第1章『夜半の気苦労人達』
信頼しているが故に、この不安からは目を背けられない。
『問題を起こしてなければ良いんだが……』
町の喧噪は夜の闇に溶けていき、白亜の都市は静謐な時間と共に眠りの中へと沈み行こうとしていた。
整然と区画整理された白の街並みは、そのものが規律を重んじているかのようで、そこに住まう人々もまた規則正しい生活を繰り返していた。
しかし、そんな都市の中心部――堅牢な城壁で覆われた王の居城の一角では、今なお魔鉱石を加工して作られた照明が静かに輝き、夜の闇の中で影を生み出していた。
室内は壁面全体に取り付けられた棚に膨大な量の書類が敷き詰められており、部屋の中央に最低限の応接用の椅子とテーブルが、そして窓際には簡素だが年代物と感じさせる執務机が設えられていた。
腰まで伸ばした銀髪を掻き毟りながら、男は夜闇を背後に置き、執務机に堆く積み上げられた書類へ目を通していく。
配下の文官達の手により、優先度ごとにまとめられているお陰で、執務の消化スピードは早いように感じられるが、
――量が多過ぎる……
端正な顔立ちを苦悶に歪める一方で、深い溜め息で陰気な心を吐き出していく。
まだまだ書類の山は残っているが、一区切りが付いたので凝り固まった眉間を解して天井を仰ぐ。
ともすれば、このまま眠りに落ちてしまいそうになるが、頭を振って頬を張ることで、忍び寄ってきた眠気を振り払う。
「やはり、きな臭くなっているなぁ……」
次の書類を手に取り目を通しながら、自分以外誰もいない部屋に言葉を響かせる。
声の振動が鼓膜に届いた後は静けさだけが部屋に満ちていく。
近隣諸国にて武器や食料の流通が活発化しており、巷で広まっている噂と併せると、良くない未来の訪れを感じさせる。
――他人事では済まされないよな……それに……
各国の動きを隠れ蓑にして、こちらが本当に危惧することへの対処を推し進めなくてはならない。
先々で起こり得るであろう状況で少しでも被害を抑えるためにも、各地で任を果たそうとしてくれている騎士達から吉報が送られてくることを切に願うばかりである。
特に、一番過酷な責務を負ってくれた親友には申し訳なささえ感じている。
危険な探索任務――とある筋から入手した願望器についての伝承を基に、北領の深淵領域へと乗り込んだ彼の身を案じない日はなかった。
本来であれば一個師団を編成してでも心許ない深淵領域の調査を、国内外で起こっている緊張の高まりを刺激しないためや進軍速度が鈍化することを避けるなどといった理由から、友好国への親書を届けさせる使節団に紛れ、目的地付近で離脱ーーその後は連絡役の従騎士を一名だけ連れて任務を果たそうとする彼を思えば、せめて無事に戻ってきてくれることを願うばかりである。
だが、
「もしもアレを見付けることが出来たなら……来るべき時に備えられる」
はずだ、という言葉を弱気な心と飲み込む。
情報の信憑性は王家に伝わる予言書が保証しているが、事態の大きさに現実に起こり得る事なのかと猜疑心が尽きない。
それでもいつか起こるそれに備えるためにも、計画を推し進めていく一方で、彼に一縷の希望を託すしかないのが現状である。
――歯痒いな……
個人に背負わせるにはあまりにも重たい責任を、しかし快く引き受けてくれた友に思いを馳せていると、不意に扉をノックされる。
「どうぞ」
視線は資料に書かれた文字を追いながら、訪問者を招き入れる。
「ワッフル様、そろそろお休みになられた方が」
控え目なノック音から誰が来たかは予想が付いており、案の定の人物が入室すると、こちらに心配そうな声音を向けてくる。
顔を上げて、その人物を視界に収める。
燃え盛る炎を彷彿とさせる緋色の髪を肩口で切り揃えた女性が、眉尻を下げて先程の声色に合わせたこちらを慮る表情を浮かべていた。
その顔色には疲労が浮かんでいたので、こちらも心配が口につきそうになる。
しかし、彼女に先に休むよう告げたところで、自分の警護も務めてくれていることもあってか、こちらを置いて身を休めることはないと分かっていたので、
「そうだな……丁度区切りが付いたから、今日はこの辺りにしておこうか」
本心ではまだ続けなければと思っているが、無理をして倒れてしまっては元も子もないことも理解している。
ならば、と彼女を安心させるためにも本日の執務は終了だと告げる。
すると、彼女――ベリーの雰囲気が安堵するのが見てとれた。
それだけで、彼女がこちらをどれだけ心配してくれていたのかが理解出来る。
確かにここ最近はろくに休むことも出来ずにいたが、状況が状況なだけに致し方ないところでもある。
「ベリー、君も働き詰めのようだし、早く休むといい」
「ですが……」
休んだところで気が休まらないからなのだろう。
渋る彼女の気持ちも理解出来る。
なにせ、
「かぷこーんやバニラのことが心配なのは分かるが、君が倒れでもしたら、私が二人にどやされてしまうよ?」
深淵領域に向かった正騎士と、領域外までではあるが彼に同行している彼女の双子の姉が心配なのだろう。
その不安を紛らわせるために、護衛の任に徹しているのだと想像に難くない。
内心を見透かされたことに、ベリーが申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「確かに……かぷこーん様や姉様は特に、陛下に対して遠慮がありませんから」
「幼少期からの付き合いだし、今となっては気兼ねせず接してくれることを有難く感じるんだがね」
もちろん君もそうしてくれると嬉しいんだが、などとは口が裂けても言えなかった。
言葉の途中から居心地が悪そうにしている彼女を見ると、どうしても本心からの言葉に歯止めを掛けてしまう。
幼馴染として気心は知れているが、彼女に関してはその性格からかどこか一線を引いているように感じられる。
なので、彼女に対して踏み込んだ発言をしてしまえば、余計に距離を置かれるような気がしてしまい、迂闊に気持ちを伝えられないでいる。
――王になったとしても、他者の心まではままならないな……
むしろ、思い通りに行かないことの方が多いぐらいだと内心では辟易としてしまっている。
「陛下?」
「いや、何でもないよ……」
つい肩を落としてしまったのを見られたせいで、ベリーから再度心配そうな声を向けられるが、頭を振って答える。
「そう言えば、モカ達からは何か連絡があったかい?」
我ながら唐突な話の逸らし方に苦笑いを浮かべてしてしまいそうになるのを堪えて、国内外で活動している騎士達についての近況を確認する。
目の前の彼女は特に訝しむ素振りもなく、訊かれた内容に対して率直に返してくる。
「皆様からの定期連絡については文官の方々が纏めてくださってます。明日にでもお持ちしていただく予定ですので、よろしくお願いします」
恭しく礼をするベリーから言外に今日はもう働くなと改めて釘を刺されてしまったので、素直に言う通りにさせていただく。
「それと、姉様なのですが……」
そこで言葉を濁したことで、彼女の姉について伝え難い何かがあったのだと察することが出来た。
「あー……いつものかい?」
たが、長い付き合いだけあって、彼女が言わんとする内容も分かってしまう。
こちらの言葉に、ベリーが気まずそうに首を縦に振った。
「かぷこーんが深淵領域に突入してひと月ほどか……バニラにしてはよく保った方じゃないかな」
「そうなのですが……定期連絡の度に感覚を共有される身としては、かなり堪えるものがありまして……」
双子としてマナの性質や魂とも呼べるものに深い繋がりがある彼女達は感覚を共有することが可能であり、強く意識することで遠く離れた地においても意思疎通を可能とする能力を有している。
それ故に、今回かぷこーんに同行する任を彼女の姉に託すことになったのだが、
「対策は講じていましたが、どうしても禁断症状が出始めているようで……」
「あー……」
バニラの禁断症状――かぷこーんに会えない日が続くと精神のバランスが崩れてしまいがちになり、酷い時には歴戦の正騎士をもってしても手に負えなくなるほどに凶暴性を発露させてしまうのである。
ベリーが言うように、かぷこーんが深淵領域に突入して以降の対策を講じて色々と支援品を渡しているようだったが、それもどうやら効果がなくなってきたようである。
「周囲の方にご迷惑をお掛けしていなければ、良いんですが……」
「そうだねぇ……」
気に掛けることが多々ある中で発生した懸念事項に頭が痛くなるが、こちらではどうすることも出来ないので、改めて親友には早い帰還を願うばかりである。
お読みくださりありがとうございます!
深淵領域から脱出したすのぴととらーーではなくて、かぷこーんの故郷の様子をお送りいたしました。
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