感じていただけましたら、幸いです。

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